第10話 限界

2023年4月18日 8時30分


悪夢のような一日が終わり、そして…目が覚めた。まだ無事だった。


ろくに寝た気がしないが、体の方は幾分かましになり、メンタルの方も落ち着きを取り戻していた。ある意味、薬が功を期した。怪我の功名ではあるが、恐らく何もなかったら僕はこの時点でアウトだっただろう。

タマはまだ腫れていて鈍痛はあったが、過去にやった数々の病気に比べれば、まだ何とかなると思えた。

思ってしまった。



9時となり、同じく死んだ魚のような眼をした上司Xと共に、ホテルの朝食を取る。軽く打ち合わせをしながら車でマレーシアの現地オフィスへと向かう。

(Xは国際免許持ちで社員の車をレンタルした)


「朝食、バイキング形式なのは良いですけど……一部にむっちゃ虫たかってましたね」

「誰も手を付けてないのに放置されてるのが凄かったですね…サラダとか…もうあれが日常なんだろうな…」

「寛容というよりただアバウトなだけがしてきました」


そんな軽くディープな会話をしながら、中身のない会話をして時間をつぶす。

マレーシアジョホールバルの町並みは、どこか見覚えのある風景だった。


道は広く、横断歩道がほとんどない。太陽は眩しく、歩行者の姿もなかった。

町並みは、ほぼすべての建物が潮風と酸性雨、そして埃によって汚れている。どこか懐かしい雰囲気だと思う。


「あ、これ江の島だ」


ピンと思い出す。

湘南や江の島で見た、若干ハワイアンっぽい感じの独特の町並み。アレにものすごく似ていたのだ。

看板はほとんどが英語や中国語で書かれており、駐車場と車の量が日本とは桁違いに多い。異国に来たはずなのに、少し親しみが持てた。

なお相変わらず交通ルールは無法地帯だったが、昨日のタクシーの印象が強すぎて、すでにほとんど驚かなくなっていた。(身の危険は感じたが)



「Xさん、僕、やばいかもしれません。」

そう言いだせたのは、午後の6時くらいだった。

現地スタッフと合流後、長時間の会議を終え、なんとか業務を耐えきった僕は、ついに股間事情をXに伝えた。


というのも、会議中に腫れていたボールが、急に熱をもち出したのである。

少し腫れているというよりは、もうかなり腫れている。

膨張したタマの大きさはこの時点で恐らく直径5センチに達しており、とてもなんとかなるものではないと決断した。

というか、一周まって「もうどうにでもなれ」と思い始めていた。


「腫れ…ですか」

「腫れです。もう隠すのもあれなんで直接言いますが、左のキンタマがやばいです。鈍痛が強くなってどんどん腫れてます。」

「それは……どうしましょうかね……」


恐らく立場が逆の状態だったら、僕も同じ反応をするかもしれない。

例えばこれが、高熱が出ているという報告なら、コロナ問題を警戒したりですぐにホテルへ!となるだろう。日本であればすぐ病院へ!で終わる話だ。

だが、ここはマレーシアである。

症状が出ている箇所も問題だった。タマである。

男性の中でもほとんどが経験しないような問題だ。これは上司Xも判断に困った。


「薬はあるんでしたっけ?」

「症状が清浄なんで何とも…ただ、痛み止めと解熱剤はあります」

「仕事に関してはさっきの会議で大体重要部分は終わったので、ホテルに帰還してから経過を見ましょう。今晩見て問題あるようでしたら、明日すぐに現地の病院に行くしかないと思います。」

「ですよね」


選択肢はなかった。

まさか初日にこんな問題になるとは思わなかったが、なってしまったものは仕方がない。このまま悪化して、日本に帰れないなんてことがあった方が問題だ。

というか、数日後に日本に帰れれば、もう何でも良いと思い始めていた。


「移動はほぼ車だけなので、夕食だけ食べて帰りましょう。歩けます?」

「多分、大丈夫だと思います。ゆっくりなら……」


こうしてどんどん悪化していく不安と症状は、さらに加速度を付けていくこととなる。


その夜、僕は38度の高熱を出した。


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