この世の理
「私と手合せしてください」
…………
……
私はこの世界に絶望していました。
私が産まれたのはレステラ王国のエリオット侯爵家。エリオット侯爵家はこの国の中でも上位の貴族であり、産まれ落ちたその日から、私が望むことは尽く実現されてきました。
それに私には魔法の才もありました。それは生半可なものでは無く、まさしく神童と呼ばれるに相応しいもの。お祖父様が
しかし、私はそれに驕ったことなど一度もありません。もし神が本当にいるのなら誓いましょう。
魔法も、剣術も、勉学も、貴族としての在り方も、誰よりも直向きに努力を重ねている自信があります。
でもそれが何でしょう?
このまま何もせずとも、学校を卒業し、親が決めた相手と結婚し、子を成し、そして死ぬ。
この国は一応女性でも優秀であれば当主となることのできる仕組みですので、私が家督を継ぐこともあるかもしれません。
それで?
私の生きる意味とは?
私の人生における意義とは?
国を豊かにすることでしょうか?
国民が安全に暮らせる環境を作ることでしょうか?
それについては片手間でも十分に、他人よりも遥かに価値ある貢献ができると思います。
申し訳ありませんが、
では何に?
それが分かっていれば絶望などしていないでしょう。
まるで結末の分かっている小説を読まされているような、酷く退屈な時間。
それをあと何十年と続けなければならないなど、私は前世でどんな業を犯したのでしょうか。
――『そう言えば、もう一人、愛想と目付きの悪い少年もおりました』
ある日、お祖父様の下から帰った使者が言いました。
どうやらクロム家の子女が単身でお祖父様の下へ弟子入りの直談判をした様ですが、話はそれで終わりではありませんでした。
少年?
『はい、1人で森にやってきて、賢者様と同居することとなったようです』
二人目の弟子ということ?
『いえ、それが……弟子と言う感じではなく……、なんと申しますか、ただの同居人という感じでした。リーシャ様よりも少し前からいるようです』
どこから?
『それが分からないんです。こちら側から森へ入るにはフギの街を経由する必要がありますが、誰もそんな少年を見てはいないようでした。あの辺りは魔獣もでますので、あまり村も存在していませんし、……いったい何処から来たんでしょう?』
使者とは偶に話す程度でしたが、それからは帰ってくるのを捕まえては話を聞きました。
使者がお祖父様の下へ向かうのは三月に一度。小説の新刊が出るのを待ちわびるかの様に、私は使者の帰りを待ちました。
『どうやら件の少年は凄い方だった様です。あのリーシャ様よりも魔法がお上手で驚きました。それと、意外と面白い方なのかもしれません。魔法は賢者様と出会ってから始めて見たなどと冗談も言っておられましたから』
……冗談……なのでしょうか?
確かに先日始めて魔法を覚えた人間が、リーシャさんより優れているなど信じられません。気に食わないですが、あの娘は確かな才と技術を持っているのですから。
でも折角こんなに面白そうな話なのです、それを冗談と流してしまっては余りにも普通で凡庸で……詰まらない。
しかし、現実として産まれて15年近くも魔法に触れずに生きてこられる訳はありません。この世界に生きる限り、衣食住全てに魔法が組み込まれています。
魔法を使わないとなると、その日の食事でさえ作れない人間が殆どでしょう。私も知識としては知っていますが、魔法を使わずに火を起こすことができるかどうか。
……いえ、そういった人間は確かに存在していますね。
もしあちら側の住人であれば、これほど心躍ることはありません。
《穢れた地》と呼ばれる世界はどんな場所なのでしょう?
越えられない筈の壁を、どのような手段を用いて越えたのでしょう?
