冥峰ベルナ

 ブロコーリ大森林の冬はそこまで厳しいものではない。精々膝くらいまで雪が積もる程度だ。


 故に魔物も活発に動いているし、故に長距離の移動もそこまで苦ではない。


 とは言え日が短くなるため、1日に移動できる距離は短くなる。流石に夜の森を歩くのは迷う自信があるしな。


「帰ったぞ」


 爺さんの家の扉を開けると、暖かい空気に包まれる。


 苦ではないものの、流石に10日程雪の積もる森の移動で疲労が蓄積している身体には心地良い。


「おお、本当に帰ってきよった。どうじゃった? ”死の山“は」


 冥峰ベルナ。それはブロコーリ大森林の北に聳える巨大な山。


 ブロコーリ大森林はこの山裾に広がる広大な森林というわけだ。


 冥峰ベルナは特級危険エリアに指定されており、ドラゴンを含む危険度MAXな魔物の巣窟となっている。


 そんな魔物達が食物連鎖を繰り広げ、常に地響きと破壊の渦が止まない異常な場所。故に“死の山”とも呼ばれている。


「なかなか楽しめたぞ。何回も死にかけたが山頂からの景色は壮観だった」


 行きはまだ雪の降る前、山が紅く色付き始めた頃だった。


 山で過ごしたのは約2ヶ月程。


 俺は自分の修行と研究の成果を確かめる為に、冥峰ベルナへの挑戦を決めた。


 ある程度想定はしていたが、対人間用の魔法と対魔物用のそれとは性質を変える必要があった。


 人間は高速で空を飛ばないし、鉄より硬い皮膚を持たないし、即死の毒を噴射することもない。


 勿論魔法で代替は可能だが、ナチュラルボーンで持っているスキルと魔法の発動とでは厄介さが全くの別物だ。


 ベルナは山頂に行くほど魔物も強くなるため、試行錯誤しながら上を目指すのは楽しかったし、学ぶことも多かった。


「あの山を登頂できる者なぞこの世界に何人いることか……。完全に免許皆伝じゃな」

「ちゃんと写真も撮ってきたぞ。見るか?」


 色々あったがカメラだけはなんとか死守したんだ。高いしな。


「是非見せてください」


 ……まあ、知ってて無視してたんだが、遂に口を挟んできた。


「なんでコイツがいるんだ?」

「学園の休暇を利用して遊びに来とるんじゃ」


 聞けば2日前から来ているという。


「ノア様と入れ違いにならずよかったです。全然王都にお越しいただけないので、来てしまいました」

「……あと1週間くらい籠もってこればよかった」


 相変わらず気持ち悪い微笑を浮かべているが、爺さんの機嫌は良さそうだ。


「今日は私がご飯の支度をしますね。この日のために練習したんです」

「おお!それは楽しみじゃ!」


 アリスの飯は確かに美味い。数ヶ月の間焼いた肉が主食だったから、久しぶりにちゃんとした料理が食えるのは嬉しい。


 その前にシャワー浴びるか。


…………

……


 鱈腹食って自室で荷物を片付けているとドアをノックする音が響いた。


「開いてるぞ」

「失礼致します」


 入って来たのはアリスだ。


「冥峰ベルナへ単身で挑戦とは、無茶をなさいますね。流石に帰ってこられないかもと思いましたよ」

「余計なお世話だ」


 行くにあたって爺さんにも当然反対されたが、命を賭けた実践でしか得られない経験ができたから結果オーライだ。 


「で、何の用だ?」

「お話しをしようと思いまして」

「話し?」

 

 話なら飯を食いながらもしたが。


「もう一つの世界、ディストルムでの生活について聞いてみたいのです」

「そんなもん聞いてどうすんだよ」


 娯楽も無ければ技術も無い。ハッキリ言って面白くないだろう。


「知的好奇心、でしょうか。どのような生活をされていたか、とんな食事をされていたのか、どんな魔物がいたのか、……なぜ、どのようにしてノア様は今ここにいるのか……ただただ知りたいのです」


