21 冬夜の追跡

 エインディアの王都ヘイヴンは、今でこそ復興も進んで文化的町並みを見せているが、歴史ある都市の例に漏れず先の大戦を戦い抜いた城市でもある。都市そのものを外郭が護り、街道に通ずる南、北、東の三大門に門衛所が置かれて人や貨物の出入りを改める。


 このように出入りの管理を行う目的は、疫病や有害物質の流入を防ぐこと、魔族や不審者の侵入を食い止めること、そして通行や貨物に係る税を徴収することである。当然、バーン川及びフレイル川の水上ルートにも門衛所があり、船によって持ち込まれる大量の貨物の点検にも余念がない。


 とはいえ、「蟻の這い出る隙もない」というほどに完璧なガードはなかなか難しいものである。都市を囲む外郭の壁は全周およそ百キロを超えるといわれているのだから、戦時でもないのに隈なく目を光らせるのも至難の業だ。王都巡察隊としても審査強化月間などを設けて苦心しているが、それでも何とか不正な手口で入城しようとか、入城時に徴収される税を少しでも免れようという不届き者は後を絶たない。


 そしてここに、密かに城市を離れようとしている者がいる――キースである。


 当たり前に門衛所を通過したとしても、出ずるは入るよりもずっと簡単だ。入るにあたっては基準に適合しているかどうかの審査や、適法な徴税のための貨物調べを受けねばならないが、出るにあたっては人定の確認をされるだけである。貨物が多い場合でも、事前に持ち出し検査を済ませて書類を作成しておけば、さほどの面倒は起きない。


 だが、キースの場合は事情が異なる。彼にとっては、この「人定」こそ最大の危険をはらんでいる。プリシラが当局に身柄の確保を願い出ているのであるから、人物を特定されれば拘束されるに決まっている。


 今、俺たちはキースがヘイヴンから密出境するのを阻止しようと、ヘイヴン郊外の森に急いでいた。距離を稼ぐため王立図書館の馬車で行ったが、途中からは徒歩だった。


「如何です、ベルナルド卿。見事な満月です。冬の夜空は、美しいものだ。」


 このような時だというのに、アデュレイは天空の月を指し示し、隣を歩くベルナルドに微笑みかけた。


 そう。俺がアデュレイの居宅に戻ると、そこにベルナルドがいたのである。そして、現地に向かう俺たちの付き添いまでしてくれているのだ。


 アデュレイによると、「どうしても課題が片付かない学生が親切な先輩に縋るように」ベルナルドを頼ると、快く駆けつけてくれて探知魔法の指導をしてくれたとのことだった。


「今は月明かりで足下も照らされていますが、森に入ると暗いですよ。」


 ベルナルドは丁寧に返答したが、月の美しさには言及しなかった。


「私たちは明かりを使うことはできません。目立ってしまいますからね。あなたのリー・リーを先行させることにしては如何でしょうか。彼には夜の暗がりも関係ありませんからね。そして私は、私たちの楽しいおしゃべりが森の静寂を破らないよう、ごく狭い空間を閉ざすとしましょう。」


 気のせいだろうか? 優しげな言葉ばかり選択しているにも関わらず、若干、棘があるように感じるのは。


 俺は指示を待たずに、黙礼して二人の前に出た。


「移動中の私たちの周囲を結界で護ることができるのですか?」


 背後で会話が続いている。アデュレイは、感じ入ったようにそう尋ねた。


「可能ですよ。私は結界などの魔法を好みますし、またそれが得意でもあります。」


「最も難しい分野ともいえますのに、さすがですね。」


「あなたには敵いませんよ。あの白い鷹、あなたの魔法の伝令は、どういう工夫で結界を通過するのですか? 誰も入り込めないはずの私室にも、あなたからのメッセージが届くのですから驚くばかりです。」


「もしかして、というお話ですが。私からの便りを阻止するために私室を封じたわけではありませんよね?」


「そんな、まさか。」


「どちらかと言えば、私たちエルフェス人の方が親友との間に保つ距離が近いようですから。少しわがままな振る舞いになっていなければいいのですが。」


「友の誘いは大いなる喜びですとも。ただ、読みたい本があるときなどは、集中するために部屋を閉ざすこともあるのですよ。」


「お邪魔ではなかった、と?」


「あなたが私を外に導いてくださらなかったら、根が生えて部屋から出なくなってしまいますからね。私の健康にまで気を配っていただいていること、十分、理解していますよ。」


 ダメだ。何だかいたたまれない。耳を塞いでこの場から走り去ってしまいたい!


