【第二章】猫と私の旦那さま

【10】夫視点「何かが、おかしい」

 ――クララ嬢がレナス家に嫁いできてから、もうすぐ一か月。俺は、自分の『異変』に気づいて戸惑っていた。


「おはようございます、若。……なんですかその深刻そうな顔は?」

 朝一番に入室してきたリンデルが、ベッドで身を起こしていた俺に向かって問いかけてきた。


「おかしいんだ」

「何がです?」

「俺の体調がおかしい」

「あぁ。いつもの頭痛ですね。でしたら今、鎮痛薬をお持ちし――」

「いや。逆だ……」


 ん? と首を傾げているリンデルに向かって、俺は深刻な顔で告げた。


「今日は、頭が全然痛くない。……頭痛がないのは、三年ぶりだ」


 吐き気やだるさは相変わらずだが、頭痛がないから普段よりずっと『健康』と言える。……なぜ頭が痛くないんだ?


「リンデル、医者を呼んでくれ。こんなに体調が良いのはおかしい」


「いやいやいや。そこは素直に喜びましょう! それに若の不調は体質的なものだから、医者に診せても無意味だってラパード様も仰ってたじゃないですか」

「それはそうだが……」


 そういえばここ数日、頭痛の程度が徐々に軽くなっていたような気がする。頭を内側からガンガン叩かれるような鈍痛が、ずきずきする程度へと改善されていた。


 いったいどうしてだ? と俺が考え込んでいると、リンデルの奴はニヤけながら変なことを言い出した。

 

「愛ですよ、愛の力。クララ嬢のことばっかり考えてるから、頭痛なんてどうでもよくなっちゃったんじゃないですか?」

「馬鹿言うな!」


 俺が投げつけた枕を、リンデルは容易く躱して見せた。――が、奴の動きを見越していた俺は、固い生地で造られた足枕もほとんど同時に投げつけていた。


「痛っ」

 足枕のほうはリンデルの顔にぶつかって跳ね返り、サイドデスクの上に落ちそうになる。


 サイドデスクに置いてあった花瓶を、俺はとっさにかばった。花瓶には、クララ嬢が育てた花が飾ってあるのだ。ここ一週間ほど毎日、彼女はいろいろな花を贈ってくれた。直接持ってくることはなく、侍女が運んでくるのだが。


「気を付けろ、リンデル。花瓶が倒れるところだった」


「若が枕を投げたせいでしょ、まったく。……確かに今日は、いつもより動きにキレがありますね」


 溜息をついているリンデルを無視して、俺はカーテンを開けて窓の外へと目を投じた。今日も彼女は、内庭で土いじりにいそしんでいる。朝に昼に夕方に、こまめに畑に来ていろいろな草花の面倒を見ているようだが……よく飽きないものだ。


 ――と。不意に、内庭にいたクララ嬢と目が合った。


「「!」」


 二階の窓越しに見ていた俺と、内庭から屋敷を何気なく見上げたクララ嬢……目が合ったのは初めてだ。彼女は、俺の部屋が意外と近くにあったことに気付いていなかったらしい。びっくりした顔で硬直していたが、やがて気まずそうに小さな礼をすると、背中を向けてしまった。


「あ……」

 思わず、口から声がこぼれた。別に、彼女に背を向けられてショックを受けた訳ではない。


 だが彼女は、俺を恐れているような態度だった……。嫁いできた初日に「俺にかまうな」とか「一日二分が限界だ」とか、冷たく突き放してしまったのだから当然かもしれない。


(やはり嫌われてしまったか……)


 毎日花を贈られるものだから、俺は少しばかり浮ついていた。こんな経験は初めてだったし、正直を言えば彼女の優しさをとても好ましく思っていた。……だが、やはり嫌われていたらしい。


 俺を嫌っているにも関わらず見舞いの花をプレゼントしてくれるのは、彼女が優しい性格だからに違いない。


 俺はまぶしいものを見るような目で、庭のクララ嬢を見つめ続けた。


「ふふふ。青い春が来ましたねぇ、若」

「……やめろ。そういうのじゃない」

「まぁ、冗談はさて置いて。実際、前よりかなり顔色が良いですよ。何が原因かは分かりませんが、若が元気で嬉しいです」


 リンデルも窓の外からクララ嬢の畑を眺めていたが、ふと思い立ったように、妙なことを言い出した。


「あぁ。具合がよくなったのって、『ネコ草』食ってるからじゃないですか?」

「なんの話だ?」

「草ですよ、ネコが食べる草。霊獣化した若は、いつもクララ様の育てたネコ草を食ってますから。なんか、体に良いらしいですよ」


 ネコ草を。………………俺が、食っている!?


「おい待て! クララ嬢は俺に、ネコ草なんか食べさせているのか!?」


 俺は豹だ。決して断じてネコなんかじゃない! そう叫ぼうとしたが――


「何言ってるんですか。若が勝手に、畑のネコ草を食ってるんですよ。クララ様は優しいから全然怒らないし、むしろ喜んでいろんな種類を育ててますよ。胃に負担が少ないとか栄養があるとかなんとか、ともかく張り切ってました」


 絶句した。

 コントロール不能な自分自身が恐ろしい……。


「おい、リンデル。今度から俺が霊獣化したら、檻に閉じ込めて外に出すな!」


「そりゃダメです。霊獣化した若を放し飼いにして見守れと、ラパード様から命令されてますんで」

「は、放し飼い……」


「こまめに霊獣化して体を動かしたほうが、魔力回路が安定しやすくなるそうです。だから今後も、思う存分お散歩してください」


 俺はうろたえた。

 自分が仔猫みたいな姿になって、彼女の育てた草を食べたり、彼女に甘えて頬を舐めたりしている様子を思い浮かべると、恥辱で死にたくなってくる……。


「それならせめて、俺をクララ嬢に近寄らせないでくれ。万が一、彼女の前で人間の姿に戻ったりしたらどうするんだ。俺の幼霊獣化は、レナス家の機密事項――」


「バレてもいいじゃないですか。彼女はもう、レナス家の人間なんだから」

「あくまでも契約結婚だ!」

 と俺が訴えても、リンデルは口笛を吹いて無視を決め込んでいた。


「おい! ……本当に頼む。彼女に俺の醜態を知られたくないんだ」


 俺が恥ずかしいのは勿論だが、クララ嬢だって猫が俺だと知ったら嫌がるに決まっている。

 

「若。いきなり『猫ちゃん』が来なくなったら、クララ様は悲しみますよ? 土いじりと同じくらい、彼女は霊獣化した若を気に入ってるんですから」


 彼女が、俺を気に入っている……? ペット扱いだと分かっているのに、なぜか胸がざわついた。


「大丈夫ですって。もしクララ様の前で若の霊獣化が解けそうになったら、私が全力で隠し通しますので」


 自信満々で胸を張るリンデルの言葉を、俺は黙って聞いているしかなかった。


(……まぁ、クララ嬢もそのうち、俺に構わなくなるだろうしな)

 それならそれで構わない。……そもそも契約結婚なのだから。




 しかし、翌日以降もずっと、クララ嬢は花を贈り続けてきた。今日はどんな花を――と、つい待ち遠しくなってしまう。畑で楽しそうに土いじりをしている彼女のことを、つい窓から眺めてしまう。


 彼女は俺の視線にまったく気づいていないようなので、ついつい長時間眺めていた。


「……さすがに、クララ嬢に礼くらいは言うべきか」

 そう思い立ち、俺は侍女のサーシャを呼びよせた。



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