2 占い師

 グランが部屋を出て行くと、銘々使用人が盆に載せて差し出す飲み物を取り、喉を潤した。艶やかな金髪を結い上げ、瞳の色と同じブルーサファイアをちりばめた髪飾りでまとめたレディ・シファールは、白いレースの手袋を嵌めた手で葡萄酒のグラスを持ち、


「この小さな集まりが、随分と充実したものになりそうですわ。」


 再び傍らに腰かけたエリザと笑みを交わし、それからアデュレイに水を向けた。


「アデュレイ卿は、先ほどの曲をわたくしにくださるの?」


 アデュレイはリュートを抱えたまま、右足を引いて丁寧に一礼した。


「もちろん。レディ・シファール、あなたに捧げます。」


「すてき。」


 それから、彼女はエルフェス語で呟いた。


「『森の宵の恋人たち』という題名でしたね。」


 エルフェス語はエインディア語に系統は近いが、鼻母音が入り、柔らかな感触の発音となる。アデュレイは藍色の目を明るく輝かせた。ここエインディアで、外国人であるアデュレイの母国語を口にするとは最上級のリスペクトである。


「とてもロマンティックですのね。」


 そして、エインディア語に戻した。


「どうぞお掛けになって。」


 俺は静かに進み出て、無言でアデュレイから楽器を受け取り、再び壁際に引き下がった。アデュレイは品よくジュストコールの裾を払い、肘掛け椅子に腰を下ろした。


「ここにピアノがあったらな。」


 少し悔しそうに、自称詩人のハーヴィーが膝を打った。目を細めてアデュレイを軽く睨み、


「そうしたら、レディ・シファールに自作の曲を捧げましたものを。」


 挑戦的に呟く。当のアデュレイはエリザに勧められた飲み物を受け取っていて、気づいた様子すらなかった。


「君はもう自作の詩を贈ったじゃないか。」


 ブライアンは騎士の制服の首元を緩め寛げた後、テーブルを眺め渡し、スパイスをまぶしたオレンジスライスを摘まみ上げた。口に放り込み、果汁の付いた指をナプキンで拭う。


「君が連れて来たキース卿は? 何か弾く?」


「いいえ?」


 驚いたように、キースは椅子の上で尻込みし、黒い口髭を震わせた。


「私は不調法者でして。」


 俺は楽器をケースに仕舞いながらも一連の様子を観察していて、おおよそ理解した。


 発端は、レディ・シファールのもとに身を寄せているエリザがアデュレイについて好意的な人物評を披露したことで、彼と交流を深めるためにサロンを開く運びになったのだろう。そして、サロンを開く女主人としては、女性二名、男性一名の配置にならないよう配慮して、普段から親しくしているブライアンにも声を掛けた。ブライアンはブライアンで、断り切れなかったか、あるいは深く考えなかったか、ハーヴィーも連れてくることとなり、ハーヴィーは引き立て役とばかりに格下のキースを引っ張ってきたのだ。恐らく、そんなところだろう。


「わたくしのサロンに集うためには何かしら貢ぎ物や出し物が必要だ、なんて噂になっているのではないでしょうね。」


 レディ・シファールはレース飾りの付いた扇で口元を隠し、笑い声を上げた。


「キース卿からは帯飾りをいただきましたわ。贈り物に帯飾りをお選びになるなんて、古風な方でいらっしゃるのね。わたくしは古い物も嫌いではありませんわ。」


「大した物ではございません。が、お気に召したなら何よりです。」


 キースは勢いよく頭を下げ、まともにレディ・シファールと目を合わせようとしなかった。むしろ自分が消えてなくなればいいと思っている風情だった。


「私のもお揃いですね。」


 エリザは自分に贈られた帯飾りを取り出して打ち眺め、テーブル越しにアデュレイに差し出した。


「見てください、金属の細い線を幾重にも重ねて、木の葉の形にしています。繊細な職人技ですよね。」


「私にも見せてくださるのですか? それでは、失礼して。」


 アデュレイは周囲に軽く会釈して手に取った。


「金のツタですね。すばらしい細工です。レディ・シファールのお治めになるエインディア北方でよく見る意匠ですよね。」


「そうですね。黄金色のツタは、変わらぬ友情、誠実な絆を表しています。とても美しいものですわ。」


「私にも見せてください。」


 ハーヴィーは脇から手を伸ばして、その帯飾りを取った。そして、傾けたり裏返したりして、鎖の留め具に至るまで隅々を調べた。


「どこの工房の物かな。」


「ああ、いや、誂えた物ではなくて。」


 キースは居心地悪そうに座り直し、小声で答えた。


「何だって? もしかして、古代遺物なの? まさか、魔法の付いた物ではあるまいね?」


 古代遺物というのは、大戦終結後に「光の教団」が新しい暦を作ったときよりも、さらに旧い時代に存在した品々のことである。まれに遺跡や古戦場などで見いだされ、状態のよい物は珍重される。加えて、古代の魔法が付いているものは、その魔法の内容がどんなものであれ、極めて貴重な物とされる。終戦後、光の教団が魔法を独占したため、その他の神聖魔法は衰退し、なかには失われてしまったものもあるからだ。


