第10話 限界
2023年4月18日 8時30分
悪夢のような一日が終わり、そして…目が覚めた。まだ無事だった。
ろくに寝た気がしないが、体の方は幾分かましになり、メンタルの方も落ち着きを取り戻していた。ある意味、薬が功を期した。怪我の功名ではあるが、恐らく何もなかったら僕はこの時点でアウトだっただろう。
タマはまだ腫れていて鈍痛はあったが、過去にやった数々の病気に比べれば、まだ何とかなると思えた。
思ってしまった。
◆
9時となり、同じく死んだ魚のような眼をした上司Xと共に、ホテルの朝食を取る。軽く打ち合わせをしながら車でマレーシアの現地オフィスへと向かう。
(Xは国際免許持ちで社員の車をレンタルした)
「朝食、バイキング形式なのは良いですけど……一部にむっちゃ虫たかってましたね」
「誰も手を付けてないのに放置されてるのが凄かったですね…サラダとか…もうあれが日常なんだろうな…」
「寛容というよりただアバウトなだけがしてきました」
そんな軽くディープな会話をしながら、中身のない会話をして時間をつぶす。
道は広く、横断歩道がほとんどない。太陽は眩しく、歩行者の姿もなかった。
町並みは、ほぼすべての建物が潮風と酸性雨、そして埃によって汚れている。どこか懐かしい雰囲気だと思う。
「あ、これ江の島だ」
ピンと思い出す。
湘南や江の島で見た、若干ハワイアンっぽい感じの独特の町並み。アレにものすごく似ていたのだ。
看板はほとんどが英語や中国語で書かれており、駐車場と車の量が日本とは桁違いに多い。異国に来たはずなのに、少し親しみが持てた。
なお相変わらず交通ルールは無法地帯だったが、昨日のタクシーの印象が強すぎて、すでにほとんど驚かなくなっていた。(身の危険は感じたが)
◆
「Xさん、僕、やばいかもしれません。」
そう言いだせたのは、午後の6時くらいだった。
現地スタッフと合流後、長時間の会議を終え、なんとか業務を耐えきった僕は、ついに股間事情をXに伝えた。
というのも、会議中に腫れていたボールが、急に熱をもち出したのである。
少し腫れているというよりは、もうかなり腫れている。
膨張したタマの大きさはこの時点で恐らく直径5センチに達しており、とてもなんとかなるものではないと決断した。
というか、一周まって「もうどうにでもなれ」と思い始めていた。
「腫れ…ですか」
「腫れです。もう隠すのもあれなんで直接言いますが、左のキンタマがやばいです。鈍痛が強くなってどんどん腫れてます。」
「それは……どうしましょうかね……」
恐らく立場が逆の状態だったら、僕も同じ反応をするかもしれない。
例えばこれが、高熱が出ているという報告なら、コロナ問題を警戒したりですぐにホテルへ!となるだろう。日本であればすぐ病院へ!で終わる話だ。
だが、ここはマレーシアである。
症状が出ている箇所も問題だった。タマである。
男性の中でもほとんどが経験しないような問題だ。これは上司Xも判断に困った。
「薬はあるんでしたっけ?」
「症状が清浄なんで何とも…ただ、痛み止めと解熱剤はあります」
「仕事に関してはさっきの会議で大体重要部分は終わったので、ホテルに帰還してから経過を見ましょう。今晩見て問題あるようでしたら、明日すぐに現地の病院に行くしかないと思います。」
「ですよね」
選択肢はなかった。
まさか初日にこんな問題になるとは思わなかったが、なってしまったものは仕方がない。このまま悪化して、日本に帰れないなんてことがあった方が問題だ。
というか、数日後に日本に帰れれば、もう何でも良いと思い始めていた。
「移動はほぼ車だけなので、夕食だけ食べて帰りましょう。歩けます?」
「多分、大丈夫だと思います。ゆっくりなら……」
こうしてどんどん悪化していく不安と症状は、さらに加速度を付けていくこととなる。
その夜、僕は38度の高熱を出した。
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