丹田スクランブル

 一昨日から降り続いた雨が明け方に止み、やっと畑仕事の続きができる。


「おーい!ミリスー!起きてるかー?」


 ドンドンと扉を叩くと、不機嫌そうに少女が出てきた。


「煩いわよノア!中に入って呼べばいいじゃない!」

「いやあ、もしかしたらミリスがお着替え中かもしれないだろ?」

「昔一回あっただけでしょ!それにそんなの気にしないわよ」


 嘘だ。10歳の時までは家の中に入って呼んでいたが、着替え中に鉢合わせしたことが一度あり、その時は思いっきり顔面をぶん殴られて鼻の骨が折れた。


 それ以来、絶対に開けないようにしているのだ。


「いや、気にしたほうがいいんじゃねーか? 俺達もう14歳だぞ」

「ん〜? なになに? 私を女として意識しちゃってるってこと〜?」


 くねくねとポーズをとるミリス。確かに桃色の髪を後ろで束ね、長いまつ毛に囲まれた大きなグレーの瞳で見つめられたらぐっとくる男もいるだろう。


「いや、全然。あ、でもパンツ見れたらラッキーとは思うようになったかな」


 だが、俺にとってこいつは妹みたいなものだ。

 

「それはアンタが思春期に突入しただけでしょ」

「大人の階段を登っちまったか…」

「気持ち悪い登り方するな!」


 今日は畑に野菜を植える約束をしていたから呼びにきた。俺とミリス、あともう一人ヒューゴが来れば畑へと向かう。


 と、噂のヒューゴが到着だ。彼は内気ではあるが身体が大きく優しい少年だ。

 

「ごめーん、二人とも。遅くなっちゃった…ゴホゴホッ!」

「ちょっと大丈夫?」

「だ、大丈夫、唾が変な方に入っただけだから!ゴホゴホッ」


 顔を赤くして咳をしているが、顔が赤いのは咳のせいだけじゃない。ミリスがいるから、まあそういう事だ。


 村には同世代の子どもが30人くらいいるが、決まって遊んだりするのはこのメンバーになる。


「ヒューゴも来たことだし行きますか!」

 

 向かう畑はミリスの家から歩いて15分ほどのところにある。そんなに広い訳ではないため子供だけでも十分に管理してける畑だ。


 春先の今の時期に植えるのは実野菜と呼ばれるもの。雨が降る前にあらかた耕し終わっていたが、多分雨で流されている部分もあるだろうから土を整えるところからだな。


 畑に着いてからはいつも通り役割分担して土を盛って野菜の種を植えていく。


 このシルバーリーフ村では畑や田んぼなどの農作業は子どもが行うことが多い。村の外には害獣がいるため、大人は狩りや農地の見回り、村の警備をしているのだ。


「ん?」


 畑仕事を進めていると、頭の奥に微かな違和感を感じる。


「どうしたの?ノア」


 隣のヒューゴが泥の着いた顔でこちらを見た。こいつはホントに人のちょっとした仕草までよく見てるな。ミリスなんて血走った目で一心不乱に土に手を突っ込んでるというのに。


「んあ?いや何でもない」


 感じたことが無い妙な感覚が頭の奥でモヤっとなっているが、ミリスの揺れる尻でも見て落ち着こう。


 それから数時間であらかた仕事は終わった。

 

「ふい~、あとは肥料を撒いて終わりだな」


 昼休憩を挟んだものの、ぶっ通しでの畑作業は結構きつい。ヒューゴも年寄りみたいに腰をさすっている。


「なかなかきれいに植えれたわね!」


 ミリスも満足げな様子だ。


 ヒューゴの持ってきた肥料を撒いたら今日の仕事は終わり。あとは帰って水浴びをして晩御飯を食べて日の入りの共に寝るだけだ。


「あ、俺はちょっとやることあるから二人は先に帰ってくれ」


 だが、俺はこれから秘密の特訓がある。


「また~? いつまで隠してるのよ。いい加減何してるか教えなさいよ」

「こればっかりは二人にも秘密だ。墓場まで持って行く!」

「は~、どうせ碌な事じゃないんでしょ。エッチな悪だくみでもしてんじゃないの?」

「エッチ!?」


 おいおいヒューゴ君、そんなに露骨に反応するなよ。むっつりがバレるぞ?


「ミリス、俺がその気になったら村の女なんて全員虜にできるんだぜ? わざわざ隠す訳ないだろ?」

「キンモッ! まあいいわ、帰りましょヒューゴ」

「う、うん、またねノア」


 二人は農具を担いで帰っていった。


 俺が二人にも秘密にしている特訓は、もしもの時の備えだ。必要があれば明かすかもしれないが、その必要が無ければ本当に墓場まで持って行くつもりでいる。


 この世界には魔法が使える人間が住むセレストリアと、魔法が使えない人間が住むディストルムに分かれているらしい。ディストルムは半径数十キロという超特大の結界魔法に囲まれていて、魔法が使えない人間はこの結界を超えることはできないのだとか。


 、というのは結界内の人間は魔力を持たないが故に結界を認識することもできないし、当然外にでられないから本当にセレストリアが存在するかどうかなんて知る由もないのだ。所詮は言い伝え、物語の知識でしかない。


 物語によるとセレストリアは果てしなく続くほど広い大地に、海と呼ばれる超バカでかい水溜まりがあるらしい。しかも海はしょっぱいとも書いてる。流石にこれは話を盛りすぎだと思うけど。


