第7話 クレイジータクシー(中編)
……乗るタクシー、間違えてないよな?
多分、三回は確認してたと思う。
助手席には年の若い20代前半くらいの女性が座っており、だるそうにスマホを見ながら異様な存在感を放ってそこにいた。
風呂上がりのようで、黒い髪は若干濡れており。格好も半そで短パンという危ういスタイルだ。
横を見ると、上司Xも一瞬びっくりしたような顔をしたが、深夜にもかかわらず仕事場からメッセージがあったようで、スマホの画面へ付きっ切りとなり、自分の世界を構築してしまう。
まってくれ、僕を置いていかないでくれ。
情報量が多すぎて、若干混乱する。
そうこうしているうちにディープなドライバーがトランクを閉め、運転席へどっかりと座り込む。
「…………」
オトコは無言で車を前進させた。
僕は心が後退していた。
◆
車はあっという間に空港を後にし、大通りへと入っていく。
シンガポールから1時間も走れば、マレーシアのジョホールバルへとつながる国境をまたいだ大橋へと行ける。
シンガポールの土地面積は東京23区とそう変わらない面積なので、3日もあれば大体の観光地は回れてしまうという特徴があった。
が、僕はというと、スマホの画面に集中していた。
空港を出てしまったためにフリーWi-Fiは切れ、会社支給のポケットWi-Fiを起動。ネットに接続した僕は、一心不乱にTwitterに書き込みを行っていた。
というか、もはや逃げる場所がそこしかなかった。
目の前では、タクシー運転手とその彼女らしき二人が、まるで僕たちの存在などないかのように中国語でしゃべりまくっている。彼女の方はテンションが少し上がっているのか、やたら饒舌だ。
一体何が起きているのか。
これは、普通のことなのか?
タクシーとは? サービスとは? VIPの文字は何だ?
いよいよもって、まともなタクシーではないのではないかと疑い始める。
このまま自分たちのアジトへ連れられて、旅行鞄と財布、パスポートを取られて捨てられるんじゃないか。そんな気分になるくらいには、僕はドキドキしていた。
「もうだめだー」と、どこぞの
隣の上司は、仕事に夢中なのか終始辛そうなため息を連発してチャットにのめりこむ。
嫌な雰囲気がより濃密になり、僕の意識はよりスマホの中へと落ちていく。
(これが、マレーシア流か)
もう、この一文が頭の中でずっと繰り返されていた。
心のままにツイートをすると、見ていてくれるフォロワーがいたのか、数人いいねを押してくれる。
このいいねに、どれだけ僕の心が救われたかは、難くないだろう。
しかし、彼らは逃がしてくれなかった。
彼女らしき人物は、スマホを取り出し動画サイトを表示させると、爆音でショート動画を流し始めた。
(おい!?
しかし彼らは止まらない。
ドライバーの方もうなずくと、時速60キロを出している中カーオーディオを操作し、彼女の話していたであろう動画の音楽をピックアップ。
大音量で車内にオリエンタルなBGMが流れ始める。
そして、彼らは歌い出した。
僕らをおいて、二人で熱唱し始めたのだ。
「…………………まじかー」
(これが、マレーシア流か)
誇張なしにこのコンボは実際にあった話だ。
なお、彼の方は微妙にオンチだった。
◆
後々で調べてみたところ、深夜の国境を越えるタクシーは、シンガポールに出稼ぎに来ているマレーシアの現地人が、自分の家に身内を連れて帰るついでに、客を乗せるというケースが普通らしく。今回彼女らしき人物が乗っていたのもそういうことだったのだろう。
僕は、この一連のアクションで、マレーシアとは許すこと。寛容であること。ではないかと思った。
世間一般であると思っていた日本のガチガチのサービスは、確かに仕事人としてとてもサービスが行き届いており。どこに行っても安心して身を任せられる。
しかし近年、仕事は仕事という割り切りから、どこか冷たい印象を感じることが多かった。
しかし、この国は逆だった。
彼らは家族と仕事、どちらも大事にする。
仕事は適当でも、家族や困った人を自然に助けたいと思える人ばかりで、大抵のことは「大丈夫さ!」と受け入れてくれる。
これは、個人的に大きなカルチャーショックだった。
沖縄の「なんくるないさー!」に通じるものがある気がするが、こちらはより寛大だ。悪く言えば大雑把でマナー不足なのだが、不思議と悪意や嫌味はなく、それが当然であるという柔らかさが感じられた。
◆
(いや、正気にもどれ。まだ国境を渡ってないんだぞ。)
呆気にとられた僕は、思考を宙に舞わせていた。
まさか歌い出すとは思っていなかったので、どんだけフリーダムなんだよと驚く。
つい数時間前に最高スコアを叩き出していたテキサス系問題児、ABなんて速攻で彼らにスコアを抜かれている。
シンガポールの超目玉スポット、世界一美しいとうたわれる巨大な動物園。
シンガポール動物園【Singapore Zoo】は、端の大通りがそのまま国境へと続く道につながっているため、うっそうと茂った木々と、カラフルな壁は外からでも確認できる。
まるでジェラシックパークのようだ。と、幼い頃の僕は思ったが、大人になってもワクワクするような外観だった。
夜でもナイトミュージアムといって、夜行性の動物たちとも触れ合えるので、昼と夜で2回行ってもいいくらい、長く楽しめる動物園だ。
聞いていないのは分かっていたが、ぼくは一方的に上司に話しかけてみることにした。炎上しているとはいえ、誰かと話して気を紛らわせたかったのである。あと、正直少し休めと思った。
「僕はね、Xさん。こう思うんですよ。このまま、もうシンガポール動物園に行って残りの日数つぶして、帰国当日に空港で合流するんすよ」
「……………んー」
「シンガポールの紅茶は大変美味しいそうじゃないですか。食べ物もイギリスやアメリカ系の料理もあのサイズで多いですし。値段はホント高いですけど、気分転換に旅行するならやっぱりここですよ。」
「んー」
「美味いバーガー食いながら動物キメて、シンガポールの新鮮できれいな水をがぶ飲みするんです。バーガーですよバーガー!ジャンクフードの中ではやっぱり、ハンバーガーが一番です。マレーシアにもうまい鶏料理や卵が多いでしょう?いやー食べるのが待ち遠しいですね。」
「……………」
やはり、仕事に集中していて全く相手にしてくれなかった。すこし、寂しかった。
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