魔法使い探偵アデュレイ ―月都の門―

藤原 百家

1 国際倶楽部

 別名「芸術通り」とも呼ばれるベル・ストリートを歩くと、ただそれだけで自身が洗練されていくような錯覚を覚えることだろう。


 きれいに舗装された路面を走るのは上等な馬車で、誇らしげに紋章を飾った四頭立て馬車を見かけるのも珍しいことではない。貴族に大人気の王立劇場は、早くも冬薔薇などの花々で外観を飾り付けて年越しを祝う準備を始めている。上品な店構えの宝石店、骨董品店の前を通り過ぎ、美術商の展覧会場を冷やかして歩けば、やがてエインディア連合王国の王都・ヘイヴンの誇る国際倶楽部に辿り着く。


 国際倶楽部は、冬場の社交シーズンを過ごす貴族の面々にとって、まさに娯楽の殿堂だった。外国の貴族をもてなす迎賓館を由来とし、数回に及ぶ増改築を経て現在の国際倶楽部の姿となった。国際倶楽部の名に恥じず、エインディア風のガーデンのみならず、エルフェス風、ロマヌーム風、エクレイラ風といった各国の趣を持つ庭園を有し、それぞれにサロンが備え付けられていた。


 もちろん、正式なティーパーティーは自らのタウンハウスで開催するのであるが、機敏で簡易な集まりなら国際倶楽部のサロンを借り上げるので十分だった。何か有用な噂が転がっていないか、どこかに重要人物とつながる人脈はないかと誰もが目を光らせている。そして、国際倶楽部に集うのだった。


 もしどのサロンからもお招きがなかったとしても、気落ちすることはない。お楽しみはいくらでもある。自由に開放されたオープン・サロンに陣取って、外から連れてきた大道芸人の離れ技を見物することもできる。カードやルーレットが楽しめるゲームルームもあれば、ダンスホールもあるのだ。そこまでアグレッシブな気分でなければ、シガールームか喫茶室に落ち着いて意中の相手に送る手紙の文案でも練っていればよい。


 四か国の料理人が控える厨房から繰り出される食事も名物の一つだ。大陸全土の王侯貴族に伺候できるよう、各国語と各国マナーを訓練されたバンケットサービススタッフが紳士淑女をそつなくもてなす。その上、月に一回、地下でオークションも開かれる。


 そして、今宵、エルフェス風のサロンで開かれたレディ・シファールの私的な集まりに、清澄なリュートの音色が華を添えていた。


 ついに、うちの旦那の涙ぐましい努力が報われる日が来た!


 俺は感慨無量であった。ただしアデュレイの従者として侍っている身の上なので、お偉方の邪魔をしないよう壁際に佇み、ただ静かに見守っていた。


 グラーム侯爵の長子で、すでに自身もシファール伯爵の称号を持つレディ・シファールを狙う男は大勢いる。承継は男子優先であるが、現在のグラーム侯爵は男子を持たないため、将来は長女であるレディ・シファールが侯爵位を継ぐものと目されている。よって、極めて魅力的な彼女の配偶者の席を誰が勝ち取るか、領地を持たない貴族の子弟の間で真剣勝負が繰り広げられることとなる。


 つい先ほども、グロスター伯爵の三男坊が愚にもつかない恋の詩を朗読して一同を困惑させたばかりだ。ハーヴィーとかいう、黒みがかった銀髪の坊やはナルシストの性癖を発揮して、レディ・シファールを雪の重みに耐えない花に譬え、その重みを自分に預けてほしいと詠ったのだ。


 レディ・シファールにしてみれば、大きなお世話もよいところだろう。俺から見ても、彼女は儚く散りゆくだけの花ではない。社交と経営をこなし、満足な結果を出している。この上、既存の課題にハーヴィーが加われば、ただ錘が増えるだけの話である。


 この後を継ぐのはなかなか困難と思われたが、アデュレイは上手に室内の雰囲気を宥め、落ち着けることに成功していた。ここのところ、毎晩欠かさず練習したリュートの腕前を、満を持してお披露目というわけだ。プロの奏者ほどではないが、貴族の嗜みとしては十二分の腕前だ。まずまずの試合展開といえよう。


