陰気な爺さん

 目の前の若者は一度目を閉じると、息を吐いて殺意を込めた獣の様な眼差しをワシに向ける。


「……」


 ゾクリと身体の奥底が震えた。


 これ程までに純粋で強烈な殺意を向けられたのは、長年生きてきて初めてのこと。


 何がこの少年を突き動かすのか。


 これまでの会話の中で、大凡の推測は出来ている。


 俄かには信じ難いが、おそらくこの少年はセレストリアの住人ではない。


 つまりセレストリアが、この世界が生み出してしまった復讐の鬼ということ。


 いつかは現れると思っていた。いや、寧ろよく今まで現れずに済んでいたと思う。


 ふう、……全く今日はツイてないの。


 朝から机の脚に小指をぶつけるし、靴の紐は切れるし。


 今日は大人しく家で読書でもしておればよかった。


 ……


 ……じゃが、これも運命か。この老骨に与えられた最後の役目なのじゃろう。


 再度戦いに集中すべく、真っ直ぐに殺意の籠もる目を見つめる。


 ふっと息を吐く音と同時に、一気に距離を縮めた少年が魔力を纏わせた右手を振り抜く。


 無詠唱で呼び出す防御結界は限界の10枚。


 同時に先程と同じく魔力で空中に道を作ってやる。


 さっきまでよりもさらに厚い結界だが、僅かな抵抗の後、簡単に砕け散った。


 拳も道を通り逸れていく。


 ここで魔力弾を腹にお見舞いして……。


「オラァ!!」


 少年の声に合わせて拳の魔力が剥がれて別の軌道を描き、顔面を捉え吹き飛ばされる。


「ぐぁ!」


 大木に背中から激突し、肺の空気が一気に抜けた。


 今のは……ワシの魔力の道を参考にしたのか?


 初見で……なんという奴じゃ。


 こりゃ本気でいかんと危ないのぉ。


 鼻からはボタボタと血が垂れる。骨を折られたか。


 追撃すべく超スピードで迫る少年の足元に水魔法で泥を作ってやる。


 足を取られたところにすかさず魔力弾をお見舞いすると、今度は少年が吹き飛んだ。


「はあ、はあ、もうちっと体力も付けとくべきじゃな」


 長期戦は不利。


「仕方ない、死せばそれまで。お主の運命に賭けよう」


 ダメージから復活した少年の瞳がコチラを捉える。


「《月詠つくよみ》」

「なにっ!?」

 

 少年の身体の中心から光すら届かない真っ暗な空間が広がり、全体を包んだ。それの中ではどれだけ暴れようとも無意味。


「これで終いじゃ」


 「《星の巨人の輝く腕ケレス・ラリス》」


 異空間から現れた巨大な右腕。


 岩石でできたその腕は、星々を閉じ込めた様に切れ目から色とりどりの光を漏らしている。


 大きく振りかぶられたそれは、少年を閉じ込めた暗闇へと振り下ろされた。


 凄まじい衝撃と爆音が辺に響き渡る。木々をなぎ倒し、土が高く舞い上がって落ちてきた。


「ちと、やり過ぎたか?」


 強敵とは言えどまだまだ子どもと呼ぶべき少年に対し、ほぼ全力で魔法を行使したことに大人気無さを覚えた。


 が、あそこで決めなければこちらがやられていたかもしれん。


 土埃が収まると、そこには気を失い倒れている少年の姿。


 脈を確認すると、辛うじて生きてはいるようだ。


「はぁ〜。これは、一度連れて帰るしかないの」


 先が思いやられるが、一度受け入れた役目。


 腹をくくるか。


 

***


 目を覚ますと知らないボロい天井だ。


 何処だここ?


 そもそも眠った記憶が無いんだが……。


「イッテ!」


 身体を起こそうと力を入れると、全身に激痛が走った。


 ああ、そうだ、変な爺さんと戦って、暗闇に包まれて……それからどうなった?


「ここは……変ジイの家か?」


「だーれが変ジイじゃ」


 む、このジジイ生きてやがったのか。


 爺さんは向こうの部屋から水差しとコップを持って歩いてきた。


「そう睨むでない。ホレ、身体は辛いじゃろうが水くらい飲んでおきなさい」


 そう言って水を注いだコップを口に近づけてくる。


「……なぜ口を開けん」

「毒殺する気だろう」

「せんわ!お主を殺す気ならとっくに殺っとるわい」


 それもそうか。


「いや、俺が毒で苦しむ姿を見たいのかもしれ「オリャ」ゴハァ!」


 強引に口に突っ込んできやがった。

 

「よし」

「よしじゃねーよ!やっぱ殺す気か!?」

「落ち着け少年。どうせその身体じゃワシを殺すことなぞできんわい。傷が治るまで話くらい付き合わんか」

「俺は介護なんてしたことねえよ」

「介護してくれとは言っとらんじゃろ!そもそも今介護が必要なのはお主の方じゃ」


 まあ折角出会った会話が成立するセレストリアの住人第一号だ。情報収集も兼ねて付き合ってやるか。いざとなったら寝首を噛みちぎってやる。


「疑っとるの〜。ワシはお主を害するつもりなぞ無いわい」

「俺は爺さんを殺す気満々だぜ?」

「はぁ〜、面倒くさいのコイツ」


 うんざりとした表情を浮かべるジジイ。


「まあよいわ。先ずは自己紹介から始めるかの。ワシはマーロックと言う。今はただの隠居のジジイじゃ」

「確かに陰気なジジイだ」

「陰気じゃのうて隠居じゃ!」


あんまり誂うと頭に血が登って死にそうだな。そういう殺し方もありか?

