20 援軍要請
今宵、ブライアンは騎士の制服姿ではなかった。白いシャツの上に、ごくシンプルな鷹の意匠を縫い取った分厚い上着を重ねている。平服姿だ。
彼の後ろから、縛り上げた男を引き立てながら若い男が追い付いてきた。恐らくブライアンの従士であろう。
「さて、さて、さて。…」
ブライアンは目を丸くして、呆然と佇立した俺たちの面々を順に眺めた。
「これは、いったい、どういう集まりかな? 野外のティーパーティーではなさそうだが。レディとその護衛騎士、それから、アデュレイ卿の従者?」
「レディではないな。」
さすがに短剣の切っ先を下に向けたが、それでも緊張は解かずにエリザは即答した。
「ただのパン屋の娘だ。」
「俺は靴屋です。」
便乗して、俺も素早く応じた。
ブライアンの肩が揺れた。噴き出しそうになったのをこらえたのだろう。
「承知した、レディ・パン屋というわけだな。」
「レディは不要。耳がついていないのか?」
気が立っているのか、今宵のエリザは辛辣だった。すっかり傭兵モードになっている。
ブライアンはますます目を丸くした。しかし、年下の女にがつんとやられても怒り出す様子はない。むしろ、面白がっているように口元が緩んだ。
「パン屋と靴屋と、それから、…」
グランを見て、一瞬、眉を顰め、
「何屋かな、石材屋? とにかく三名で捕り物を手伝ってくれたというわけだな。表彰ものじゃないか! 騎士団を代表してお礼を言わせてくれたまえ。大儀であった。」
茶目っぽくエリザにウインクして大きく頷いた。対して、エリザは冷ややかに答えた。
「それはどうも。まるで、今しも騎士団が捕り物をしていた最中であるかのように言うのだな。その割には、酒と香水がここまで匂ってくるのだが?」
パン籠を肘に引っ掛けた方の手で、自分の頬を指先でつついてみせた。
「頬に口紅がついているぞ。お熱いことだ。」
言われてすぐ、弾かれたようにブライアンは自分の左頬に手を当てた。指の腹でごしごしと頬を擦るのを見て、エリザはほんの少しだけ肩を揺らして笑った。
「冗談だ。何もついていない。」
ブライアンはショックを受けたようだった。目を見開いて、発言をしようと口を開いては閉じるという虚しい動きを二、三回、繰り返した。
「いや、僕も賊を捕らえたのだよ。ほら!」
大きく息を吸い込むと、急いで背後を振り返り、従士が縄で縛って引き立てている男を指差した。
「ティアー橋の辺りを歩いていたら、川岸に明かりが見えたので気になったのだ。明かりの動きが普通じゃないと思っているところに、この男が刃物を持って僕たちの方に向かってきたから、すわ、事件かと思って捕らえたのさ。我ながら、いい判断だったみたいだ。どうやら、そいつらの一味だね。」
「我々の方こそ挟み撃ちされるところだったというわけか。やられはしなかったろうが、一人は取り逃すことになっただろうな。それでは、商工会を代表して礼を述べよう。」
エリザは軽く肩をすくめた。
「大儀だったな。」
どうもエリザは、ブライアンの芝居がかった言い方がお気に召さなかったとみえる。先程のブライアンの台詞をそっくり真似て投げ返した。
いささか気まずい空気が流れ、ブライアンは咳払いした。
「どういう罪状で捕えたのだ?」
「こいつが短剣で俺の背中を刺そうとしやがったんです。」
俺は親指を返してグランに押し付けた男を指差した。
「エルフェス人です。入城審査で虚偽の文書を提出したことも認めました。在留証は確認していませんが、どうせ内容は嘘っぱちです。俺の主人の荷物を奪って悪用したんです。」
「君の主人? アデュレイ卿のことだな?」
「そうです。本来、俺の主人の使用人たちが入城するはずだったのに、こいつらが書状を奪って、なりすましの手口で入城したんです。」
「もしかして…、」
ブライアンはエリザの表情を窺って、ためらいがちに尋ねた。
「違法な手段で入城した連中を捕まえるために、その、変装をしていたのか?」
「いや、そういうわけでもないんですが…。」
俺もまた口ごもってエリザの表情を窺った。
エリザは、気乗りしない様子ながらも口を開いた。
「捜査のために変装したのだ。主たる目的は、失踪したキース卿の行方を突き止めることだったが、最近、巷を騒がせている賊を捕らえることができたとはもっけの幸いだった。」
「そっちの件は、まだ自供していませんぜ?」
念のため、釘を刺しておいた。何事も、決めてかかるのはよろしくない。
まあ、大方、こいつらなんだろうけれども。
「キース卿を捜しているのか? なぜ、君たちが?」
「あなたのせいではないか。」
エリザは煽るように顎を持ち上げた。
「あなたがレディ・プリシラのサロンに犯罪者の息子など連れてくるから、彼女は取り調べを受ける羽目についたのだぞ。巻き込まれて大変なのだ。キース卿も、重大な犯罪に関与している疑いがある。早急に身柄を押さえて、レディ・プリシラに突き出さねばならない。彼については、都市法では裁かせないつもりだ。」