……お会いしてみたい。
私はこの小説の主人公のファンになってしまいました。
ある時はドラゴンを単独で討伐したと。
ある時は龍核から義眼を創り上げたと。
使者の口から語られる物語は、私と同じ年齢の方の功績とはにわかに信じ難いものばかり。
ああ、もちろん国や他の貴族に盗られる訳にはいきませんから、使者には少年についての他言は無用だと厳命しました。
日を増す事に私の身勝手な想いは膨れ上がります。
そして遂にリーシャさんがお祖父様の下を離れ、学校へ復帰されたと聞きました。
直ぐさま予定を調整し、訪問への同行の許可を得ました。元々数年に一度は同行していたので許可を得ることは簡単です。
出発の前日、私は産まれて始めて眠れない夜を過ごしました。
…………
……
「あ? 嫌だね、俺は今筋トレ中なんだよ」
「……」
断られてしまいました。
「今は休憩中じゃないですか。少しでいいのです、お時間を頂けませんか?」
「バカかお前? 休憩じゃなくてインターバルなの、インターバルも筋トレの一部なの、分かる?」
産まれて初めて馬鹿と言われてしまいました。
「でもその腕ですと今日のトレーニングは続行不可能では?」
「続行不可能だと思う相手に勝負を挑むなよアホ」
産まれて初めてアホと言われてしまいました。
「それにな、もう無理と思ってからが本番なんだよ、筋トレってのは」
私は剣を振るための鍛錬はしますが、筋トレというのは初めて見るので分かりません。そういうものなのでしょうか?
「そうですか。確かに今の状況ですと手合わせもフェアではありませんし、トレーニングが終わるのを待たせて頂きます」
お疲れの様子ですし、明日までの辛抱ですね。
「おい、ちょっと待て」
「はい?」
「それはあれか? 今の俺になら勝てそうだと、そういうことか?」
「?……はい。腕が使えない状態に見えますが……」
流石にそんな状態であれば此方に分があるように思えます。いくら魔法使いと言えども、この近距離での勝負となれば身体も使うことになりますし。
「よし、分かった。そこまで言うならやってやんよ」
首と眉間に青筋を立てるノア様。何をどこまで言ってしまったのか分かりませんが、手合わせ頂けるのであれば嬉しい限り。
「……よろしいのですか?」
「よいよい、苦しゅうない。箱入りのお嬢様なんてこのくらいのハンデでも少ないくらいだ」
これには私もカチンと来ました。私は確かに箱入りかもしれませんが、最大限の努力を重ねてきたのですから。
「……言ってくれますね。リーシャさんより強いと聞きましたが、私をあの娘と同じだと思わないでください」
「ああ、折角だ、賭けをしようぜ」
「賭けですか?」
「そ。勝った方は負け犬を1日好きに出来るってのは?」
好きに……とは?これはまさか貞操の危機というやつでしょうか?
しかし私から持ちかけた手合わせ、断ることはできるはずがありません。
逆に言えば、勝てばノア様を自由にできるということ。ディストルムでの生活を聞くチャンスです。
「……いいでしょう」
只の手合わせの筈が、貞操を賭けた真剣勝負になってしまいました。
「ようし。それじゃ、いつでも来いよ」
ノア様は切り株から立ち上がり、ポケットに手を入れてこちらに歩いてきます。本当に手は使わないようですね。
「では、遠慮なく」
腰の剣を抜き構えます。真剣ですがそれは問題ではないでしょう。もし仮に殺してしまったとしても、楽しみにしていた小説が最終話を迎えるだけの話。また退屈な日々に戻ることになってしまいますが、まあ元に戻るだけです。
身体強化魔法を発動。
立ち止まったところで一気に距離を詰め、中段からの切り上げ。
「シッ」
何万回と振ってきた剣は、思い通りの軌道を描き右の脇腹から左の肩口へ抜け鮮血が舞う。
はずでしたが、不自然に逸れた剣は空を切りました。
と同時に腹部に凄まじい衝撃を受け後方に飛ばされ、受け身も取れずに積んであった木材の山へ激突。
「……今のは、魔術ですか?」
