【6】ネコ草、おいしいですか…?
ポカポカとした春の日差しの中、私は自分の『畑』でハーブの苗植えを楽しんでいた。
レナス家に嫁ぎ、ジェド様から畑を作る場所をプレゼントされてから早二週間。
そして今日は、待ちに待った苗植えの日なのだ。
記念すべき第一回の苗植えには、大好きなレモングラスを選ぶことにした。庭師に頼んで取り寄せてもらった二十株の苗は、春風に吹かれて幸せそうに葉を揺らしている。
地に植えられる瞬間を、今か今かと待ち望んでいるかのようだった。
「うふふ……待っててね。すぐに植えてあげる」
恍惚の表情でそうつぶやいた私のことを、やたら心配そうな顔で侍女のサーシャが見つめている。
「あの、クララ様。本当に、ご自分で植えるんですか?」
「ええ!」
「でも、クララ様は当家の若奥様ですのに……。そのような労働、クララ様がなさらなくても」
侍女のサーシャは私と同じくらいの年齢、二十代の前半に見える。亜麻色の髪が美しく、細やかな配慮が行き届いた、まさに侍女の鑑というべき素敵な女性だ。そしてやはり、サーシャも土いじりには抵抗があるらしく、私の作業を遮ってたびたび心配そうに声をかけてくる。
「大丈夫ですよ、サーシャ。これは、私が望んでやらせてもらっていることなので」
汚れても大丈夫な服に着替えて苗植えをしている私は、どこをどう見ても「若奥様」には見えないだろう。ジェド様はやっぱり器が大きい人だ。本当に、良いご縁をいただいてよかった。
私は鼻歌交じりで、苗を次々と植えていった。……すると、
「にゃぁ」
愛らしい鳴き声と同時に、もふっと柔らかな重みが肩に乗っかってきた。
「猫ちゃん! 今日も来てくれたのね」
「にぃ」
サーシャが、「まぁ……今日もですか!?」と驚いた顔をしている。
そう。毎日のように、この子はどこからともなくやって来るのだ。ひとしきり甘えてから気まぐれに去っていく日もあるし、ずっと私から離れなくてリンベル卿に無理やり引っ剥がされる日もあった。
……なぜか騎士であるリンベル卿は、猫ちゃんのお世話係を任せられているようだ。いつも忙しそうに、仔猫を追いかけている。「ペットの世話って、メイドの仕事では?」と内心思うけれど、興味本位であれこれ聞くのは良くないから黙っている。
肩に乗っていた仔猫を両手で抱きあげて、私は尋ねた。
「あら、あなた今日はちょっぴり体調が悪そうね。大丈夫?」
「みぅ……」
サーシャが驚いたように目を見開いた。
「私にはいつも通りに見えますが……クララ様には違いが分かるのですか?」
「ええ、なんとなく。ほとんど毎日、間近に見てますし……」
毎日のように見ているとは言っても、実際には十分くらいの短時間だけれど。私といないとき、この猫ちゃんがどのように暮らしているのかを私は知らない。
ジェド様のペットだから、彼のそばで過ごしてるのよね、きっと。
「退屈になって、遊びに来ちゃったの? 勝手にいなくなったら、ジェド様が心配するわよ?」
「みゃー」
我関せず、と言った様子で仔猫は私の掌にふわふわの体をすり寄せてきた。
(……ジェド様って、仔猫と一緒のときはどんな感じなのかしら)
人間嫌いらしいけど、もしかして仔猫の前ではデレデレだったりして……。想像すると、微笑ましい。
この仔猫について使用人の皆さんに尋ねても、なぜか全然教えてもらえない。名前を聞いても「分かりません」と言われてしまうし、普段どこで過ごしているかも「把握していません」の一点張りだ。
もしかすると、仔猫のプライベート(?)に関しては、ジェド様が
「ジェド様ったら、よっぽどこの子を独占したいのね」
こんなに可愛いのだから、独り占めしたくなる気持ちは分かる。病弱で部屋に篭もりがちだから、この子が唯一の癒しだったりするのかもしれない。
(……輿入れの日以来まったくジェド様に会っていないから、仔猫以上にジェド様の生態系が不明なのよね)
「俺に構うな」と言われた以上、もちろん干渉する気はない。でも、元気でいてほしいと思う。だって、私の恩人だもの……。などと思っていたそのとき。
むしゃっ。
「……えっ?」
いきなり、仔猫が私の苗を食べた。柔らかい葉っぱをかじって、むしゃむしゃと食べている。
私もびっくりしたけれど、私以上にサーシャが取り乱していた。
「きゃぁああ!! お、おやめ下さいませ、何をなさってるんですか!?」
なぜ敬語?
サーシャは青ざめて仔猫を草から遠ざけようとし、仔猫に「しゃぁあ!」と威嚇されていた。私は、苦笑しながらサーシャに声をかけた。
「サーシャ、大丈夫です。食べても害はありませんから」
「そ、そうなのですか?」
「はい。レモングラスは、ネコ草の一種なので」
ネコ草……? と、サーシャは怪訝そうな顔で問い返した。
ネコ草というのは、その名の通り猫が好んで食べる草のこと。猫は肉や魚を食べる動物だけど、実はイネ科の草を食べるのが好きな子もいる。
なぜネコ草を食べたがるのかはよく分かっていないらしいけれど、前に読んだ本では『毛玉を吐き出しやすくするため』とか『単純においしいから』とか、いろいろな説が書かれていた。
「にゃあ!」
どうやらジェド様の仔猫も、ネコ草が好きみたいだ。
「レモングラスは、猫によって好き嫌いが分かれるそうです。この子は気に入ったみたいですね」
言いながら、私は仔猫の背を撫でた。
「でも、あなたはまだ小さいから、食べるのはほどほどにね。食べ過ぎるとおなかを壊しちゃうかも」
「みぃ……」
サーシャがなぜか、尊敬のまなざしで私を見つめていた。
「さすがクララ様、なんて博識なのでしょう! それに猫様との意志疎通も完璧です!」
ね、猫様? 呼び名、それでいいんですか?
「博識なんてとんでもないです。これはただの趣味で……」
ネコ草を食むのに飽きたのか、仔猫は私の指をぺろりと舐めてから、とことこと歩いて行ってしまった。お散歩したい気分になったらしい。すごく機嫌が良さそうで、さっきより具合も良くなったみたいだ。
「迷子にならないでね。お散歩が済んだら、ちゃんとジェド様のところに戻るのよ」
みゃーん、と返事のような鳴き声を残して、仔猫はどこかに行ってしまった。
「あんなに喜んでくれるなら、いろんな種類のネコ草を育ててみようかしら。燕麦とかハト麦とか……」
せっかくジェド様にもらった畑だもの。思いきり活用したい。
「サーシャ。ジェド様の好きなお花、分かりますか?」
「若旦那様の好きなお花ですか? いいえ、存じ上げません。花を愛でている姿を見たこともありませんし……」
「じゃあ、サーシャの好きな花を教えてください。せっかくだから、いろいろ育ててみたくて」
「まぁ。よろしいんですか?」
サーシャとお花の話で盛り上がりながら、今後の計画に胸を膨らませていた。
だから、私は気づかなかった――ひとりの騎士が、物陰に潜んで私を観察していたことに。
***
「やっぱり若は、クララ様にベタ惚れみたいだな。ようやく若にも春が来たか……いやぁ、良かったよかった! これならいずれ、
騎士ディクスター・リンデルは満足そうに呟くと、その場を去って『猫』を追いかけた。
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