エリザは口角を上げて笑みを作った。
「領地に戻れば、領主は治安判事も務める。辺境の定めを破った者は、辺境で裁いていただこうではないか。」
ブライアンは眉間を縮め、表情を曇らせた。
「キース卿のことは知らないが、ハーヴィー卿については、彼もまた被害者と言える。」
エリザが彼を指して犯罪者の息子と言い切ったことに、いささか苦みを覚えた様子だった。
「あなたがご存じかどうか。謹慎中のグロスター伯爵は、昨夜、倒れてしまわれたのだ。そのまま意識を取り戻すことなく、お亡くなりになった。このようなときだ、悩みすぎて脳の血管が破れでもしたのだろう。」
あるいは、身内によって葬られた可能性もないとは言えないだろうが。
もちろん、俺は余計な口を挟まず、神妙に耳を傾けた。
「これにより、事件の審理は中止となるだろう。そして、ご長男が爵位を受け継ぐこととなるだろうが、もはやグロスター伯爵の関係者が公安関係の職位を得ることはあるまい。三男坊のハーヴィー卿も、今頃、今後の身の振り方に悩んで頭を抱えているだろうな。」
かたわらに控えていた従士がそっとブライアンの袖を引いて首を振った。往来の立ち話で語るような内容ではないと戒めているのだろう。若いのに賢明な少年だ。
ブライアンは従士に軽く頷いてみせたが、口を閉じることはなかった。
「国際倶楽部でサロンが開かれたあの夜、カード占いをしたことを覚えているか? こうなってみて今更に、あの夜のことが思い出されてならない。ハーヴィー卿のカードは、〈聖人〉だったのだ。」
アデュレイも、しきりにカード占いの結果を気にしていた。
貴族にはロマンチストが多いのか?
俺は僅かに首を傾げた。
ブライアンは自身の物思いに囚われて、その仕草に気付いた様子もなかった。
「〈聖人〉は父性の象徴カードだと、あの占い師が言っていた。まさに、カードは告げていたのだ。いま直面しているこの事態こそ、早急に解決すべき重要な課題なのだと。ハーヴィー卿はいつも、父親との関係に胸を痛めていた。彼には父親や兄に対する根深い劣等感があったのだ。あのとき、僕がもっと深く掘り下げて話を聴いておけば…。」
意想外に繊細な一面を見せられて、束の間、エリザは掛ける言葉に窮したようだった。
が、ともかくエリザは彼女一流の思いやりを示した。
「カード一枚で未来が覗けたら、誰も苦労はしない!」
口をへの字に曲げてやや上体を逸らすところは、何だか彼女自身の兄に似て見えた。
「ともかく、この男たちを引っ張っていこうではないか。本庁の方に連れていこう。」
本庁というのは、バーレル・ストリートに所在する王都巡察隊の本庁舎のことだろう。
「それが済んでから、ハーヴィー卿を見舞いに行こうではないか。」
「こんな夜分に突然?」
ブライアンは怪訝そうに質した。
エリザは悪びれなかった。
「会えずとも、文を置いていけばよいではないか。やけになってストロー・プレイスで無駄酒をあおっているよりも、よほど建設的な行為だと思うぞ。」
二人の話を聴きながら、ふと、俺は急接近してくる気配に気づいた。川向こうからやってくる。俺に対して気配を隠そうとしていない。むしろ、自分の存在を知らせているのだ。
左手のフレイル川の方に目を向けた。夜闇を裂いて、白い鷹が一直線に向かってくる。尋常の鳥ではない。アデュレイの放った魔法の伝令だ。
「あっ、あの、」
俺は一同を見渡し、不審に思われないよう、急いで言い募った。
「あの鳥は別におかしなもんじゃなくて。」
「鳥?」
ブライアンは眉間を縮めてフレイル川を見遣り、
「こんな時間に鳥が飛ぶはずないだろう。コウモリか何かを見間違えたのか?」
むしろ俺への不信感を高めてしまったらしかった。
どうやら魔力を持たない者は、あれを感知することができないようだ。
このようなやりとりをする間にも、矢のように飛来した鷹は、止まり木代わりにと差し出した俺の左腕を素通りして顔面に激突し、しかし何ら物質的刺激を与えることなく霧散した。
その瞬間、俺の全霊にメッセージが轟いた。
アデュレイが俺を呼んでいる! 探索が完了した!
「すみません、急用を思い出しました!」
俺は叫んだ。周囲の面々は驚いて俺に注目した。
「後は皆さんでよろしくお願いします。行かなくちゃ!」
返事も聞かずに走り出した。
走り出してから、俺は後方を振り返った。周囲の注意が削がれたこの一瞬の虚を突いて、縛られたまま手を振り切って逃げ出そうとした男がいたようだが、すぐさまブライアンが羽交い絞めにして取り押さえた。後ろから両腕で男の胴体を掴んで引っ張るブライアンのその姿を見て、何かを思い出した。
〈力〉のカードには、獅子の口を素手でこじ開けようとする勇敢な若者の姿が描かれている。ブライアン自身が引き当てたそのカードの絵柄が、今の彼の状況に重なって見えた。
俺は前を向き、加速した。もはや、振り返らなかった。
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