19 暗闇からの襲撃
俺たちはフレイル川を左手に見ながら、ティアー橋に向かって歩いている。ティアー橋に辿り着いてしまえば、そこはストロー・プレイスと呼ばれる歓楽街なので、夜でも営業している店などから漏れる明かりがある。
しかし、そこに至るまでにはもう少し距離があり、左手に人工物のない斜面、右手に建物の外壁が迫って非常に暗く歩きにくい。武装協会の夜廻りでも通りかからないことには、自分たちの持つカンテラの明かりだけが頼りという状況だ。
もっとも、俺には明かりの有無など関係ない。俺の眼は特別だ。一筋の光もない暗夜でも、その気になれば問題なく細部を見分けることができる。
背後に付いてきている二人は、どうせよからぬ連中に違いあるまい。彼らのさらに後ろからグランが付いてきているはずなので、もしここに俺がいなかったとしても、連携のとれた元傭兵の二人が挟撃することになるのだからまず危なげない。まして俺がついていながら、みすみすエリザを危険な目に遭わせはしない。
「ああ、やはりカンテラを持ってもらえばよかったかな。」
今頃になってエリザが嘆いた。
俺は人の悪い笑いを漏らしてエリザの肩を揺すった。
「何だって? 重さがこたえるって?」
「そうではないが。…」
物を持っていたら、思うように暴れられないというのだろう。
それでよい。むしろ、それがよい。
「今からでも持ってくれないか?」
「いやあ、だね。」
「持ってくれてもいいではないか。」
「やあなこった。」
「意外に意地悪なんだな!」
「そうさあ、やっと気付いたのかい?」
のんびりふざけあいながら歩いていると、後ろの連中は速度を上げて迫ってきた。
彼らは、止まれとも、金を出せとも言わなかった。ただ無言で、男の方を先に無力化しようとてか、俺目掛けてまっすぐ突っ込んできた。
俺は特に用心もせず、エリザを前方に押しやって素早く後ろを振り向いた。頭巾を被った男が、短剣を突き出してくるのが見えた。一切のためらいがない。これは、ならずものだ。そう判断したのが早かったのか、凶器を蹴り飛ばしたのが早かったのか。男はアッと短く声を上げて、蹴られた手を反対の手で押さえて身を丸くした。
加減はしたつもりだが、指の骨を砕くか割るか、結構なダメージを入れてしまったかも知れない。それも仕方あるまい。俺を殺そうとしやがったのだから。
もう一人の男の方は、背後から闘牛のような元傭兵の体当たりを喰らって前方に吹き飛んだ。盾役のグランがぶつかってきたのだから、馬に撥ねられたようなものだ。路面に顎を擦りつけながら滑っていくところを、エリザに踏みつけられ、靴の踵の尖った角で利き手を踏みにじられた。こちらも指の骨が砕けたかも知れない。
「ふざけた真似をしやあがる!」
俺は逃げようと背中を見せた頭巾の男に組み付いて押し倒すと、後ろ手にねじり上げた。腕を動かせないよう、上から腿で押さえ込むと、伏臥した男は情けない悲鳴を上げた。
「俺たちを狙ったのか? ええ? 貧しいパン屋の売り上げを狙おうってのか?」
男が罵り言葉を口にした。驚いたことに、それはエルフェス語であった。
すぐにエインディア語で、
「助けてくれ。」
と呻いたが、語頭の摩擦音が弱い。エルフェス語訛りは隠しようもなかった。
「何だあ? お前ら、エルフェス人か? おい、在留証を見せてみろ!」
まるで自分が城兵に言われたのと同じようなことを言っていると思ったが、感慨に浸っている状況でもなかった。
俺は手荒く、組み伏せた男の頭から頭巾を剥ぎ取った。短く刈り上げた黒髪が見えた。顎を掴んで無理に顔を左にねじり、顔立ちを見たが、いかにも狡獪な面構えだということくらいしか得られる材料がなかった。ここにアデュレイがいれば、もっと多くの情報を読み取ったのかも知れないが。
「在留証は家にある…。」
「おお、そうか、そうか。そんじゃあ、今からお前らのねぐらに案内してもらおうじゃあねえか。」
「家、ない。」
「はあっ? たった今、てめえで在留証は家にあるっつったんじゃねえか! 適当なことばっかりぬかすんじゃねえぞ。」
俺は、上から体重をかけた。
「てめえ、腕をへし折られてみねえとわかんねえようだな?」
「助けて。お金、あげる。」
「誰が金を寄越せっつったよ? 在留証を見せなって言ってんだよ。さては、最近、殺しだの盗みだので荒らし回っているのはてめえらだな?」
「違う、知らない。」
「信じられっかよ!」
「言葉、わからない。」
「ふざけんな! エインディア語もエルフェス語も大して違わねえだろうが!」
俺は男の頭を上から押さえて、路面に鼻をこすり付けた。男は呻き声を上げた。
「訊くだけ無駄だ。」
もう一人の男を組み敷きながら、うんざりしたような口調でグランが言った。
「お上に突き出そう。」
「これを使うといいぞ。」
エリザはカンテラを地面に置くと、得意顔でパンの下からロープを取り出し、俺に向かって放り投げた。
そのためのパン籠であったとは!
