23 化生の月鏡

 アデュレイは、左右の木々を見渡すようにして声を上げた。


「君の復讐の邪魔はしないよ、エラ。」


 返事はない。


 構わず、アデュレイは続けた。


「僕は君の〈魔法使い〉だ。カードで見たろう? そのとおりだ。黄金のツタの誓いを辿って、ここまで来たのだよ。三つあったはずのツタ飾りの、二つまでをハリー・ヘイズが所持していた。そして最後の一つは、君が持っていたのだ。」


 アデュレイは、軽く声のトーンを上げた。


「君が持っている黄金のツタは、お父上の物だね?」


 アデュレイがゆっくりと両手を腰にやると、青白い魔法の焔は空中にとどまって揺らめいた。


 アデュレイは腰に下げていた革袋を外し、それを右手で高々と掲げてみせた。


「ここに残り二つの黄金のツタがある。君のお父上の親友であるペリー・カーチスと、ここにいる裏切り者のハリー・ヘイズが持っていた物だ。現在の正式な所有者は、レディ・シファールとレディ・ラザラムといえるが、このご婦人方はこれらを手放してもよいとおっしゃっている。だから、これらを君に委ねたい。」


 アデュレイは革袋を差し上げたまま、ゆっくりとこうべを巡らせた。


「受け取ってもらえないか。どうか姿を現してくれたまえ。僕らもまた君のお父上と、そのご友人の名誉を回復したいと考えているのだ。信じてほしい。」


 やはり、返事はなかった。路上に仰臥するキースの、乱れた呼吸音だけが静寂に罅を入れる。


「古物商の殺人現場に、傭兵が使う短剣を置いて行ったのも君だね?」


 アデュレイは会話の趣向を変えてみたらしい。そろそろと腕を下ろしながら周囲を見回す。


「あれは君のお父上が使っていらっしゃった短剣かな? あれも君からのメッセージだね? 犯人がハリー・ヘイズであることを、我々が見過ごさないようにと?」


 数秒を置いて、エラが答えた。


「そうです。」


 先程までの声音とは微妙に異なる、神妙な物言いだった。


「私の手で始末をつけるつもりでした。父のかたきを討とうと。でも、討ち漏らしてしまうかも知れないので、それなら辺境伯に捕らえていただいて、辺境のお裁きをつけていただいてもよいと思いました。」


「レディ・シファールは、必ずや厳しいお裁きをつけ、君のお父上とご友人の名誉を取り戻してくださるだろう。」


 アデュレイは断言した。


「君のことも悪いようにはしない。お父上の短剣も君に返そうじゃないか。出てきてくれないか。君が証言をしてくれたら、お裁きも早く済む。」


 再び沈黙が訪れた。


 アデュレイは少しだけ待って、それから言葉を継いだ。


「君は、日没からずっとここに潜んでいたね。辛抱強いことだ。ハリー・ヘイズが必ずここを通ると確信があったのか?」


「カードが北と告げましたので…、」


 これには答えが返ってきた。


「北の大門から出ると踏みました。信じて待っていました。」


「君は占いの名手だ。弓の名手でもある。ひょっとして、月の女神の神官か?」


「神官ではありません。ただの信徒です。私は自分の占いを信じているのではありません。女神のご加護を信ずるのみです。」


 その声に決然たる思いが加わった。


「月の女神は女神の子らが安らかに眠れるようご加護を垂れたもう。物事が起きるのに偶然はありません。何事も起こるべくして起こるのです。私が神意に背かぬ方向に進んでいるがゆえに、私の選択が正しき道となるのです。」


 恐れ入った。本職の神官であった俺などより、彼女の方が信心深いかも知れない。


 胸裏で反省の念を噛みしめる俺を余所に、アデュレイは会話を続けた。


「この件について、正しく真実を示さなければならない。僕らはハリー・ヘイズを王都巡察隊に引き渡し、辺境伯に介入していただいて辺境のお裁きをつけていただく。ここに心強い証人もいらっしゃる。国王陛下の信任も厚いベルナルド卿だ。」


 姿を現すつもりはなかったのかも知れないが、名を呼ばれては是非もない。


 茂みの後ろから、泰然たる足取りでベルナルドが歩み出てきた。


「証言を求められれば、私の見聞きした全てをお話ししましょう。」


 ベルナルドは、アデュレイに向けて確約した。


「ベル・ストリートの古物商殺人事件において、私が調べたことも全て。」


「助けてくれ!」


 身動きもできないくせに、路上に転がっていたキースが憐れっぽく声を上げた。発声が肋骨に響くのか、痛みに顔を歪めながらも、


「あの娘が言うことはでたらめだ! 嘘つきはあの娘…っ、」


 皆まで言えずに悲鳴が取って代わった。


 仰臥したキースの顔を、まじまじと、口から血を流す初老の男が覗き込んでいた。殺された古物商、ジェイムズ・イアン・アチソンの死に顔だ。目を剥いてまっすぐキースを見据えるその真っ白な顔が迫ってくるのをみて、