 俺が住んでいるのはもちろんディストルムだ。魔法が使えたら畑仕事にこんな労力をかけずに済むんだろうし、害獣から村を守るために人が死ぬことももっと少ないんだろう。


 色々考えながら森を走っていると、眼前に地面から立ち上がる青白い半透明の壁が


 魔力を持たない人間には認識できないはずの結界が、俺にははっきりと見える。


 そう、俺はどういう訳か生まれたときから魔力を持っている。


 5歳の時に母さんは流行り病であっさり死んだ。父さんの顔は見たこともないが、母さんからは世界で一番立派な人だったんだとか。母さんも話を盛ってるな。


 母さんが死んだ後は村長であるダンケルさんに育てられた。今もダンケルさんの家に厄介になっている。ちなみにミリスはダンケルさんの孫だ。


 いつだったか、母さんに聞いたことがある。


『あの壁はなに?』と。


 母の記憶はそんなに多くは無いが、その時の切なげな、悲しげな、自慢げな顔は脳の奥深くにしっかりと焼き付いている。


『あの壁はね、ノアやみんなを守ってくれている壁なの。だから絶対に外に出ちゃだめよ?』


 母さんの言いつけ通り壁の外には出ていないし、壁が見えることも皆には言っていない。この年になると薄々は感づいているが、ディストルムでは魔力が使えることは禁忌なのだ。物語の悪役は皆魔法使いだし、そもそも魔法なんてものは所詮物語の中だけの空想だ。


 つまり、魔力を使えることがバレれば100%追放される。俺は生まれ育ったこの村が好きだし、ダンケルさんやミリス、ヒューゴをはじめ村の皆が大好きだ。そんな村を追放されてどこに行けというのか。


 でも、興味本位で始めた魔力行使の練習を続けて分かったことがある。魔力で人間の力は数倍にも数十倍にもなるのだ。だから俺はいざと言う時の為に、人目を盗んで特訓をするのである。


 「うしっ、やりますか」


 気合を入れて今日も魔力の操作練習を一から実行していく。最初の頃に比べたら魔力の量も尋常じゃない増え方をしているし、細かい操作も上達している。たまに害獣相手に実践も行っているが、正直ここら一体の害獣は小指一本で一掃できるレベルだ。


 特訓をするのは村から魔力を込めてしばらく全力疾走してたどり着く結界の近く。ここまで離れればさすがに村の人間が来ることはない。


 数年前に、木を伐り土を均して俺だけの完全プライベート特訓場を作ったのだ。もちろん魔力だけじゃなくて素の身体も鍛えられるように木と石で組んだ筋トレマシーンも完備。近くに水場もあって文句の付けようがないほど充実している。


 集中のためのルーティンを終えると、次はもっと激しく魔力を身体に循環させる。


 腹の下の丹田を中心にギュルンギュルンかき混ぜるイメージだ。俺はこれを丹田スクランブルと呼んでいる。


 この状態で身体を動かすとパネェんだ。まずジャンプ力が上がる。周囲の一番高い木は余裕で飛び越えられるくらいだ。それにパンチ力も超絶アップだ。近くの大きな岩は俺のウルトラパンチによって粉砕されている。筋トレマシーンに使っている石もこの丹田スクランブル状態でゴリっと岩を掬って作った。


 しかーし!ぶっちゃけやってることが正しいかどうかは不明だ。


 だって同じ村に魔力が使える人間いないし、多分ディストルムには俺以外に存在してない気がする。


 物語に出てくる魔法使いは大体火を生み出しているけど、丹田スクランブルからどうやって火を生み出すのか皆目見当もつきません。


 決定的に何かが間違っている気がするけど、いきなり丹田から火が出て火だるまになっても困るし、まあ害獣や盗賊と戦えればいいか精神故の現状維持でここまで来てしまった。


 「んん?」


 いつもの俺の俺による俺のための強化メニュー、略して俺メニューをこなしているとさっきよりも数段強い違和感が頭の中に響く。


「これなんなんだ?」


 今はミリスの尻もないから心を落ち着かせることもできない。


「なーんか嫌な感じだな~」


 遥か昔、今では病を発症する人はいなくなったが、春と秋に流行する恐ろしい病があったという。


 その名も『カフン症』。


 鼻水や涙が止めどなく溢れ、頭痛や吐き気、食欲不振を引き起こし、自ら命を絶つほどの壮絶な病。想像しただけで股がキュッとなる。


 「帰ろ」


 カフン症の足音が聞こえる気がするから早く帰ろう。


 一旦水浴びをして帰り支度を整えたら、帰りもランニングがてら森を駆ける。


 帰ったらまた水浴びをすることになるが、俺は身体を動かした後はとりあえず水浴びをしたい派なのだ。一日何回でも身体を洗う清潔マンなのだ。


 村へ向けて飛ばしていると、違和感はより大きくなってきた。


「これはヤバいかもしれん。帰ったらフーさんに診てもらおう」


 フーさんは村で唯一の薬師だ。どんな腹痛でもフーさんの薬を飲めば治るので、俺はこっそりトイレの神様と呼んでいる。シルバーリーフ村の人間であればトイレで彼女に祈った回数は一度や二度じゃないはず。


 彼女ならきっとカフン症も治してくれるはずだ。というかホントお願い。


 村までもう少しというところで村の方角から上がる煙に気が付いた。


「あれ?今日って野焼きの日だっ…け?」


 違和感は明確な嫌な予感へと変わった。


 「おいおいおい、頼む、頼む、予感だけで終わってくれ!」

 

 今までよりもずっと強く前進に魔力を通わせて全力で駆け抜ける。村の近くでは魔力を使わないようにしていたが、母さん、今だけは勘弁してくれ。


 大丈夫だ、村には大人もいるし、害獣だけじゃ火なんか出ない。


「…うそ…だろ?」


 村、正確には村だった場所にあったのは焼け落ちる家々と、熱で縮こまった死体だけだった。


 


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る