【22】実家、全滅。

 ――月日は流れ、八月上旬。実家の様子が気になって、ウィリアムは約三か月ぶりにマグラス伯爵領に戻った。


 実家に着くなり、彼は唖然とした。敷地内に入るために門番に声を掛けようとした直前、内側から門が開いて老人が放り出されてきたからである。それと同時に、父であるマグラス伯爵の怒号が響いた。


「無能な庭師め! 貴様のせいでヒールトーチがついに全滅してしまった! この役立たずが!」


「だ、旦那様、どうかお許しくだせえ!」

「うるさい! 貴様はクビだ、二度と顔を見せるな!」


 がしゃん。と閉まる門の音。父は帰省したウィリアムにも気づかず、激怒して屋敷の中に戻っていった。老いた庭師が、地面に尻餅をついたまま泣きべそをかいている。


「ジミー」

 ウィリアムは、庭師に呼びかけた。ハッとして、庭師が顔をあげる。


「ウィリアム坊ちゃん!」

「ヒールトーチが全滅したのか?」

「……へい。申し訳ございやせん」

 うなだれる庭師を見下ろしながら、ウィリアムは溜息をついた。


「お前のせいじゃない。あれはもともと、育つはずのない植物だったんだ」


 ウィリアムは懐から財布を取り出すと、銀貨を五枚取り出して庭師の手に握らせた。


「ほら。これだけあれば、当分は暮らせるだろ」

「ぼ、坊ちゃん、これは……?」

「次の働き口が見つかるまでの生活費にするといい。これまでご苦労だった」


 坊ちゃん……。とむせび泣く庭師をその場に残して、ウィリアムは領主邸の門をくぐった。


 花壇のヒールトーチがすべて枯れ果てていたのは、想定通りだ。……しかし、それ以外のもろもろは、ウィリアムの予想を上回って『酷い有様』になっていた。


 屋敷の使用人の数が激減している――使用人に聞いてみると、「旦那様が事業の赤字を埋めるために、大量に解雇した」とのことだった。事業の赤字というのは、言うまでもなくヒールトーチの美容液のことだろう。原材料が枯れてしまったのだから、無理もない。


(だから、ヒールトーチで金儲けなんてやめろと言ったのに!)

 と、ウィリアムは心の中で悪態をついた。


 父に会うために執務室へ行ったが、ノックする前に部屋の中から父とデリックの話し声が聞こえた。父は大激怒し、デリックは申し訳なさそうに声を上ずらせている。


「デリック君! 君の提案通りにすれば上手くいくんじゃなかったのか!? 君の美容液に切り替えた時期から、肌荒れのクレームが出始めたんだぞ? 今じゃあクレームと返品の嵐だ!」


「す、すみません。想定外でした……。まさかマユツバコガネムシの体液が、人間の汗に反応して刺激性を持つなんて」


「あんなに自信たっぷりにしてた癖に、なにが想定外だ!」


 父とデリックの話を立ち聞きして、ウィリアムは首を傾げた。

(……虫の体液? 刺激性? 何の話をしているんだ?)


 詳細はよく分からないが、美容液で肌トラブルが起きているということはウィリアムにも理解できた。在庫切れで顧客からお叱りを受けている訳ではなく、別の問題が起きているらしい……。


「くそっ。今朝、とうとう宮廷から通達が来た。……来月、この屋敷に宮廷の査察官が来て、ヒールトーチの栽培現場を確認するそうだ」


「さ、査察!?」


「花壇の花が枯れていたら、怪しまれて色々探られるかもしれん! こうなったら査察が入る前に、新しいヒールトーチを植えねばならん! デリック君、どうにかしてシャムイ山麓のヒールトーチを入手してこい」


 えぇ!? と、デリックが情けない声を出している。


「ムリですよお義父さん! シャムイ山麓のヒールトーチは回復薬の原材料だから、厳重に管理されているんです。もし盗んだりしたら死刑に……」


「知らん! 密輸でもなんでもいいから持ってこい! 早く!!」

「ひぃ――!」

 

 父の剣幕に押されて、デリックは半泣きで執務室から飛び出してきた。ドアの外にいたウィリアムに目もくれず、慌てふためいて駆け去っていく。


 ウィリアムは呆れた顔で、デリックの背中を見送っていた。

(……父さんもデリックも、すっかり冷静さを失っている。まさか本当に、北部のヒールトーチを盗んだりしないだろうな)