「ジェイミー! ううっ、来るな! 来るな…っ!」


 あちこち骨が折れ砕けた状態だというのに狂ったように身を捩ろうとし、痛みに絶叫して失神した。失禁したらしく、尿の臭いがした。ベルナルドがそっと距離を空ける。


「ああ、もう。旦那様、そんなにこいつを興奮させて、死んじまったら元も子もないですよ。エラの親父さんが盗人じゃないって証を立てるためには、お調べを受けさせなきゃあならないんですから。気を付けてくださいね!」


 眉を顰めて苦情を述べると、初老の男の輪郭がぼやけ、アデュレイの姿に変わった。いつの間に取り出したか、手には銀製の手鏡が握られている。薄い正円の鏡は、まるで今宵の満月のようだ。


化生けしょう月鏡つきかがみ、レディからお借りしてきたのだよ。ツタの葉の帯飾りをお貸しくださる際、念のためにこれもと持たせてくださったのだ。」


 アデュレイは鏡面を自分の胸に押し当て、勝ち誇ったように笑んだ。


 貴重な魔法の古代遺物を貸し与えられるとは、絶大な信頼を勝ち得たものだ。確かに誇っていいかも知れない。


 この月の女神の神聖魔法は、鏡に映した者の姿を変えることができる。アデュレイはそれを利用して死者の姿を見せ、キースの反応を見たのだ。改めて確認するまでもなく、誰が嘘つきで、誰が嘘つきでないかの判定は、すでにアデュレイのなかでは導き出されていたのだろうけれども。


「殺された古物商の死に顔を見た反応は、到底、何もしていない人物のものではないよね。今、彼はジェイミーって言ったよね?」


 ベルナルドに顔を向けた。


「ねえ? 親しげに愛称を呼びましたよね?」


「ええ、聞きました。」


 ベルナルドは仕方なさそうに頷いた。


「親しい仲なのでしょうね。いえ、親しい仲だったのでしょう。」


 ベルナルドは几帳面にも過去形に言い直し、


「これほどの犯罪者にも死者を恐れる心があるとは思いませんでした。人というものは…、」


 何か言いかけたが、急いで口を閉ざしてその先を述べることはなかった。


 やにわに、ベルナルドは辺りを見渡し、


「彼女は去ったようですね。」


 と告げた後、アデュレイの方に顔を向けた。


「今なら、ここら一帯を封じて逃走を妨げることもできますが。そうしますか?」


「いいえ、それには及びません。お調べの際には、きっと出てきてくれるでしょう。そう信じます。」


 アデュレイは微笑とともに礼を述べた。


「でも、ありがとうございます。ベルナルド卿のお心遣いに感謝します。」


「どういたしまして。」


 俺はアデュレイの手のなかにある純銀製の手鏡をしげしげと見詰めた。


 服装も含め、イメージしたとおりの別人に変身することのできる、このような魔法具が世に出れば、きっと要人に化ける奴が現れるだろう。王族や貴族の暗殺も、そしてその後の逃走も思いのままだ。誰かを殺した後、その人物になりすますこともできる。確かに取扱注意の貴重品である。


「旦那様、その品物は大変な代物ですね。最初は、エラのお父様に化けてみせたのですか? 知らない顔でしたけど。」


 俺が言うと、アデュレイは怪訝な顔つきになった。


「最初とは? 僕は初めから殺された古物商の再現をしていたのだが?」


「いやいや、頭から血を流していた男は別の奴でしょ。もう少し若い男でしたよ。」


 俺は首を振った。


「殺された古物商の顔なら、俺も知っています。ご遺体を見ましたから。あれは別の男です。」


「この古代遺物だが…、」


 アデュレイは手に持つ鏡に視線を落とした。


「どんな人物の姿も再現できるわけではない。自分が容貌とフルネームを知っている人物しか真似られないのだ。僕はエラの父親に会ったことがない。だから、その姿の再現はできないよ。」


「いや、でも、だって…。」


 アデュレイと俺は目を見交わし、何となく口を噤んだ。これ以上、この話題にこだわってはいけないような気がした。


「あれは?」


 ふと、ベルナルドが街道の北を指差した。青白い炎が揺れている。


「あそこに魔法の明かりを置きましたか?」


「いいえ? 私の明かりはここにあるでしょう? 必要もないのに、同時に複数の明かりを出しはしません。わずかとはいえ、魔力を消費するものなのですから…。」


 次第に声量が落ち、アデュレイにしては気弱げに口を閉ざした。


 正体のわからないそれは、まるで挨拶をするように緩く三回、円を描き、それから天空に上がっていった。そして、満月に吸い込まれるように消えた。


 沈黙が舞い降りた。冷たい夜風が木々の葉を揺らす音だけが聞こえて、澄んだ月光が痛いほど眩しく降り注いでいた。


「ああ…、」


 アデュレイは深く息を吸った後、俺とベルナルドに首を傾げてみせた。


「どうだったかな。寝不足で注意散漫になっているからね。明かりを飛ばしてしまったのかな? 記憶にないけれども?」


 俺は乾いた笑いを漏らした。


「魔法の明かりを出したかどうかもわからないなんて、旦那もそうとう参っていますね。」


「違いない。」


 俺たちはまた、暫時、白い焔に縁取られているかのような満月に見惚れた。ベルナルドはもはや何も言わず、ただ僅かな微笑を目元に湛えていた。


 そして、本当のところ、あの青白い炎が何だったのか――この後もずっとわからずじまいであった。

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