【12】夫視点「…『あーん』するのか?俺が!?」

 ――翌朝。


「ジェド様、おはようございます。麦がゆをお持ちしました」


 サービングカートを押しながら、クララ嬢が俺の部屋に入ってきた。ベッドから出ようとした俺に「そのままで大丈夫です」と声を掛け、彼女はベッドの脇までカートを運んでくれた。


「ありがとうクララ嬢。朝早くから悪いな」

「いいえ」


 笑みを咲かせるクララ嬢を見て、俺の心は踊っていた。料理を作ってくれるという昨日の約束を、彼女は本当に守ってくれたのだ。……常につきまとう倦怠感や吐き気も、今はどうでもいいと思った。


「君の手作りなのか?」

「ええ。自分の育てたものを、自分で調理するのが大好きなんです! 実家の父や妹は『料理なんて使用人の仕事だ』と言って難色を示していたんですけど。でも、あまりに料理が楽しくて、聞こえないフリをしていました」


 そんなことを言いつつ肩をすくめるクララ嬢は、茶目っ気があってかわいらしい。おっとりしているように見えて、意外と芯のある女性のようだ。


「クララ嬢。当家の厨房は、好きな時に使うといい。料理人にも話を通しておく」

「ありがとうございます!」


 晴れやかに笑う彼女を見ていたら、胸が高鳴ってきた。


 正直を言うと、俺は麦粥が苦手だ……いくら体に良いと言っても、歯ごたえが無くて味が薄くて、正直言って美味くない。だが、クララ嬢が用意してくれたものは、きちんと全部食べると決めていた。


 彼女は麦粥に入れるハーブの種類や好みの味付けなどをいろいろ尋ねてきたが、俺にはよく分からなかったので「君が弟に食べさせたときと、すべて同じやり方にして欲しい」と頼んでおいた。そのほうがクララ嬢にとっても、やりやすいはずだと思ったからだ。


 クララ嬢は、料理を覆うクロッシュを外した。湯気を立てる麦粥を手に取りながら、彼女は俺に尋ねてきた。


「ジェド様。弟と同じやり方だと二分では終わりませんが、本当に良いんですか? たしか、面会は一日二分と……」


「大丈夫だ。『一日二分』というのは、ただ不機嫌で口走ってしまっただけなんだ……。ワガママを言って、本当にすまなかった」


 いつ霊獣化するか分からないから、できるだけクララ嬢を寄せ付けたくないと思っていた。……だが、可能ならもっと長く居たいと、今では思う。


 万全を期して、リンデルには部屋の外で待機してもらっている。もし俺の霊獣化が始まったら、すぐにリンデルがクララ嬢を退室させる手はずになっているのだ。霊獣化には数十秒はかかるから、リンデルがいれば何とかなる。


「分かりました。それでは失礼します。はい、あ~ん」


 ……あ~ん?


 気づくと、クララ嬢は俺のベッドの横に座っていた。粥の入った深皿を持ち、反対の手でスプーンを持って俺の口元に差し出している。まるで、母親が幼児に食べ物を与えるときのように……。


 優しい笑顔で、彼女は俺に『あ~ん』をしていた。


「………………クララ嬢。君が何をしてるのか、よく分からない」

「お口を開けてください。ちゃんとフーフーして冷ましてあるので大丈夫ですよ」


 何が大丈夫なんだっ。顔が一気に熱くなった。慌てふためく俺を見て、クララ嬢はこてんと首を傾げた。


「ジェド様は『弟に食べさせたときと、すべて同じが良い』とおっしゃっていたので。味付けも食べさせ方も、全部同じですが」


 天然か。彼女は天然なのか。


 自分で食えるわ! と叫びそうになったが、むげに断ると彼女が傷つくかもしれない。……長くためらった末、俺は目線をさまよわせながら唇を開いた。


 彼女の握るスプーンが、そっと口の中に運ばれる。


 ふわりとした感触が、舌に乗った。


「…………! これは!」

 美味い。

 これが本当に麦粥なのか?

