【11】旦那様からのお呼び出しです…。
……監視されている!?
私は後部上方からの視線を感じて、びくりと身を強張らせた。
顔ごと振り返ることはせず、なにげなく後方に目を馳せてみると、案の定……。
(ジェド様ったら、今日も私の畑を見ているわ。いったいどうしたのかしら)
ジェド様の視線に気づかないふりをして、私は花の水やりを続けた。
初めてジェド様の視線に気づいたのは、数日前。なんとなく誰かに見られているような気がして屋敷のほうを振り返ったら、二階の窓からこちらを見ているジェド様と目が合った。どうやら、そこが彼の自室だったらしい。
一度意識してしまうと、どうしても気になってしまう。
彼は一日のほとんどを自室で過ごしているようで、私の作業をかなりの高確率で監視してくる。なんとなく眺めているという感じではなく、明らかに『監視』だ。すごく真剣な顔で、じっとこちらを見張っている。……どうして監視しているのだろう。
(……! もしかしてジェド様、この場所を返して欲しいの!?)
南向きの日当たりの良い場所だから、私に与えるのが惜しくなったのかもしれない。ここに庭園を増設したら、さぞや美しいものが作れるだろう。
(それとも、広い敷地を用意してくれたのに、私か一部しか使ってないから怒っている……とか?)
ジェド様は畑用の場所を五十平米も用意してくれたけれど、私にはそんなに広大な農地は必要ない。趣味の菜園を作るだけだから、最大でも五分の一ほどあれば足りるのだ。だから、いただいた場所をほとんど有効活用できていない。……そのことを、ジェド様は怒っているのかも。
(それとも、私からお花を贈られるのが実は不快だったとか? サーシャは「若旦那様はとてもお喜びです」って言っていたけれど。まさか、あれは社交辞令だったの……!?)
……しまった。喜ばれてると思って、毎日贈り続けてしまった。
私は社交辞令や
(それとも、あの視線は私への牽制!? 飼い主のジェド様を差し置いて、私が猫ちゃんと仲良くしてるから許せない……とか?)
あり得ない話ではない。
ジェド様が猫ちゃんを溺愛しているからこそ、使用人の皆さんは『猫様』扱いで腰を低くしているのだろう。
(ど、どうしたらいいの? ジェド様に怒られる理由が思い当たりすぎて、怖い……!)
私が怯えている間にも、ジェド様は私の背中に焼けつくような視線を照射し続けてくる。どうしよう……逃げたくてたまらない。
私が無言で冷たい汗を流していると、侍女のサーシャがやってきた。
「クララ様。若旦那様がお呼びです」
「……ひっ!?」
朗らかな表情で、サーシャは「若旦那様のお部屋にお出で下さい」と言った。
「な。なんのご用件でしょう……? 私、輿入れの日以来まったくジェド様に呼ばれたことがありませんけど」
「私にも分かりませんが、若旦那様はクララ様とお話をしたいと言っていました」
お話!? 嫌な予感しかしませんが!
「クララ様、お召し替えを致しますので、どうぞこちらへ」
「はい……」
こんなに緊張するのは久しぶりだ。私は青ざめながら、土の付いた作業着から室内ドレスへと着替えを済ませた。
※
「若旦那様、失礼いたします。クララ様をお連れしました」
サーシャに導かれ、私はジェド様の部屋に通された。ソファに深く腰掛けて、ジェド様がこちらを見ている。直接顔を合わせるのは、およそ一か月ぶりだ。
ちなみに、部屋の隅には騎士のリンデル卿も控えていた。
「……急に呼び出してすまない」
「……いえ」
いったい、どの件で怒られるのかしら。私は、不安でびくびくしていた。
「クララ嬢。この家の暮らしには慣れたか。……土いじりは、楽しいか」
「は、はい。おかげさまで……」
私はうろうろしていた目線を、きちんとジェド様へと定めた。彼の翡翠色の瞳と出会う――吊り目がちで切れ長の瞳が、じっと私を凝視していた。整った顔立ちが、美しすぎてひたすら怖い。
「俺の用意した場所を、あまり活用していないようだが。……なにか不満があるのか?」
やっぱり、畑用の土地を持て余していたのが問題だったのかしら……。私は申し訳なくなって、頭を下げた。
「有効活用できず、申し訳ありません。でも、今くらいの広さで十分でして。これ以上だと、手が回りません……」
畑を没収されてしまうかも……とそわそわしていたけれど、彼は「そうか」と呟くと別の方向に話を振った。
「……君は育てた花を毎日俺に贈ってくれるが、大変だったら無理しないでくれ。あと、俺の猫とも仲良くしているらしいな。誰にも懐かない奴だが、君には懐いていると聞いている」
「い、いえ……」
やっぱりお花が迷惑だったの? それとも猫ちゃんと馴れ馴れしくするなということ? どの件で怒っているのか判断できず、私はますます混乱していた。
ジェド様は言葉が尽きて、深刻そうな顔で口をつぐんでしまった。私も、口を閉じてうつむく。――気まずい沈黙が続いたそのとき。
「あー。すみませんが、横から失礼しまーす」
と、リンデル卿が声を差し挟んできた。
「若、もうちょっと素直に気持ちを伝えましょう! クララ様が怖がってます」
ぎょっとして、ジェド様が目を見開いた。
「怖がっている? なぜだ」
「若があんまりにも怖い顔してるからですってば。お礼を言うんなら、もうちょっとにこやかな顔をしてくださいよ。まったく」
――お礼を言う?
