22 月都の門

 キースは、森に潜んで協力者を待っているのではなかった。


 アデュレイは探索の魔法でキースの居場所を探したわけではない。三つ目の帯飾りの在処、または所有者を探したのだ。やはり三つ目の帯飾りは、アデュレイの予想どおり、エラが所有していたのか。そうだとすると、ずっと森に潜んで、キースを待ち伏せしていたのだろうか?


 たった一人で、長時間、遭遇の一瞬を待って森に潜む。それは並々ならぬ忍耐力のなせる業だと評価せねばならぬ。まるで、頭のよい獲物と知恵比べする狩人のようだ。


「誰だ!」


 キースは吠えるように叫ぶと、左肩の矢を掴み、しかし抜くのを断念したか、手綱を取り直して馬を数歩歩かせた。数呼吸の間、警戒するように周囲を見回して黙り込んだ。射手が他にもいるかと用心したらしい。


 すぐに、びしりと鉄が石を打つ音が聞こえた。蹄のすぐ先の街路に矢が射込まれたのだ。怯えた馬が後ずさりする。


「イーシュの娘か! そうなんだな!」


 停止ではなく射殺を目的としていることを悟って、キースは恐れよりも怒りを沸き立たせた様子であった。


 殺意を察してすぐに「イーシュの娘か」と口にするとは、ダニエル・イーシュの遺族から殺されるほど恨まれている自覚があるとみえる。


「今宵は満月。…」


 どこからか若い女性の声が聞こえた。俺は、街道を挟む木々に目を走らせた。近くにいることは間違いない。


「月都の門は開かれた。月下に全てが浄化される。月の女神マイラの子らによって…、」


「エディーラ・イーシュ!」


 長音を必要以上に引っ張って発音し、キースは濁った声を張り上げて遮った。


「貴様が占いにかこつけて伯爵に渡したカード! あれに嘘八百を書き連ねていたんだろうが、畜生め!」


「嘘は書いていない。むしろ真実を書いてさしあげたのだ。ハリー・ヘイズ、薄汚い人殺しの本当の名前を。」


「お前の親父は傭兵仲間のペリーと組んで、古代遺物を持ち逃げしたのさ。言いがかりはよせ。」


「父さんは盗人ではない。古代遺物を盗み出したのはお前だ。」


 淡々と、女性の声が返す。もはや疑いようもない。エラの声だ。


「私は父さん自身から聞いて・・・・・・・・・・、それを知っている。お前は盗みを咎められて仲間であるはずのペリーを殺し、父さんを馬ごと崖から追い落としたんだ。」


「ダニーから聞いた、だと? そんなわけあるか。あの深手で生きていられるわけがない・・・・・・・・・・・・。」


 キースは唸った。


「貴様のせいで俺はお尋ね者だ! 満足か! 満足だろう! ええ?」


「満足はしていない。」


 エラの声に揺らぎはなかった。いっそ超然としていた。


「お前は父さんの名誉と命を奪った。お前も名誉と命で贖わなくてはならない。」


 さらに冷ややかな声音で付け足す。


「もとよりお前に名誉などないが。」


「マイラのあばずれの戯言など! 聞いていられるか!」


 月の女神マイラと聞いて、今更に思い当たった。マイラのシンボルは、二つの三日月を組み合わせたシンメトリーだ。国際倶楽部のサロンでエラと出会ったあの夜、彼女のタローカードをみて、なぜ気づかなかったのだろう。


 今でも多神教の信者は細々と生き永らえている。恐らく、彼女は月の女神の信者なのだ。神々は信者に対して恩恵を与える。例えば月の女神の信者であれば夜目や弓術が恩恵となるので、かつては狩人や野伏でこれを信仰する者は少なくなかった。


「弓の腕前は親父譲りか、畜生め…。」


 忌々しげに呟くと、今や険しい目つきで耳を平たく伏せている馬を、キースは小さな円を描くように歩かせた。どうにか馬を宥めて、この場を駆け抜けようとしているとみた。


 が、ちょうどキースが手綱を持ち直したところで、路上に青白い炎が出現した。馬の鼻先から三間と離れていない。まるで上空から差し込む月光が凝集し、キースと対峙したかのようであった。


 キースが鋭く息を飲み、それは引きつったような歪な音声となった。


「嘘…だ…。」


 震える声で呟く。


 この世のものとも思えぬ青く冷たい炎が顎下で揺らめき、見知らぬ男の顔面が暗がりに浮かび上がっていた。額から血を流している。完全なる無表情、それは直感的に死を思わせる。


