黒猫にスカウトされたので、呪われ辺境伯家に嫁ぎます!〜「君との面会は1日2分が限界だ」と旦那様に突き放されましたが、甘えん坊の猫ちゃん(旦那様に激似)がいるから寂しくありません
【16】「俺の妻に手を出すな!」とか言って怒っていますが…。
【16】「俺の妻に手を出すな!」とか言って怒っていますが…。
「燃えよ
ジェドが呪文の詠唱とともに指を躍らせ、空中に魔法陣を描く。描き出された魔法陣から柱状の火炎が噴きあがるのを、私は二階の窓から見下ろし、感嘆の息を漏らしていた。
今日は、第六月の最初の日。レナス辺境伯領から派遣されてきた魔術師が到着したので、ジェド様はさっそく中庭で魔法の鍛錬を始めたのだった。
ジェド様は、今日も具合が良さそうだ。火炎や氷の魔法を次々と繰り出す姿がとても凛々しくて、私は開け放たれた窓から彼の姿を見つめていた。
指南役の魔術師は、厳しい声音でジェド様に指示を出し続けている。
「若君、詠唱はもっと素早く! 魔法陣にもわずかなブレが見られます!!」
ジェド様は反論するそぶりも見せず、真剣な表情で魔術師の指示を仰いでいる。
指南役の魔術師は純白のローブを纏っていて、フード下の顔は見えない。だけれど、口調や態度から、厳格な人柄なのだと伝わってくる。
「かつての若君は、無詠唱で六属性の魔法を自在に発動しておられました。三年ぶりですから、
「いや、休憩はいらない。続きを頼む」
汗を散らして息を弾ませるジェド様は、生き生きしていて幸せそうだ。今の彼こそが、レナス家次期当主である彼の本来の姿なのだと思う。
(最初からこんなに元気だったら、きっと色々な女性にモテていたんでしょうね……)
ジェド様は過去三度も婚約解消されて、途方に暮れていたけれど。こんなに素敵な姿を見たら、ジェド様を捨てた令嬢たちも自分の判断を悔いるに違いない。
もしかして、今からでも復縁したいと言ってくる女性もいるかも……そんな考えが頭をよぎった途端に、胸がモヤモヤしてきた。
……ジェド様もかなり元気になってきたし、今後は次期当主として社交の場に出る機会も増えるに違いない。今のジェド様なら、ただ立っているだけでも女性が群がってくるはずだ。
(ジェド様もいつか、『本当に結婚したい』と思えるお相手に出会えるかも。……そのとき、私は契約終了ね)
私達の契約結婚は、『三年契約・随時更新』というスタイルだ。だから、私がここに住み続けられるという保証はない。……ジェド様が元気になったことが嬉しくてたまらないのに、いつかこの生活が終わるかもしれないと思うと気持ちが沈む。
(私って、意外と身勝手な女だったのかも……)
素直にジェド様の幸せを願えばいいのに……。彼が他の女性と過ごす場面を思い描くのは、なぜか気が進まない。互いの人間関係に干渉しないという契約に、喜んでいたはずなのに……。
「……土いじり、してこようかな」
気持ちを切り替えるために、鍛錬の見学を切り上げて畑に向かった。
*
そろそろ、ヒマワリの種をまきたいと思っていた――多幸種と呼ばれる品種は、春先よりも第六月頃に植えたほうがよく育つのだ。
ヒマワリは直根性の植物で移植に不向きなので、苗ではなく種から育てようと決めていた。四〇センチほどの深さまでしっかり地面を耕しておいたから、生育したヒマワリが深く根を張っても心配ない。
「さぁ! 植えましょう」
やっぱり、土いじりは心が落ち着く……。鼻歌まじりで作業を続けているうちに、気持ちもすっかり上がってきた。真夏を彩る大輪のヒマワリが咲くのを思い描くと、自然と笑みがこぼれてくる。
(最初はお見舞い用にと思って、切り花向きの小ぶりな品種を選ぼうと思っていたけれど。今はジェド様もすっかり元気だし、外で一緒に見るなら大輪の花のほうが良いわよね)
「…………!」
しまった。ついつい、ジェド様のことを考えてしまった。しかも、育てた花を一緒に見たいだなんて。
(私、最近ちょっと変だわ……)
ジェド様が健やかな笑顔を向けてくれるたび、自分の中で何かが崩れる。ひとりきりで風に吹かれて草花を育てられるのなら、他には何もいらないはずなのに……。
私が自分の変化に戸惑っていた、ちょうどそのとき。
「………………うむ、分からん。この清澄な気配は、いったい何なんだ? この屋敷に何が起きている……!?」
という声が聞こえた。
振り返ると、白いローブを纏った魔術師がぶつぶつと独り言をつぶやきながら内庭を散策していた。あの魔術師は、さっきまでジェド様の鍛錬を指導していた人だ。
「若君が著しくご回復召されたのと、無関係とは思えんが。浄化魔法とも回復魔法とも異なるこの気配は、いったい……」
独り言なのに声が大きいから、かなり遠くからでも聞き取れる。お屋敷の気配が何だかんだ、とか言っているけれど、どうしたのかしら。
「んん!?」
やがて魔術師は、私の畑の前で立ち止まった。フードの下に隠された彼の表情は読み取れないけれど、かなり驚いた様子である。
「な、なんだこの畑は……!? 異質な気配の根源は、ここだったのか!」
はい?