「ここだけの話、旦那は努力家なんだ。」


 俺は演奏を妨げないよう、小さな声で隣の大男に話しかけた。返事はない。ガーディアス家の騎士に話しかけたつもりだったが、それは間違いで、実は玄武岩から削り出したざらつく彫像に話しかけてしまったのかも知れなかった。


 俺は構わず続けた。


「それでも、旦那はスマートに見せたいとお思いだから、努力の跡は表に出さない。白鳥は水の上を優雅に進み、水面下で一生懸命動かしている足は見せないだろう? それと一緒さ。たまたまリュートが目に付いて持ってきました、弾いてみました、思ったより上手く弾けましたね、どうでしょう、ってな感じさ。わかる?」


「ああ、うん。」


 俺の左横に革鎧を着て直立する男、グランは、頷いて低い声で呟いた。


「上手だ。」


 岩がしゃべった。今日のコミュニケーションは、なかなかうまくいっている。


 このグランという屈強な男は傭兵上がりで、今はレディ・シファールのすぐ隣に腰かけているもう一人のレディ、エリザに仕える騎士だ。


 俺が王都に来てアデュレイに仕えるようになってから、まだ二か月余りにしかならないが、エリザとグランとは当初からの付き合いだ。ある事件をきっかけに深く関わることとなったためで、知己のいない異国の地で過ごす俺にとって、彼らは非常に貴重な存在となった。


 特に立場の近いグランには、会うたびに話しかけるようにしていたのだが、それが功を奏したかも知れない。今日はもっと話が弾みそうな予感がする。


 俺は姿勢を正して、再び演奏に集中した。鮮やかなルビー色の布を貼った長椅子に腰かける二人のレディの横で、同色の布を貼った肘掛け椅子に腰掛けたアデュレイがリュートを爪弾いている。ジュストコールとブリーチズは光沢のある深緑色で、胴衣の縁取りにだけ黒のタータンをあしらった奥ゆかしい装いが、彼の黒髪と相まって知的な印象を強める。


 タータンはレディ・シファールのお好みとあって、今宵の彼女は白と淡黄色の格子縞を基調としたドレスを身に着けている。これを見越して、敢えてあからさまにタータンを前面に出した服を誂えてくるのはいかにも押しつけがましい。「ちらりと見える」程度に抑えるのが、恐らく最善だ。


 テーブルを挟んでご婦人方の向かい側に座る、自称詩人のハーヴィーを見るといい。ジュストコールがタータンだ。首の後ろで黒みがかった銀髪を束ねるリボンまでも同じ柄だ。意図が見え透いて稚拙に感じる。


 では、ハーヴィーの隣に座る金鷹騎士団の騎士、ブライアンはどうだ。何と、制服だ。もちろん、騎士団の制服は文句のつけようもなく格好いいし、明るいブラウンの髪を騎士らしく短く刈り上げた彼にはこの上なく似合っている。が、きっとこの男はどこに行くのも制服で済ますのだろうなと感じさせる。


 その隣の、キースとかいう無口な男爵はどうだ。タータンどころか、これといって特徴もないグレイのジュストコールだ。グレイといっても黒に近いグレイや、白みの強い淡灰色など、さまざまなバージョンがあり、生地によって見え方も変わってくるが、一体、なぜそのグレイにしようと思ったのかと部屋の隅に連れて行って問い詰めたくなるようなグレイだ。話にならない。


 この一、二か月というもの、アデュレイの衣装道楽に鍛えられて、すっかり俺も目が肥えてきた。この程度の品評は朝飯前だ。こうしてみると、長い脚を緩く組んでリュートを抱えるアデュレイの姿は、実にさまになっている。一体、どのような事情でレディ・シファールがこの面子を集めたのか知らないが、テーブルの周辺に掻き寄せられたこれらのジャガイモはアデュレイの敵にはならないだろう。楽勝だ。


