12 悲劇の連鎖
ボウ・ハウスの庭園は冬でも華やいで見える。白茶けた冬の大気のなかにあって常緑の芝生が青々と広がり、曖昧にぶれることのないエッジは砂利道との境界をきれいに分け隔てる。赤、黄色、オレンジの鮮やかな色彩の幹を持つミズキは、温かな海中で枝を伸ばす珊瑚のようだ。花など咲かないこの季節でも、幻想的な景色を実現している。
サロンの庭園に面した方の壁には、天井まで届くほど背の高いガラス窓が設けられており、屋内からでも明るく美しい庭園の魅力を堪能することができた。
その窓辺に佇むエリザは、しかし、景色を楽しんでいるわけではない。彼女は身に着けた青いドレスよりもさらに蒼褪め、思い悩むように眉根を寄せていた。
「ともかく、お掛けになって。」
プリシラは、結い上げ髪をレースと花飾りをあしらったキャップでまとめ、慎ましく首の辺りを覆い隠すデザインのドレスを身にまとい、ローズウッドの肘掛け椅子に姿勢よく腰かけていた。エリザに着席を勧め、室内に控えるメイドに紅茶を淹れ直してくるよう命じた。
全員に熱い紅茶が行き渡ったのを確認すると、人払いして、プリシラは改めて一同を見渡した。エリザ、グラン、アデュレイがサロンの角テーブルを囲み、そしてこの俺もアデュレイの隣に着席することを許されている。
話の焦点は、公示の内容であった。
「こうなってみると、アデュレイ卿に古代遺物を見つけ出していただいたことは、誠に僥倖でしたわ。わたくしも国際倶楽部のオークションを見張ったり、密かに故買屋を探ったりして努力はしていたのですが、発見には至りませんでした。」
「お役に立てて何よりです。」
アデュレイは優雅に首を傾げて微笑した。
「光の教団の審問が始まってから見つかったのでは、調査のためなどといった口実を設けて、教団が古代遺物を押さえてしまったことでしょう。そうなっていたら、こちらがどれだけ正当性を立証する資料を積み上げようと、容易に手放さなかったと思いますわ。本当に、紙一重の差で間に合いました。」
プリシラがこのように発言するや否や、
「当家のために、申し訳ありません!」
エリザは深くこうべを垂れた。
「兄が、亡き母の実家をどうにかするのだろうとは思っていましたが。よもや葬儀が終わる早々、やってのけるとは!」
エリザは、魔法具不正取引事件によって光の教団が動き始めるきっかけを作ったのが、エリザの兄、ライオスであったから悪びれているのである。
ライオスの父がスノーデン伯爵であった時は、妻の実家であるキャンベル家に経済的支援を行っていた。しかし、ライオスは、両親が他界すると機敏に手続きを進めて爵位を継ぎ、キャンベル家への支援を打ち切ったのである。
ただ打ち切っただけではない。今までの支援も無期限の貸付に過ぎなかったとして、債権の回収を開始した。無利息・元金のみとはされたものの、現在のキャンベル家に即時返済するだけの蓄えはない。さりとて支援の状況が表立って知れ渡った以上、こちらは無償の援助のつもりであったなどと憐れに騒ぎ立てるのもキャンベル家のプライドが許さない。
このように急な金策を迫られた貴族がまず行うことは資産の整理だが、土地・建物の売却は最終手段だ。不動産の売買は人目に立ちやすく、経営が傾いているなどと噂になれば家門に疵が付く。その点、黄金や宝石、魔法具などは売却が容易で、とりあえずまとまった額の金が入って一息つくことができる。
キャンベル家は魔法具の売却に手を付けた。これが、光の教団によって固く禁じられた魔界関連の魔法具、即ち禁制品だったのである。禁制品が闇で取引されるとあれば、恐ろしく高値で取引されることは間違いないが、教団に見つかったら異端審問待ったなしというのは言うまでもない。
この取引が、キャンベル家にとって不幸なことに、瞬く間に露見した。確証はないが、初めからライオスの工作員が取引に関わっていたのかも知れない。そうとしか思えないほど、事件は迅速に処理された。
キャンベル家には教団から精鋭の聖騎士が派遣され、逃亡を試みた者や僅かでも抵抗した者は、神の名の下にその場で処断された。生き残った者は、異端審問のため教団に捕らえられた。このうち、多くの者が獄中で自死するだろう。異端審問に引き出されてなお生き延びられるとは、到底思えないがゆえに。
キャンベル家の断絶は、もはや避けられない。光の教団を向こうに回してこれを庇い立てする者など、いようはずもない。これが巧妙に仕組まれた復讐劇だったとすれば、半ば成就したも同然の状況である。
「あなたが詫びる必要は全くありませんわ、エリザ。」
プリシラは声を潜めた。
「わたくしたちが気にするべきは、キャンベル家でもなければ異端審問でもありません。」
「ハーヴィー卿、ですね。」
アデュレイはやや前のめりになって、同じく声を潜めた。