 舌に広がる滑らかな食感とともに、チーズのコクと酸味が口腔内を満たしていく――温かいのに、どこか涼やかだ。ミントの清涼感が、のどを優しく癒していった。


 目を見張る俺の顔を見て、クララ嬢は慈母の笑みを深めていた。


「お気に召しましたか?」

「ああ! 粥がこんなに美味いと思ったのは初めてだ!」


 彼女が再び『あ~ん』してくれたので、俺は躊躇なく口を開けていた。ふたくち、くちと食が進む。


「……懐かしいです。弟もおかゆを食べたとき、ジェド様みたいな顔をしてました」


 彼女は語った。幼かった弟が流行り病に倒れて何も食べられなくなったとき、このレシピを考えたのだという。素材はシンプルだが下ごしらえにこだわっており、隠し味のハーブも数種類入れているそうだ。


「弟も最初は嫌がっていましたが、食べたとたんに目を輝かせていて。病気で衰弱していた弟は、その日を境に少しずつ元気を取り戻していきました。……弟のウィリアムが大病をしたのは不幸以外のなにものでもありませんでしたが、あの病をきっかけに、弟は私に心を開いてくれたのだと思います」


 クララ嬢と弟は七つも年が離れていて、母親が違うそうだ。そのためか、昔は弟からもあまり好かれていなかった――と、遠い昔を思い返すように彼女は言った。


「そうだったのか」

「あなたにも、元気になってもらえたら嬉しいです……」


 穏やかな瞳にどこか切実な色を込めて、クララ嬢は俺に言った。


「明日も、お作りしてもいいですか? おかゆだけだと飽きますから、いろいろなものを作ります。ご迷惑でなければ、これからもずっと」


 ずっと。

 その言葉に、頬が熱くなる。


「――頼む」


 彼女は笑った。なんて美しい人なんだろうと、俺は思った。


 皿に残っていた粥も、彼女がすべて俺の口へと運んでくれた。彼女にとって、俺に手料理を食べさせるのは、弟の面倒を見るのと同じようなものなのかもしれない。だが、それで十分だ。本当に、俺は幸せだ――。

 

 そのとき。


「……ごほっ」

 不意に咳が込み上げて、止まらなくなった。息ができないほど咳き込む。食ったばかりのものが、胃からせり上がるような感覚も込み上げてくる。俺は自分の異変に戸惑った。


「ジェド様!?」

 クララ嬢が俺の背をさすろうとしたのと同時、リンデルが入室してきた。俺の霊獣化が始まりかけているのだと思ったらしい。


「クララ様、若のお世話は私が代わります。ですので、今日はお引き取り下さい」

「でも……!」

「心配いりませんよ。伊達に六年もお世話係してませんので」

 爽やかだが有無を言わせない態度で、リンデルはクララ嬢を立たせ、退室させようとした。次の瞬間。


「ごほっ!!」

 ひときわ大きく咳き込むと同時、俺は口から『何か』を吐き出した。紫色の光の塊みたいな『何か』は、俺の口から出た瞬間に弾けるように消えてしまった。


 クララ嬢もリンデルも、目を見開いて俺を見ている。

 一方の俺は、光を吐き出した直後に体が軽くなるのを感じた。吐き気も消えて、驚くほどに爽快だ。今のは、何だったんだ――? と俺が戸惑っていると、


「…………毛玉が!」


 と、クララ嬢が意味不明なことを口走っていた。

「毛玉?」

「ええ! 仔猫ちゃんも前に、ジェド様と同じ毛玉みたいなのを吐き出していたんです! マグラス家に迷い込んできたときのことですが……吐き出した瞬間、とても元気になって」


 どこをどう見ても毛玉には見えなかったぞ?

 だが、身体がすっきりしたのは事実だ。吐いた瞬間、楽になった。


「若、今のはきっと『魔力溜まりペレット』です!」

 驚いた顔のまま、リンデルは言った。


「ペレット? ……なんだそれは」

「レナス家の男性に特有の現象らしいですよ。魔力が正常に巡らず体内に滞ると固まりができるそうで、それが魔力溜まりペレット』です。通常は直接吐き戻すことはできず、魔法を使うことで強制的に魔力を巡らせて固まりを溶かさなきゃいけないそうです。でもたまに、今みたいに固まりごと吐き出せるらしいんですよ! 吐き出すとすごくスッキリするって、ラパード様が言ってました」


 良かったですねぇ、若! と言って、リンデルは親指を立ててGoodサインを送ってきた。唖然としていた俺だが、ふと我に返ってクララ嬢を見た。


(……リンデルの奴! 猫が俺だと、間接的にバラしてるじゃないか!)


 レナス家の男に特有の現象だと明かせば、猫の正体が俺だという事実に繋がってしまう。クララ嬢は気づいてしまっただろうか……。

 

 しかし、クララ嬢はぽかんとした顔のままだった。


「……ネコは飼い主に似ると言いますものね」

 なぜか納得した様子で、彼女はうなずいている。


「よく分かりませんが、楽になって良かったですね! ジェド様」

「あ、あぁ……」


 胸をなでおろしているクララ嬢を、俺はただただ見つめていた。

 ……彼女が天然で、助かった。


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