 正直言って話したいものではない。今でも村の皆のことを話すと感情が怒りに飲まれそうになる。

 

「……爺さんからは何も聞いてないのか?」

「はい、……何も」


 俺の雰囲気の変化に気付いたのか、アリスの喉が鳴る。


 本で読む限りセレストリアでのディストルムの位置付けは遥か昔から『忌まわしい場所』『原罪を抱える人間の流刑地』といった感じだ。

 

「お前の中の【人間】の定義は?」

「……心の有無……でしょうか?」


 心の有無か。


「心とは?」

「難しい質問ですね。強いて言うなら感情や思考、意思の拠り所といったところですか」

「思ったよりも哲学的なんだな。もっと冷めてるかと思ってたよ」

「しかし魔物にも喜怒愛楽を表現する物もいますし、言葉を使うなど知性のあるものもいます。それに心の、感情や意思の無い人間もいるので、……今の私には上手く答えられません」


 なるほど、確かに病等で意識も無く寝たきりの人間もいるだろう。アリスの考えだとそいつ等は人間じゃないということになる。


「俺はもっと主観的な話だと思うんだよ。つまり、“己は人間だ”と思っていれば、そいつは人間なんだと云うこと」

「……納得できる考えだと思います」


 アリスは質問の意図を測りかねている様子。


こっちセレストリアの本を読んでるとな、自分やディストルムの奴等が本当に人間なのか分からなくなるんだよ」


 セレストリアでは当たり前のこと過ぎて配慮されない、いや考えもされていないことがある。


「“人間は魔力を宿す”という、極々当たり前のことが当たり前に書いてある。例えば、『魔核は“人間”にも存在する』とかな。お前等にとっちゃそれはただの“前提”で、議論の対象になり得ない」


 この世界には魔素が満ち溢れ、生きとし生けるもの全てがその恩恵を受けている。それは空気が満ちているのと同じ感覚だ。


「でもな、俺にはこれが“魔力が無ければ人間じゃない”と言われているように思うんだ。魔力が無ければ生きていけない、魔力が無ければ社会を形成できないと」


 それほどに魔力は生活に根づき、法、経済、軍事等も魔力を前提とした理論構築がなされている。


「だが、決してそんなことはない。“人間”はそんなに弱い生き物じゃない!俺は、俺達は魔法なんか使わなくても平和に、楽しく、自然と向き合いながら生きてきた!」


 アリスは何も言わず俺の話を聞いている。


「……今の話は俺の勝手な意見だ。議論したい訳じゃないから反論は受け付けん。……さて、ディストルムでの話だったな」

「……よいのですか?」

「まあ、益体のない話に付き合わせたからな。……何から話すか」

「では食事の話等から」

「オーケー。飯と言っても色々あるし村毎に違いもあるだろうが、俺達が普段食っていたのは猪や鹿なんかの動物の肉と、畑で取れた野菜だな……」


 その後も村社会での生き方や遊びなんかの話を説明し、アリスは質問を交えながら真剣に聞いていた。


「だがそんな村も、もう無い」

「……もう無い……とは?」

「そのままの意味だよ、もう存在していない。ある日魔法使いが村にやってきて……、全てを焼き尽くしていきやがった」


 あの日から2年近く経ったが、あの日の光景は今でも脳裏に焼き付いて離れない。


「……魔法使いが……?」

「ああ、複数人、足跡的には恐らく5人くらいだろう。その後は、皆を弔ってから結界を越えて彷徨ってたら爺さんと出逢ったって訳だ」

「結界を……、どのようにして越えたのですか?」

「あん? 普通に歩いて越えただけだ」


 特に抵抗もなくすんなり越えたのを覚えている。


「……そう、ですか」

「俺は魔法使い共を許さない。セレストリアの人間を許さない。俺が死ぬその瞬間まで、……セレストリア人を殺し続けるつもりだ」


 村の皆の仇を取ると誓った。

 