「今回の事件のために古代遺物の販路が洗い直されることとなり、ハーヴィー卿の父君、グロスター伯爵が不正取引に関与している容疑が高まったと聞きました。」
「お耳が早いのね。驚きましたわ。」
プリシラは目を見開いた。
「わたくしは教区警察の聴取を受けたのですよ。」
「レディ、あなたが?」
今度はアデュレイが驚く番だった。
「ええ。今月のサロンにハーヴィー卿をお招きしていましたから、交友関係の有無を確認したかったようです。冷たいようですが、わたくしが直接お招きしたわけではなく、ブライアン卿が連れて来た方だとお答えしましたわ。実際、そのとおりですから。」
「冷たいなどとは思いません。」
アデュレイは小さく首を振った。
「ここは大事なところです。巻き込まれれば、大怪我をするでしょう。レディ・エリザ、あなたも傍観に徹することです。」
注意を促されて、エリザは強張った面持ちで首肯した。
「しかし、俄かには信じられない。私もつい最近王都に戻ってきたばかりで社交界の内部事情に詳しくはないが、そんな私でもグロスター伯爵が公安関係の第一人者であることは知っている。そのような方が不正取引に手を染めるなどと。」
「そのような方だからこそ、誘惑が多かったのではなくて?」
プリシラはエリザに応えた。
「男爵位はお金で買えます。あの方は、そういう商売もなさっていたのよ。」
「何をおっしゃいますか。男爵位はお金では買えませんよ。」
エリザはますます困惑した表情になった。
「一代男爵の位などは、功績を上げた紳士淑女に与えるものでしょう。」
「その、功績の部分です。証明し、推薦するのは誰ですか。公安機関の長がそれをすれば、簡単に男爵位に手が届くでしょう。ですから、名誉とそれがもたらす恩恵を欲しい者は、グロスター伯爵の前にお金を積んだのです。」
エリザは黙り込んだ。
彼女は世間知らずのお嬢様ではない。幼少期から苦労して、傭兵部隊に身を置いていたほどであるから、世の中の汚い部分もいやというほど目にしてきたはずだ。ゆえに、取り締まる立場の者が不正を働くことも大いにありえるということは当然理解しているだろう。
「気味が悪い…。」
ややあって、エリザは低く掠れた声で呟いた。
「ベル・ストリートの古物商が殺されて。母の実家には血の雨が降って。知り合いになったばかりのハーヴィー卿の父君は謹慎中。まるで呪われているみたいだ。」
グランはひどく気遣わしげにエリザを覗き込んだが、すぐにプリシラの様子を窺って、余計な発言を控えるように下を向いた。
「レディ・エリザ、悲観なさることはありません。」
アデュレイは慰めるでもなく、ごくあっさりと声を掛けた。
「悲劇が急に展開しているわけではありません。もともと火種はあったのです。呪いなどではなく、燃えるべくして燃えているのだ。いっそ全てを照らし出せばよいではありませんか。そうでしょう? レディ・プリシラも、その作戦会議のために私たち結社のメンバーを召喚したはずですよ?」
冗談めかしてこの集まりを秘密結社の集いになぞらえると、プリシラは笑い声を上げた。
「おっしゃるとおりですわ。どうもこの件は、わたくしが古代遺物を取り戻して終わりという話でもなさそうです。例の人名を調べさせたところ、すごいことがわかりました。皆さん、驚きますわよ?」
「例の人名?」
エリザはすぐに思い当たらなかったらしく、瞬きした。
「国際倶楽部のサロンに集った夜、占い師が差し出したカードに書かれていた人名です。リー・リーが読み取ってくださったのよね。」
おとなしく席に収まって拝聴していたところ、いきなり注目を浴びて、俺はうろたえた。
「はい、レディ。覚えています。」
「まあ、何と書かれていたか、覚えていらっしゃるの。」
「はい。赤い字で、ハリー・ヘイズ。黒い字で、ペリー・カーチスと、ダニエル・イーシュ。」
「アデュレイ卿はすばらしい方をお雇いになっているのね。彼は、何でもおできになるのね。」
「お褒めいただき、私も鼻が高いですね。彼は最高の従者ですよ。」
何だろう、これはアデュレイの編み出した新たなハラスメントだろうか!
今すぐこの部屋を抜け出したい衝動に駆られつつも、罪のないご婦人方を驚かせないように俺は満面の笑顔を振り撒いておいた。
「では、申し上げます。よくお聞きになって。」
プリシラは一同の面を等分に見据えて、おもむろに告げた。
「ハリー・ヘイズは、キース卿の名前でしたわ。彼は男爵の位を手に入れてから、改名しているのです。それ以前は、わたくしの領地の傭兵だったのですわ。」
キース。
黒い口髭を震わせて周囲を窺っていた、貧相なねずみのような男の姿を、俺はぼんやりと思い出した。
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