不意に、ジェド様はソファから立ち上がって私のすぐ目の前に来た。なぜか頬が少し赤い。
「すまない、クララ嬢。今日君を呼び出したのは、つまり。君に礼を言うためだ」
「……お礼、ですか?」
「ああ。君から花を貰うたび、心が安らぐ。……毎日ありがとう。猫のこともだ。あんな我儘な奴に優しくしてくれて、感謝が尽きない」
私は、ぽかんとしていた。じわじわと、安堵が胸に広がっていく。
「これほど気遣ってもらっているのに、礼の言葉もないのでは流石にマナー違反だと思った。だから、伝えたかった。用件はそれだけだ」
「……私のこと、お咎めにならないんですか?」
「もちろんだ。君は悪い事などなにもしてない」
ジェド様の美貌に笑みは浮かんでいない。真剣な顔のまま、彼は私にお礼を言ってくれた。この表情が彼にとっては標準らしく、怒っているわけではないようだ。
表情筋が乏しいところが、やっぱりネコ科の動物に似ている。……あの猫ちゃんの場合は、態度で気持ちが伝わってくるけれど。
「お言葉、ありがとうございます。私、てっきりジェド様が怒ってらっしゃると思っていたので……勘違いをしてすみません」
笑みを浮かべた私を、ジェド様がじっと見つめていた。
「いや、謝るのは俺のほうだ。……俺の猫が、君の植物を食べてしまったそうだな。君が手塩にかけて育てたものを食い荒らしてしまい、済まなかった」
「いいえ! 猫ちゃんが喜んでくれて、私すごく嬉しいんです! 実家では何を育てても、弟以外は見向きもしてくれませんでしたし。だからジェド様がお花を気に入ってくださったのも、本当に嬉しくて」
顔が自然にほころんでしまう。自分が育てているものを、誰かに受け入れてもらえるのは本当に幸せだ。
そんな私の顔を、彼はやはり瞬きもせずに見つめていた。
「……君は今、どんなものを育てているんだ?」
「え?」
「俺が貰っていいものがあれば、他にも欲しい」
「……本当ですか?」
ジェド様は深くうなずいている。この真剣な様子は……たぶん社交辞令ではなさそうだ。
私は自分の心の中に、ぱぁ……っと花が咲くのを感じた。嬉しすぎて、ついつい力がこもってしまう。
「鑑賞するのと食べるのと、どちらが良いですか!?」
「どちらもだ」
「じゃあ、ちょうどゼラニウムが咲いたので明日鉢植えにして持ってきますね! あと、食べるならミントはどうでしょうか。麦粥にミントを添えると、実はかなりおいしいんです! 私がオリジナルで考えたレシピがありまして、弟が病気になったときに作ってあげたら、すごく喜んでくれて。もしよければ、ジェド様も召し上がりませんか?」
と、私は前のめりになって一息に言った。
「ああ。いただこう」
嬉しい! 胸の中が温かくて、わくわくが止まらない。
「ありがとうございます! それじゃあ、明日の朝に作ってお持ちしますね!!」
「頼む」
ジェド様はほんの少しだけ頬を緩めて、微かな笑みを浮かべていた。
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