 そもそもこのサロンはエルフェス風だ。ともすればまっすぐに座らせよう座らせようとするエインディア風の椅子と違い、椅子までもが空間を寛げようとしてゆったりと曲線を表している。すると生粋のエルフェス人であるアデュレイの方が、この雰囲気に溶け込むにあたって若干有利といえるのではなかろうか。


 選曲もまた、緩やかでロマンティックなメロディーラインで織り成される『森の宵の恋人たち』だ。まだ誰も聴いたことがないメロディーだろう。この日のために、アデュレイがわざわざ王都で人気の作曲家に作らせた曲なのだから。


「どうです、アデュレイ卿は演奏もお上手なのです。」


 どうやら俺のほかにも親衛隊がいたようだ。曲が終わると、エリザは扇を脇に置いて熱烈に拍手し、レディ・シファールにアピールした。


 つい先月、実兄からラザラム子爵位を譲り受けたエリザのフルネームは、エリザベータ・エフレム・ガーディアス・ラザラムである。母方の姓「キャンベル」を嫌って削っているが、それでもこのフルネームをエインディアの貴族が耳にすれば、名門の子女であることをすぐに理解する。


 彼女は変わり種で、故あって数か月前まで、俺の隣に控えるグランと共に隣国の傭兵団に身を置いていた。そのせいで、大方は成人して間もなく社交界デビューとなるところ、異例の十八歳という遅いデビューと相成った。


 現在、彼女はレディ・シファールのタウンハウスに客分として滞在し、淑女修行の最中だ。貴族の令嬢にあるまじき日焼けした肌やめりはりのある動きは、そういった特殊な過去によるものだが、傭兵団に所属していたことは公表していないので、事情を知る者はごく限られている。いずれにしても婿は選び放題だろう。何しろ、この国際倶楽部のオーナーでもある有数の資産家、スノーデン伯爵の実妹とあれば。


「お褒めいただき光栄です、レディ。」


 アデュレイはリュートを抱えたまま立ち上がり、愛嬌ある一礼を披露して同席者の拍手を受けた。


「アデュレイ卿は私にも曲をくださったのですよ。『おやすみなさい、星々よ』という曲です。」


 並みの称賛では足りぬとばかりに、エリザがさらに売り込んでくれている。しかし、逆効果ではあるまいか。これではエリザがアデュレイに好意を寄せているみたいだ。


 いや。まさか、そうなのか?


「もしかして、あんたの姫さんがうちの旦那にお熱ってことはないよな?」


 レディ・シファールの使用人たちが飲み物を配って回ってくれているので、俺はグランと私語を続けた。


「知らん。」


 グランは素っ気なかった。この男に訊いた俺が馬鹿だった。


「あんたの姫さんの兄さんの方は、確かにうちの旦那を囲い込みたがっていると思うぜ。でも、本人にその気がなくっちゃあな。」


「やめろ。」


 グランは低く唸った。


「無礼だぞ。」


 本当に物堅い男だ。岩石か。岩そのものか。


 エリザは年代の近い若者だけで集うサロンに慣れていないせいか、気分が高揚しているようだった。このサロンの主催者たるレディ・シファールに会釈して立ち上がると、


「ハーヴィー卿は詩の朗読をしてくださいました。ブライアン卿はテーブル手品を披露してくださいました。キース卿は帯飾りを贈ってくださいました。それぞれ何かしらのお楽しみを提供してくださいましたが、うっかりして私は何の備えもしていませんでした。」


 少しはにかんだ笑みを浮かべながら、一同を見渡した。


 俺は密かにグランを肘で小突いた。


「おい! 傭兵の飲み会か何かと勘違いしてるんじゃねえか。全員が余興を提供する必要はないんだよ。早く止めろ。」


 しかし、物堅すぎるこの騎士は動けなかったようだ。


 エリザは続けた。


「そこで、私は皆さんによく当たる占いをご提供します。本当によく当たるんですよ。グラン?」


 エリザは顎を上げてグランに目で合図した。


「オープン・サロンで待たせている占い師を連れてきてくださいね。出番です、レディ・エリザベータが呼んでいますと言えばわかります。」


 今度は、グランは機敏に動き出した。俺は小さくそっと首を振った。

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