「いや…、いや、いや、お前は死んだはずだ。生きているはずがない…。確かに俺が…、」


 声は徐々に窄まり、喉を締められるかのような呻き声となった。


「俺が、殺した…。」


 掠れた声で呟いたのを、俺の耳は聞き逃さなかった。凍てついた冬の夜よりも寒々とした恐怖が場を支配する。

 

 そしてその空気から滲み出るかのように、重く厳しくエラの声が響く。


「お前は友情を誓い合った仲間を裏切り、ペリー・カーチスとダニエル・イーシュを殺害した。お前はご領主様の宝を盗んだ。自らの身辺が危うくなると、薄汚い取引に手を貸した故買屋をも殺めた。」


 軽蔑しきった声音で断罪する。


「盗人。嘘つき。そして殺人者。お前に黄金のツタは相応しくない。お前に死後の平安は与えられない。」


 路上の男がキースを見上げた。青白い火影が陰影を浮き立たせて、不気味な表情が生者に迫りくる。


「や、やめろ!」


 複数の殺人を犯した元傭兵とは思えぬほど、キースは怯懦に震えた。取り乱して急発進しようとしたか、むやみに馬腹を蹴りつけると、驚いた馬は急激な速度で逆に後退した。


「おい!」


 力任せに言うことを聴かせようとしても、騎乗者の激しい動揺は馬にも伝染する。


 馬はその場で跳ねた後、棹立ちになった。馬上で仰のく姿勢となりながら、落ちまいとして手綱を引き続けるキースの姿が、一瞬、塔から真っ逆さまに落ちていく人の姿に見えた。


 それはまさしく、裏切りによる破滅を告げる〈塔〉のカードの図案であった。


 どう、とばかりに馬が倒れた。馬の背から落ちることは免れたが、手綱に全体重を掛けられた馬の方が転倒し、結局、路上に投げ出されたキースの左半身に馬体が乗った。当然、矢が刺さったままの左肩を強力に圧迫されて、キースが苦悶の声を上げた。馬もまた悲鳴を上げ、地を掻いて立ち上がろうとする。


 これ以上、黙って見ていられない。俺は茂みから飛び出した。


 肩で押し上げるようにして、身を起こしかけている馬に加勢し、起立させると、


「おい!」


 手綱を掴んで呼びかけ、顔をこちらに向けさせた。切迫する危険に対しては、獣の方が人よりもずっと敏い。俺の眼を覗き込んだ馬は、ただちに力関係を理解して身震いし、おとなしくなった。自分の手綱を掴んだ存在が見た目どおりの人間ではなく、人ならざるものを内在させていることを本能で察したのだ。察するよう、俺が仕向けた。


 通常、主従の契約は相互の同意で結ばれるものだが、圧倒的な霊力の差は同意なき服従を強いることを可能にする。呼びかけに反応させ、視線を交わす、…その程度の関係性を築いておけば十分だ。後は意識の内側に侵入して刻印するだけである。


 無理に鎮めた代わりにというわけではないが、そっと馬の背を撫でて神聖魔法の治癒を施しておいた。魔界の力で押さえ込み、太陽神の力で癒すのだから、我ながらどうかしている。だが、今は我が身のレゾンデートルについて考え込んでいる場合ではない。俺は、倒れたまま起き上がれないでいるキースを見下ろした。


 キースは、人だ。元来、人と主従関係を結ぶべく飼いならされている馬と同様に扱うわけにはいかない。正当な理由もなく同意なき服従を強いるのは、避けた方がよいだろう。万が一にでも「光の教団」関係者に霊的な干渉の痕跡でも読み取られたらと思うと、面倒でしかない。


 やむなく、俺は屈み込んで声を掛けた。


「おい? 立てるか?」


 矢傷を負っていない方の肩を掴んだのに、キースは悲鳴を上げた。どうやら、馬体が乗った方の鎖骨、上腕骨、それに肋骨が折れたようだ。もしかすると、胸椎にも多少の損傷があったかも知れない。


 それでもここでは敢えて治癒は施さず、転がしたままにしておいた。嗜虐的な動機ゆえではなく、痛苦を取り除くことが逃走の援けとなるのを恐れたからである。とりあえず、馬に踏み殺される心配だけはない。王都巡察隊か教区警察に引き渡すまでの間、死なせなければそれでよかろう。


「そちらは頼んだよ。そのまま見張っていてくれたまえ。」


 思わぬ方向からアデュレイの指示が飛び、俺は驚いて声の方を向いた。


 左手の上に青白い魔法の焔を載せて、先程まで顔面を血に染めた男が立っていた場所に、アデュレイが佇んでいた。

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