「おい、そこのメイド!」
と、彼は私のほうに顔を向けて声を張り上げていた。……メイドって?
「お前だ、お前。こちらに来い! 早く!!」
あぁ。やっぱりメイドというのは、私のことだったんですね。私は膝の土を払って、畑の外で待つ魔術師のもとへと歩いていった。
「お呼びでしょうか」
「おい、メイド。お前がここの植物の管理をしているのか」
「その通りです」
「……! お前、一体何者だ!」
「はい?」
何者、と言われましても。
(ジェド様の契約妻です、とは言えないし。……ふつうに『妻』と名乗ればいいのかしら)
自己紹介をしようと口を開いたけれど、魔術師はさらに問い詰めてきた。
「お前、ただの魔術師ではないな!? どこの一門だ? お前の付与術は、かなり古い系統のものだな? どこでどうやって身につけた!?」
「あ、あの……?」
何を言っているのだろう。魔術師には変わった人が多いと聞いたことがあるけれど、たしかにこの人はかなり奇抜だ。
「植物への『調律付与』など、見たことも聞いたこともないぞ!」
目深にかぶっていたフードを自分で取り去り、彼は自分の顔をこちらに見せた。真剣な双眸で、私をまっすぐに射貫いてくる。
彼は二十代半ばくらいで、精悍な顔立ちと、さらりと長い金髪……あれ? この人の顔、すごく見覚えがある気がするけれど。
私がぽかんとしたまま彼の顔に見入っていると、彼は業を煮やした様子で私の両肩を掴んだ。
「きゃっ。い、痛いです……」
「おい、答えろメイド! お前は一体何者――」
怒鳴りたてる魔術師の声が、途絶えた。突風が巻き起こり、私の身体がふわりと軽くなる。自分が誰かに抱き上げられたのだと気づいたのは、次の瞬間だった。
「貴様! 俺の妻に何をしている!?」
――え? ジェド様?
ジェド様が、私を横抱きにして抱き上げていた。目の前にいたはずの魔術師が、吹き飛ばされたように数メートル先の地面に尻餅をついている。
「……若君!」
「答えろ、ビクター・リンデル。俺の妻への不敬は許さん」
――ビクター・リンデル?
ジェド様に厳しく問われた魔術師は、驚いた顔で唇をわななかせている。目を見開いた魔術師の顔を見て、私はようやく納得した。この魔術師、リンデル卿と同じ顔をしているわ……態度や髪型は全然違うけれど。
「若君の奥方様……? このメイドが……」
呆然と呟いた魔術師は、ハッとした様子で平伏した。
「いえ、大変失礼いたしました。こちらの女性が奥方様であったとは存じ上げず、大変な非礼を」
「本当に不愉快だ、二度と妻に手を出すなよリンデル。……で? 彼女に何の用だったんだ」
それは……、と一度声を詰まらせてから、魔術師はジェド様を見つめた。
「奥方様が、たぐいまれなる付与術の使い手であるとお見受けいたしましたので。ついつい、探求心に駆られました」
「付与術? モノに魔法効果を与える技だな? ……それをクララが?」
「ええ。こちらの畑にある植物には、高練度の『調律魔法』が付与されております。若君のご回復は、奥方様の植物に触れておられることが原因かと」
「「?」」
私とジェド様は、同時に首を傾げていた。
「もしや、奥方様は『調律師』なのでは……!?」
調律師って、なんですか? 私、魔法なんて使えませんが……。
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