第23話 本能の天秤
「……あ」
──ここは、どこだ。
黒く、暗く、光なき世界。
身体は動く。視線を僅かに下に。
左手が有った。五体満足なのだろう。
だが、感覚は無かった。不思議だ。
(確か、弓矢に撃たれて……)
空を見上げても、真っ暗。
星一つすらない。
「……俺、死んだのか?」
死後の世界かと思うほど、そこは薄暗く、命を感じなかった。高低差なんてない。ただ、どこまでも平坦が続いていた。
「……マジ?」
現実を受け止めきれずに、ただ進む。
もしかしたら、と一途に思い、進む。
諦めてしまおう、そう思いつつ進む。
(どこに向かえばいいんだ)
わからない。でも、意地張って進む。
このまま死んだら?知らない。進む。
一歩進む度、頭痛が鳴り響き、進む。
「死にたく、ないなぁ」
そう思い、でも現実を見つめ、進む。
歪む視界が、時間を告げつつ、進む。
溶ける思考が、現状を伝えて、進む。
「……何故、死にたくないと思った」
ふと、声がした。
声の方向を振り向くと、一つの影。
「……誰だ」
「……」
影は答えず、ただ漆黒の中にいた。
無感情で、機械のようなそれに、心臓を射抜かれたような気分だ。実際は、2人とも一歩たりとも動いていない。
ただ、無機質な恐怖心に襲われただけだ。
(答えろ……って事だよな?)
闇より暗きソレは、ピクリとも動かない。
今か今かと、答えを待っていた。
「解らない」
「それが、答えか」
「うん」
その目が、微かに動いた気がする。
それが、何を意味するのか、彼には判らない。
「気づいたら、口にしてた」
「それが、
「うん」
そこに、偽は無い。
正直に、ありのままを口にした。
だが、
「違う」
彼はそれを否定した。
「は?」
意外な答えに、目を見開いた悠。
すると、
「……ッ!」
どこからか黒い風が吹き荒れ、悠を吸い込まんとしていた。掃除機なんて比にならない。ブラックホールが如き吸引力。
(足が……もってかれる!)
咄嗟に魔力を使おうにも、反応しない。
「真実を言え、藤波 悠」
(なんで俺の名を!?)
吸引は更に強く。爆風に吸い込まれそうだ。
上半身が猫背の姿勢となった。
「……真実って、何だ!?」
「……」
肝心なところを、影は答えない。
ただ、その言葉は、どこかに刺さっていた。
(真実……ッ!)
頭痛と共に、曇りは強く。
本能を刺激するように。
「ぁ」
小さく、声を上げた。
何かが悠を心地よくさせた。
それが何か、解らない。
(殺したい)
何故、そう思ったのか?
何故、心は満たされる?
殺したい。殺したい。
(アイツらを倒す?)
家族を、日常を奪った敵を?
殺したい。殺したい。
(いや、そんなの生ぬるい)
否、それぐらいで、満足するものか。
殺したい。殺したい。
(最低でも、殺し尽くす!)
全てを砕き、全てを壊し、その上で、殺さなくては!
殺したい。殺したい。
「ああ。解った気がする」
「……なれば、問おう」
清々しい気分だ。
影が言っていたのは、つまりそういうことなのだろう。
「俺はまだ、成し遂げていない」
未練。執念。
彼が言った『真実』とは、心の奥底からの悠の本音だった。
悠は呑み込まれそうなそれから、一歩踏み出す。
今までとは違う。これは、自分の意思。
「貴様は、何を為す」
そんなの、とっくに決まっている。
最初から、襲撃された時から。
「敵を殺して、弟を護る」
それが、答えだ。
(……笑った?)
影の顔を見て、そう思った。
今までの険しい顔とは違う、どこか、嬉しそうな表情だ。
「……」
風が止み、影が少しずつ溶け始めた。
「──それでこそ、我が契約者に相応しい」
影が溶け、段々と人の形へと変化していく。
それが何か、悠は本能で理解していた。
(人じゃ無い……)
それは、彼の中に巣食らう者。
十数年の月日を共に経た者。
「──チャンスは、一度」
「何が?」
黒い人は、翼が生えていた。
人型ではあるものの、どちらかと言えばドラゴンに近い。
「──怨讐の焔を、忘れるなかれ」
刹那、世界が光に包まれた。
「ッ!」
さっきまでとは違う、放出だ。
飲み込まれそうな身体が、逆に吹き飛ばされた。
「……おおあ!?」
影はただ、見送るように、立ち止まっていた。
そして、悠は上空へと弾き飛ばされた。
「──バベル、君はさぁ」
誰もいない筈の空間に、透き通った声が響き渡る。影が振り向くと、そこには1人の少女がいた。
「何故、ここに居る」
その存在を確認し、対して驚かずに聞く。
並の者なら怯む声色。だが、彼女には効果が無いようだ。
言われた少女は同じように平然と答える。
「何故って、彼が死にかけたおかげで、表と裏の境界線が曖昧になったからだよ」
「違う、それは方法だ。俺が問いたいのは理由」
「そんなこと言われてもなぁ。これ一応、僕の身体でもあるからね? 持ち主が自由に移動しちゃダメなの?」
両手を小さくくすめる少女に、彼は何も言わず、小さくため息をした。
それを見てすかさず、少女は追撃を加える。
「それで言うならさ、そっちこそどうなの?」
「どう、とは?」
「契約者だから、って我が物顔で精神世界を汚染してさ。挙句、自分のための住処にして」
「それは、俺にはどうすることもできん。それは、貴様も理解している筈だ」
反省の色を見せているのか、影は視線を逸らしていた。彼自身に悪気はないのだろう。
ぼそぼそと頭らしき場所をかいていた。
「おっと。時間のようだね」
「……」
その身体は、消えかかっていた。
下半身は既に消滅している。完全消滅寸前の少女は、影に告げた。
「40年前のこと、忘れるなよ。どっちの方が強いか。思い出しておけよ」
「……あれは、お前の力ではあるまい」
強い口調で言った少女に、影は否定した。
その返答に、少女は笑い、陽炎のように消えていく。
「──刻は、近い」
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