「いいえ、いいえ! そのような大それた物では。」


 慌てて両手を振りながらも、左の口角だけ吊り上がり、キースの頬に歪んだ笑みが浮かんだ。


「魔法の古代遺物くらい、レディ・プリシラは腐るほどお持ちさ。」


 縮こまるようにして口元を押さえるキースを尻目に、ブライアンはのんびりと足を組んで葡萄酒のグラスを傾けながら言った。


 プリシラだと!


 ポーカーフェイスを保ちつつも、俺はたじろいだ。


 まさかの、レディ・シファールを名前呼びか! こんなところに、とんだ伏兵が潜んでいようとは! 道理で彼には必死さが足りないと思った。アドバンテージがあったからだな。


 俺は人知れず拳を握った。


 がんばれ、旦那!


「いくら何でも、言いすぎですわ、ブライアン卿。」


 プリシラは苦笑し、扇を閉じて軽く目の前の空間を打つようにしてたしなめた。アデュレイはと見れば、その場にいる一人一人の表情を順に眺めている。あれは、観察する眼だ。どうも面白がっているようだ。少しくらい焦ればいいのに。


「ご存じのとおり、わたくしの一族は辺境を預かるものですから、ほかの領主の方々より多くの遺跡を持つのは事実ですけれど。」


「そうだろう? 本人も認める事実じゃないか。」


「都暮らしの騎士様には想像もつかない苦労もあるのですよ。」


 プリシラは、眉根を寄せて短く溜息をついた。


「辺境では、大戦後の脅威が未だ続いているのです。遺跡の発掘を進めたくとも、なかなか思うように進まない部分もあります。それに、古代遺物は発掘場所を所有する領主が買い取りの権利を有する決まりですが、…」


「法は破るためにある、という輩が多いですからね。」


 ハーヴィーが口を挟み、プリシラの言葉の先を奪取した。


「わかります。私も王都巡察隊の職を預かる身として、教区警察の幹部からよく愚痴を聞かされますよ。遵法精神の何たるかを、市民にガツンと叩き込んでやらねばならんとね。」


 どうも教区警察の偉い人と知り合いだということを強調したかったらしい。俺は楽器のケースを部屋の隅に運びながら、こっそり首を振った。やれやれ、だ。


「教育も大事ですが、待ってはいられませんわ。」


 プリシラはハーヴィーに頷いてみせた。


「断固としたところを見せる必要があるでしょうね。この季節、わたくしは父に代わって王都で過ごしますでしょう? この時期を無駄にはできませんわ。密出境の手口で王都に持ち込まれたわたくしたちの宝があるのであれば、何としても探し出しませんと。実は、教区警察にもお力添えいただける運びになっていますの。」


「王都巡察隊もお手伝いしますよ!」


 ハーヴィーは身を乗り出し、胸に手を当てた。


「王都巡察隊はあなたの手足です、レディ・シファール!」


 いや、王都巡察隊を私的な用件で動かしてはダメだろう。


 俺は胸中で突っ込んだが、ブライアンはもっと上手な言い方をした。


「我らが金鷹騎士団は陛下の騎士団ですから、あなたの手足にはなれないけれど、構わないよね? すでに僕を顎で使っているんだから、それで十分でしょう。」


「まあ!」


 プリシラは閉じた扇を口元に寄せて笑った。


「わたくしが、いつあなたを顎で使いましたか? アデュレイ卿がお聞きになって、本気になさったらどうするの?」


「そうですね、私も顎で使われたいと思うでしょうね。あなたの顎であれば。」


 アデュレイはすかさず答えた。それで一同は笑ったが、キースは無理に周囲に合わせて笑っている様子だった。社交下手なのだろう。ゆえに、サロンで過ごす時間は彼にとって地獄だろう。


 ノックの音がした。グランが戻ってきたようだ。エリザは急いで帯飾りを取り戻し、プリシラに会釈して自ら迎えに行った。


 先にプリシラの従者が扉を開き、人物を確認してから引き下がった。エリザは入室するグランと笑みを交わし、それから振り向いた。どこか得意げな表情だった。


「さあ、皆さん。何を占ってもらうか、決めましたか。」


 そこには、分厚い生地のローブを着て、臙脂色のストールを巻いた女が、寒そうな素振りも見せず佇んでいた。

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