「そうそう。ジイさんの真似だけどな。空間に魔力を固定するのが中々難しくてな」
以前お爺様が見せてくださった魔力の道でしょう。私もできないことは無いですが、実践の中で剣の軌道を上手く変えるほど繊細で緻密な魔力操作は、生半可な練度でできる芸当ではありません。
それにノア様は足刀蹴りの状態で静止しているので、おそらく蹴り飛ばされたのでしょうが……全く見えませんでした……。
「なんだ? もう終わりにするか?」
「まだまだ、これからです」
かと言って不用意に飛び込むのは危険ですね。
《
パキパキと音を立てながら眼前に氷の鷹が出現。
高速で彼のもとへ飛行するも、近づいた途端に突如として何かによって潰されてしまいました。
「……どんな魔法ですか?」
「オリジナルだ」
不可視の、恐らくは魔法でしょう。それにしても目に見えないとは、何が起きたのかよく分かりませんが、……一気に攻めにくくなりましたね。
ふと違和感を覚えるも、その正体は掴めません。
「今度はこっちの番だな」
そう言って出現させたのは黄色の炎でできた四足歩行の獣。炎の上級魔法でしょうか、ゆらゆらとその不定形な体躯を揺らしています。
……また違和感。
私の白鷹よりも早い速度のそれは、一駆けで私の喉元へと食らいついてきましたが、なんとか剣で凌げました。
「へえ、魔力を纏わせてると魔法を切れるのか」
「あら、ご存じなかったのですね。以外です」
「剣は専門外だからな。でも知識としては今後必要になりそうだ」
恐らく手加減されていますね。同年代からこんなに露骨に手加減されたのは初めてです。
「余裕そうですね」
「まあ……実際余裕だからな。悪いがお前は俺の脅威にはなりそうもない」
む、これには流石の私も苛っときました。
ファンとは言え、私がこれまで行ってきた努力を、積んできた経験を、この数度のやり取りで全て見透かして底を見てやったとでも言うような物言いは看過できません。
「お、苛ついたか?」
「そうですね、たかだか1年程度の経験で私の何を見抜けるというのでしょうか?」
「経験ねえ。ならお前は自分よりも年上の人間に負けたときは、全部経験の差を理由にするのか?」
「発言の一部を切り取って全体に当てはめないでください」
「まあ何でもいいけどな」
私も魔導士としての資格を持つ魔法使いです。目に物見せてやりましょう。
「
辺り一面にダイヤモンドダストが発生し、その細かい氷の結晶がキラキラと光を反射する。
「
ノアの周囲に舞う氷が連鎖的に弾け、鋭い氷の刃となり降り注ぐ。
回避が難しい上級魔法ですが、……どうでしょうか。
舞う氷が落ち着くと、そこには無傷のノア様。その周囲には不自然に砕けた氷が積もっています。まるで彼を覆うかの様に。
「回避……とは違いますね。それは……何ですか?」
「手の内を明かしたら面白くないだろ?……さて、そろそろ終いにしよう。今日は俺が飯当番なんだ」
面倒くさそうにそう呟いた瞬間、ノア様の姿はそこには無く……。
瞬きすらせず視界に収めていたにも関わらず、眼の前の人間を見失ったことで瞬間的にパニックになった時、首元に当たる刃の感触に気づく。
「ほい、俺の勝ちってことで。付いてこい負け犬」
「なっ……」
振り向きざまにポイと投げられたそれは、今の今まで私が持っていたはずの見慣れた剣。
……有り得ない……、いくらなんでも速すぎる。
ふと今になって戦闘中に感じた違和感の正体に気付きました。
「魔法陣が……無い?」
確かに魔法は発動していたのに、出現する筈の魔法陣が見えなかった。
魔法陣は例え魔法名を唱えなくても、魔法の発動時には必ず出現するもの。それを省略することは不可能で、それはリンゴが木から落ちる事と同じくこの世の理。
私は自分が負けたことよりも、常軌を逸した摩訶不思議な出来事に戸惑いと興奮を覚え、暫くの間手元の剣を只々見つめるばかりでした。
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