 俺は腹に力を込めて、背後の会話から感じる圧力に耐えた。


 キースがヘイヴンを離れようとしているという推論には、ベルナルドも賛成だった。アデュレイの魔力感知によると、三つ目の帯飾りの持ち主はすでに都心を離れ、日没からヘイヴン北の森に潜んで動かないとのことである。


 門衛所の人定確認を回避する方法はいくつか考えられるところ、北の森に入った人物がキースだと仮定すると、恐らく夜のうちに協力者と合流し、北の大門が開くや否や、早朝の慌ただしいときに貨物に紛れて出る算段ではないかと予想された。


 それとも、もしかすると変装して偽の身分証を使うつもりかも知れない。いずれにしても、森に待機しているからには、協力者と接触を図るつもりであろう。


 ただし、ツタの葉の持ち主がキースではない可能性もある。アデュレイが予想したとおり、そこにエラが潜んでいるのだとしたら、それはそれでエラの身柄を押さえる必要がある。彼女は本件の重要参考人だからだ。


 そこで、俺たち三人は探索結果の座標に急行している次第である。ベルナルドの説明によると、厳密にいうとアデュレイが用いたのは探索の魔法ではないそうである。アデュレイは普段から〈見えざる従者〉や〈疾風の白鷹〉を使役し、召喚魔法に慣れている。それゆえ、物品に付喪神のごとき精霊を降ろし、それに魔力を与えて探索の依頼をするという、いわば反則技を用いているというのだ。アデュレイの得意分野から突破口を見出し、そこに導いたベルナルドも大したものだが、短時間でそれを成功させたアデュレイもまた卓越していると言わざるを得ない。


 俺たちは合流してすぐスノーデン・スクエアを出発したが、アデュレイは夜陰に紛れるようにとの気遣いか、しっかり黒ずくめの衣装に着替えて出てきた。一方、俺は着替える時間もなかったので靴屋のなりをしたままだ。ベルナルドもいつもどおりのコートを羽織っている。


 ベルナルドのこのお決まりの装いは、王立図書館長の制服なのかと思っていたが、アデュレイと交わす会話を漏れ聞いていると、どうも違うようだ。同じ服を十数着も作り、順番に着ているそうである。「一度、他者に褒められたことがあるので恐らくいい服なのだろう」との判断らしい。


 事ほどさように、ベルナルドは自分の外見を繕うことに重きを置いていない。服を選ぶ時間さえ惜しいのだ。そのようなことよりも、読書や研究に時間を割きたいという考えなのだ。


 それなのに、夕食もそこそこに引っ張り出されて、夜の森を歩かされているとは。同情を禁じ得ない。一刻も早く事件を片付けて、この御仁を解放してさしあげねば。


 音を立てないように足を急がせていた俺であったが、無視できない気配の接近を感じ取って足を止めた。声を潜める必要はないのかも知れなかったが、それでも囁くような声音で背後に伝える。


「誰かが馬に乗って近づいてきます。一頭、並足よりは少し速い。」


 驚きもなく、ベルナルドは頷いた。


「夜間に森を抜ける街道を馬で行くなど、ろくな用事ではないでしょうね。」


「我々同様ね。」


 どうやらアデュレイは冗談を言ったつもりらしかったが、誰も笑わなかったので小さく咳払いした。


「旦那様、この馬に乗った奴が、キース卿と合流しようとしているのではありませんか。」


 のんびりしている余裕はあまりない。俺が問い掛けると、アデュレイは腰に下げた革袋に手をやった。そこに帯飾りが入っているのだろう。今このときは、走り人のもとまで俺たちを導く六分儀ともいうべき物だ。


「僕たちはもう対象の至近にいる。このまま直進して、街道脇の茂みに身を潜めよう。馬で近づいてくる人物が対象と接触するかどうか、確認する必要がある。」


 俺は無言で首肯し、慎重な足取りで指示されたとおりに歩を進めた。ベルナルドの傍から離れずにいれば、気配に気づかれる危険も少ない。街道脇の灌木の茂みまで到達して南方を見遣ると、確かに人を乗せた馬が緩い駆け足で近づいてくるのが見えた。


 人と違って、馬は夜目が利く。野生馬が暗い夜でも平原を駆け回っている光景などは特に珍しくもない。だからといって、夜に街道を駆けるのが普通かというと、もちろんそのようなことはない。夜間には城門も閉ざされ、一部の特殊な店を除いて家々も門を閉ざす。夜は、獣や賊が動き出す危険な時間帯なのだ。敢えてそのような時間に街道を行くのは、何かやむを得ない事情がある場合に限られるだろう。


 馬がさらに近づいてきた。すると、突然、風を切って飛ぶ鋭い矢音が聞こえた。あっと思う間もなく、矢は馬上の人物の左肩に刺さり、悲鳴が上がった。いきなり手綱を引かれた馬も驚いて嘶き、つんのめるようにして急停止した。


 馬上の人物は馬の背に上体を伏せ、それから警戒するように顔を上げた。


「あっ。…」


 暗い茂みの陰にいても、見分けられる。その相貌を確認して、俺は呆然と呟いた。


「馬に乗っているのはキース卿…、ハリー・ヘイズです…!」

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