 いくら馬鹿でも、そこまで無謀なことはしないだろう。……そう思い直して、ウィリアムは溜息をついた。


(父さんにマグラス家の状況を聞き出すために戻ってきたけど、聞くまでもなく事態は最悪っぽいな。……僕がいま話しかけても、あの調子じゃ『無能』呼ばわりされるだけだろう)


 ウィリアムはノックするのをやめて、ドアの前で踵を返した。廊下を歩いていたそのとき――。


「まぁ、ウィリアム! 帰っていたのね!」

 と、甲高い声が響いた――二番目の姉、イザベラの声だ。


「……イザベラ姉さん」

 イザベラはこちらに駆け寄ると、不満そうに唇を尖らせて文句を言い始めた。


「聞いて頂戴! お父様もデリックも本当に無能なのよ? あの二人が大失敗をしたせいで、わたくし社交場に行っても皆に避けられてしまって!」


「何があったんだ?」


「最近販売したぶんの美容液のせいで、肌荒れが起きたというクレームが殺到しているの。わたくしが宣伝していたから、わたくしまで『粗悪品を売りさばく悪女』呼ばわりされてしまって!」

 

 ここ最近販売したぶん……?


「待ってくれ、姉さん。最近販売したって……在庫もないのに、どうやって? 父さんの手紙には、ヒールトーチは五月下旬から萎れ始めて、在庫は六月中には尽きるって書いてあったけど?」


「ああ、それは本物の美容液ね。クレームが出ているのは、本物じゃなくての美容液ですもの」

 当たり前のように、イザベラは答えた。


……偽装!? ただならぬ言葉を聞いて、ウィリアムは顔を引きつらせた。


「な、なんだよ、偽装って」


「だから。ヒールトーチが手に入らなくなったから、別の材料で美容液を作り続けていたのよ。デリックが、本物そっくりの美容液を作れる材料を見つけたの――でも、その材料は肌荒れを起こすらしくて。わたくしはその美容液を使ってないから、全然関係ないけれど」


 姉の言葉を聞いて、ウィリアムは愕然とした。


「ちょっと……待てよ、ニセモノを作って売りさばいてたってことか? そんなの、犯罪じゃないか!」


「文句があるならデリックとお父様に言って頂戴。わたくしは関係ないもの!」


 つん、とそっぽを向いたイザベラのことを、信じられないモノを見るような目でウィリアムは見つめていた。


(……なんだよ、こいつら。責任感なさすぎだろ!! これはれっきとした詐欺だ!)


 青ざめているウィリアムの腕に、イザベラが甘えて絡みついてきた。


「ねぇ、ウィリアム。今から一緒にショッピングに行きましょう? デリックは最近、全然かまってくれないんですもの。あんな退屈な男が婚約者だなんて、最悪だわ!!」


「…………僕は帰る」

「え?」


 イザベラの腕を振りほどき、ウィリアムは踵を返した。


「帰るって。ここはあなたの家でしょう?」

「アカデミーに帰る。こんな実家とは、もうやっていけない」

「?」


 目をぱちぱちとしばたたいているイザベラを振り返り、ウィリアムは鋭く言い放つ。


「マグラス家は全員どうかしてる! クララ姉さんが跡を継ぐなら全力で支えたいと思っていたけど、そうじゃないならこんな実家、面倒見きれない!」


 吐き捨てるようにそう言うと、ウィリアムは屋敷から飛び出していた。


(冗談じゃない! こんな奴らに巻き込まれるのはごめんだ!)


 険しい表情で、マグラス邸の門を出た。ウィリアムが、王都行きの乗り合い馬車乗り場に向かおうとしていると――。


「……ウィリアム坊ちゃん」


 どこからともなく姿を現した庭師のジミーが、おずおずと声を掛けてきた。


「まだいたのか、ジミー。何か用か?」

「………………」


 言葉を選ぶように沈黙していたジミーは、やがて意を決したように言葉を吐き出した。


「坊ちゃんにだけは、隠さずにお伝えしますだ。ヒールトーチを枯らさない方法、おれ、本当は知ってます」


「何だと!?」


「旦那様に教えると、怒られると思っただ。……だから、ずっと黙ってたけど。坊ちゃんにはご恩があるから、正直に教えます」


 花壇のは枯れちまったが、種がお屋敷に少し残ってるから、まだやり直せるだ。――と、ジミーは真剣な声で言った。


「方法って、何なんだ?」

「噓じゃねぇんで、真剣に聞いてくだせぇ……」


 そしてジミーは、はっきりと告げた。


「クララお嬢さまに手伝ってもらえば、ヒールトーチは枯れねぇだ! どういう訳だか昔っから、クララお嬢さまが触るとヒールトーチが元気になるだよ!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る