「セレストリア人全てを殺せると?」

「さあな、俺次第だろう。その為に強くなった」


 その為に鍛錬し、魔法を学び、義眼を作り、冥峰に登った。


 暫しの沈黙の後、アリスが口を開いた。


「……ありがとうございます。思い出したくない事を思い出させてしまったかもしれません。軽々と知的好奇心などと言った非礼をお詫びします。申し訳ありませんでした」

「別にいい。そもそも忘れたことなんてないからな」


 そう、思い出すもなにも、忘れたことなど1日足りともない。


「しかし、やはりセレストリア人全てを殺すなど、非現実的です」

「お前も言うか。殺すなと、罪無き人もいると」

「いえ、そんな綺麗事を言うつもりはありません。ただあまりにも非効率的で、非経済的で、……非人間的だと思っただけです。それにノア様の言葉には矛盾もあります」


 非人間的? 矛盾?


「人間は思考する生き物です。例えばオークに家族を殺されたから、世界中のオークを探して殺すなど人間的な思考の結果とは思えませんし、正気の沙汰ではありません」


 確かに正気の沙汰ではないだろう。でも、俺は自分が正気だなんて自惚れてはいない。


「それに、全てを殺すと言うのなら、何故私は今生きているのでしょう?」

「……今殺して欲しいと?」

「いえ、私も死にたくありません。しかし、実際に私も、お祖父様も、私の付き人も、リーシャさんも生きています。私を殺すと言うのなら、まだ力の無い今が好機だと思いませんか?」

「……そんなに殺して欲しいなら殺してやるが、爺さんが近くにいる。アイツはまだ俺より強いだろう。殺したら殺される、それが今お前が生きている理由だ」


 今殺されては仇討ちなんて始まる前に終わることになる。


「私が言いたいのは、ノア様は既に殺す人間の選択をされているということです。最初はどうか分かりませんが、今のノア様は殺すべき人間とそうでない人間を明確に区別しているように見えます。それに仮にお祖父様を殺すことはできなくても、私を殺して逃げるくらいなら可能だと思いませんか?」


 無言で続きを促す。


「選択するご意思があるのであれば、先ずは村を襲った魔法使いをお探しになるべきです。無差別に殺すよりも敵に回る者は少なくなり成功率も上がるはずです。他の者のことはその後に考えても遅くはありません」


 確かに成功率という点においては、アリスの案は最適だろう。


 ……俺の中の怒りは消えていない。消えてはいないが、確かにその質は変化してきている。


 冥峰に行ったことが俺の中の価値観を変化させた。


 あそこでは真の弱肉強食が繰り広げられていた。


 弱者は強者に喰われ、その残骸を次の強者が喰らう。弱者は単純に己を高め強者になるか、強者に付き従い溢れる利を啜るか、若しくは群れることにより集団として生存の可能性を高める。

 

 強者は生き方を自由に選択できるのに対し、弱者は生きる為に選択を迫られる。


 冥峰ベルナはまるで1つの生き物のように新陳代謝を繰り返し、その存在感を増していく。


 何かの枠組みの中で生きるということは、その新陳代謝に組み込まれるということ。人も例外ではなく、そこに個々としての生死は然程意味を持たない。個にできることは、世代を越えて想いや思想を繋いでいくことだけ。


 だとすると俺のすべきことは?


 魔法使いを皆殺しにすることか?


 皆の想いを、彼らの生きた証として繋いでいくことか?


 ディストルムでの生活について、こんなに人に話したことは初めてだ。ミリスやヒューゴのことを話すと確かに心が動いた。あいつらを身近に感じたんだ。


 ミリスの好きな野菜や、ヒューゴの釣った川の主の話を聞くアリスは想像しただろう、彼らの声や表情、髪の毛の色、体型を。


 アリスに話すことで、俺の記憶だけの存在じゃなくなったし、そのことに小さくない喜びを感じる。


 なんだか癪ではあるが、俺は少しだけ目の前の少女に感謝の念を抱いた。

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