ロープを受け取って男を縛り上げる間も、俺は諦め悪く尋問を続けることにした。
実のところ、俺はエルフェス語も話せる。そこで、男の耳に口を寄せて、庶民の使うエルフェス語で囁いた。
「お前らがエルフェスの貴族の馬車を襲ったんだろ? そんで、盗んだ書状で入城審査を潜り抜けやがったんだ。ああ? ネタは上がってんだぞ。」
男はぎょっとして、怯えたような顔つきになった。
「あんた、何者だ?」
「そんなこたあ、どうでもいい。質問しているのは俺だ。お前はありていに答えろ。」
俺は、殊更にきつく縛り上げた。
「仲間の女はどうした?」
「女?」
「ドニーズ・アレット・リオーンって名乗った女がいたろうが。灰茶色の髪の若い女だよ。しゃべらねえと酷いぞ。こいつら仲間を隠してますってお上に言いつけてやるからな! 手足を引き絞られる前に吐いた方が身のためだぜ?」
「女はどこに行っちまったか、わからねえんだ。」
男は血の滲んだ鼻をひくひく蠢かせながらも、明瞭に囁き返した。やはり、エルフェス語の方が流暢に話せるようだ。
「それに、仲間じゃない。俺たちの仲間に女はいない。」
「はあっ? 仲間じゃないわけないだろうが!」
「仲間じゃない。本当だ。メイド役が一口余ってたところに、連れて入ってくれって女が寄ってきたから、引き受けてやった。それで、一緒に王都に入っただけなんだ。」
男は懸命に首を振った。
「いい女だったんで、暫く身の回りのことをさせてた。馬鹿じゃないようだし、あっちの具合もいいんで、正直、ずっと連れ回してもいいと思ってた。酷い扱いはしてねえよ! 誓って本当だ。だが、二、三日でいなくなっちまったんだ。」
どういうことだ?
俺は、束の間、手を止めて考え込んだ。
しかし、思考は前方から迫ってくる気配に遮られた。複数の人物が走ってくる。体格のいい男たちと思われる。強盗の仲間かも知れない。
「おい!」
俺は縛り上げた男を引っ張り上げて立たせると、残りのロープごとグランに押し付けた。
「前から誰か来る。こいつらの仲間かも。」
すかさず、エリザはパン籠の底から刃渡り三十センチほどの短剣をすうっと引き抜いて構えを取った。
これほど危険なパン籠を持ち歩いていたとはついぞ知らなかった!
「止まれ!」
路上に置いたカンテラの明かりに下から照らされて、エリザは常よりいっそう厳めしく見えた。低いがよく通る声で警告を発する。
「捕縛の最中である! 賊ならば討つ。武器を下げよ!」
「嘘だろう?」
暗闇から、意外にも聞き覚えのある声が返ってきた。先頭を歩く一人が、手に持つカンテラを自身の顔に近づけてみせた。
ブライアンだ!
俺たちは、一瞬、互いに息を飲んだ。橙色に滲むカンテラの明かりを受けて、探るように視線を交わし、立ちすくんだ。
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