 

「はぁ、お主、名は?」

「……ノア」

「ノアか。うむ、良い名じゃの」

「ジジイに褒められても気持ち悪いだけだ」

「お主は一々悪態をつかんと気が済まんのか?」

「今の生き甲斐だな」

「怖っ。そんなんじゃあ友達出来んぞ?」

「……友はもう居ない。あんた等魔法使いに皆殺された!友達も!家族も!」

「……そうか」


 そうだ、シルバーリーフ村の皆が俺にとっては家族であり、友であり、仲間だった。


 それを根こそぎ奪っていったのは貴様らセレストリアの魔法使い共じゃないか。


 マーロックは天井を見つめて一つ深呼吸をした。


「お主は……お主はセレストリアの人間ではないな?」


 質問の意図を測りかねるが、質問と言うよりも確信を持った確認とも呼ぶべき問いかけ。


 どうせいずれは殺す人間。バレたところで問題ないか。

 

「……そうだ。俺はディストルムの人間だ」

「やはりそうか。……どうやって結界を越えてセレストリアに来たのじゃ?」

「普通に、歩いて。俺には生まれつき魔力がある」

「生まれつき……か。そうじゃろうなあ。こちらに来たのは魔法使いへの復讐……ということか」

「そういう事だ。止めても無駄だぜ?」


 ジジイは物憂げに虚空を見つめる。 

 

「……止めはせん。止めはせんが、復讐は碌な結末にならんぞ?これまで幾度となくそういう輩を見てきた。復讐は新たな復讐を生むだけじゃ」

「それは中途半端にやるからだろ?皆殺しにすれば禍根なんぞ残りようがない」

「道理じゃな。しかしノアよ、この国の魔法使いが何人いるか知っておるか?」

「知らん」

「凡そ2,000万じゃ」


 2,000万か、思ったより多いけどなんとかなるか?


「2,000万人というのはこの国だけの話じゃ。国は他にもある。それぞれの具体的な数字は分からんが、少なくとも何十万人は暮らしておるじゃろう」

「だから諦めろと? 俺に、俺たちシルバーリーフ村の全員に黙って殺されておけと? ふざけるな。俺は皆の墓の前で誓った、仇は取ると。禍根が残るというのなら俺以外の人間が黙って負け犬になればいい」


 そうだろう? 俺は他人のために殺されてやるような人間じゃない。俺が死ぬのは俺と仲間のためだけだ。

 

「なぜそうも敵を大きく見積もる」

「誰が殺したかなんぞ知らないからな。全員殺せばその中には必ず含まれているだろ」

「それはセレストリアの規模を知らん時の考えじゃろう。今は違う、2,000万という規模を知った。この世界を知ればお主の採れる選択肢も増えるはずじゃ」

「……」

「そう意固地になるな。わしがセレストリアやこの国『レステラ王国』について教えてやろう。それから復讐についても考えればよい」


 そう言って一方的にセレストリアやレステラの民、政治、文化周辺国の状況などについて語り始めた。


 セレストリアの住人は全員魔力を持っており、強弱はあるものの魔法が使える。


 レステラはセレストリアでも最大級の国であり、国王を絶対とする君主制。国王はレギレウス・デリル・レスターグスで賢王と呼ばれている程には善政を敷いている。


 文明の発展度合いはディストルムとは正に天と地ほどの差がある。魔動機関が発明され、列車や車というものも話に出てきた。ディストルムではせいぜい牛に木製の荷車を引かせるくらいだった。


 レステラ王国で流通している通貨の単位はユロル。大体1ユロルでパンが1つ買えるくらい。通貨は銅貨、大銅貨、銀貨、大銀貨、金貨、白金貨、聖貨の7種類に別れており、大銅貨は1ユロルの価値がある。通貨は一つ上がるごとに10倍の価値になるため、銅貨10枚で大銅貨1枚、聖貨1枚は銅貨100万枚ということになる。ちなみに聖貨は一般にはほとんど流通しておらず、ほとんどの民が大銀貨までで生活しているとか。


 また、世界には世界八翼オクトセラフという絶対者達が存在するらしい。隔絶した力を持ち、最も神に近い存在として信仰の対象になる者もいるとか。


「そのオクトセラフとかいう輩と爺さんの差はどのくらいなんだ?」

「さあのう、今じゃ足元にも及ばんかもしれんな」

「そうか……」


 今の俺じゃ天地がひっくり返っても勝てなそうだな。でもいつかは殺す相手だ、今知れてよかった。


「これが、この世界が今お主の相手取ろうとしているものじゃ」

「確かに強大だとは思うが、やることを変えるつもりはない」

「世界には当然のことながら新たな命も生まれてくる。まだ無垢な赤子じゃ。確かにセレストリアには悪人もおるが、同時に善人も多くおる。どうか敵を見誤ることはせんといておくれ」


 村にも無垢な子どもがいたし、悪人なんぞ一人もいなかった。

 

「詭弁だな。一生悪人もいなければ一生善人もいないだろう。であれば全員が悪と同義のはず」

「それこそ詭弁じゃ。その理論だと全員が善とも同義になろう」

「性善説と性悪説をあんたと論じる気はない」

「……これ以上の議論は無駄じゃな」

「同感だ」

「じゃが、どのみちしばらくは身体を休めていきなさい。もっと知識を付けてからでも遅くはなかろう」


 確かに、この爺さんに合わなければ、俺は仇も取れず早々に退場するところだっただろう。セレストリアの知識を得る時間は必要だな。


「ちっ……、分かった。しばらく厄介になりたい」

「うむ。……さてと、とりあえず粥でも作るから食べなさい」


 こうして俺は爺さんのもとで厄介になることとなった。

 

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