3 タローカード

 その少女は、エラと名乗った。ごく若く見える。十五歳未満の未成年ということはないだろうが、恐らくこの室内にいる誰よりも若いだろう。結われずに背中に流し落とされたアッシュブラウンの髪が、余計に彼女を若く見せているのかも知れない。


 ただし、その若い肢体は実に豊満で魅惑的だった。大きく膨らんだ胸や、歩くたびに他者の視線を引きつけずにはおかない腰つきは、飾り気のないローブで厚着していても隠しきれるものではない。


 顔は、年若かった。所作には、色気があった。そして表情は、どこか暗かった。とりとめのないその第一印象は、確かに彼女をミステリアスな人物に見せていた。


 そのような彼女が室内に入ると、一瞬、場が静まった。そして、誰かが小さく唾を飲む音が聞こえた。


 彼女はストールを取り、一同を見渡した。一瞬、動きを止めて大人びた冷たい表情を見せ、それからおもむろに挨拶をした。彼女は室内の注目を浴びながら、気にする素振りも見せず、プリシラの従者たちによって運び入れられた円形のサイドテーブルに歩み寄り、静かに着席した。


 天井のシャンデリアから放たれる魔法の明かりが消され、光源は暖炉やオケージョナルテーブルの上に置かれた燭台の明かりのみとなった。日に焼けたエラの顔を、橙色の光が照らして思慮深げに見せる。


 人は本能的に暗がりを恐れる。ゆえに、神秘的なものを見せるときに照明を落とし、場を静寂で満たすのはよくある演出だ。彼女は携行した布の袋からカードの束を取り出した。全てのカードの裏面には、三日月を二つ組み合わせたような、シンメトリーの図案が描かれていた。


「枚数の少ないデッキを使います。」


 彼女は右後方を向いて一同を見渡し、年に似合わぬ落ち着きぶりを見せて宣言した。


「もし込み入ったご質問がおありでしたら、また別のお席で。」


「結構よ。」


 プリシラも、彼女に釣られたように静かな囁き声で応じた。


「それでは、どなたから占います? エリザ?」


「実は、私はすでに見てもらいました。」


 エリザはプリシラの隣に戻って腰を下ろし、ドレスの裾を直しながら低い声で答えた。もとよりエリザの声はハスキーで掠れ気味だ。


「だからこそ、当たると思い、ここに招待したのです。」


「では、アデュレイ卿?」


「初陣をお任せいただけるのですか。光栄ですね。」


 アデュレイは自分の胸元に手を当てて軽く辞儀をし、エラの向かい側に置かれた丸椅子に移動した。必然的に庭園へと続くガラス戸を背にすることになるので、占いを楽しむ貴人の背後を護るために、俺とグランは窓側に移動して立った。期せずして俺はエラと向かい合う位置関係となり、台上の様子もよく見て取れた。


「では、お願いします。私の恋愛運を占ってください。」


 大胆に来たな!


 アデュレイの要望を聞いて、俺は胸裏で称賛した。遠回しにぐずぐず言っていて後れを取っては元も子もない。ありていに言って、ここでプリシラに気に入ってもらわねば、わざわざ時間と費用をかけてサロンに馳せ参じた意味がないのだ。潔いのはよいことだ。


 エラは無言で頷き、伏せたカードを台上で混ぜるようにシャッフルした。やがて、それを三つの山に分けてシャッフルし、さらにそれを一つの山にまとめてシャッフルした。鮮やかな手つきで、それを横一文字に広げる。


「旦那様、どうぞ一枚お選びください。」


 アデュレイは、カードではなく占者であるエラの表情を観察しているようだった。それからちらりとカードに視線を落とし、一枚選び取って並びから引っ張り出した。


「それを見て、私にお返しください。」


 促されて、アデュレイは暖炉の傍の薄暗がりで様子を見守っているプリシラに笑顔を向けた。


「ドキドキしますね。ラッキー・カードだとよいのですが。」


 プリシラが何か反応するより早く、ハーヴィーが馬鹿にするような調子で鼻を鳴らした。すると、ほかの誰よりもエリザが気分を害したようで、ハーヴィーに鋭い視線を投げた。


 プリシラだけではない、こちらのレディもなかなかの女傑だということを、ハーヴィーは失念している様子だった。ここで助言する者は誰もいないが。


 アデュレイはカードを取り上げ、返して見た。その瞬間、表情から笑みが消えた。窺うようにエラを見て、それからまたカードに目を落とした。


「悪いカードではありませんね。」


 呟いて、漸くもう一度笑顔を取り戻し、カードをエラに渡した。エラはカードを場に出した。


「〈魔法使い〉のカードです。」


 エラがそう告げたので、危うく俺も呻き声を漏らしそうになった。すんでのところで堪えた。


 「光の教団」が魔法を独占し、魔法は魔導士が使うものが正統という考え方が流布されているところ、その実、古代魔法も完全に息絶えてはおらず、細々と生き永らえている。


 例えばこの俺は、太陽神の神聖魔法を使うことのできる元神官であるし、アデュレイは独自の理論を構築して信仰に依らぬ魔法を発動させる魔法使いである。だが、間違ってもそのことを吹聴したことはない。処罰されるようなことでもないとは思うが、「光の教団」の知るところになれば、面倒なことになる予感しかない。


 しかし、彼女のカードはそれを暴き出した。まるで、恋愛よりももっと重大な問題があるでしょうと問いかけてくるかのようだった。


「魔法使いの頭に蛇が巻き付いています。これは、無限の智慧を表しています。」


 エラがカードの絵柄を指して説明し始めた。


「魔法使いは左手に魔法のワンドを持ち、台上の剣と金貨と聖杯とこん棒を指し示しています。魔法使いは物質を変化させ、自らが望むものへと生まれ変わらせるのです。旦那様、あなたは恋人を勝ち取るために必要なものを、すでにお持ちです。それを効果的にお使いください。」


「必要なものとは、そこに描かれているものですか。」


 アデュレイは尋ねた。


「剣と、金貨と、聖杯と、こん棒。つまり、勇気と、財貨と、情熱と、誠実さですね。」


「旦那様は、もちろん、それらをお持ちでしょう。それ以外のものも。」


 エラはアデュレイによく見えるよう、指で〈魔法使い〉のカードを押さえて進め、指し示した。


「恋人を勝ち取るために、魔法使いの智慧が必要となる場面があれば、惜しまずご自分の能力をお使いください。積極的に出るべきです。助けを求めている相手に対しては、特に。」


「何と、無謀な。」


 ハーヴィーが呆れたように額の前で手を振ってみせた。


「ミスター・ベルティエは、先の大戦の原因となった愚かな魔法使いの轍を踏まないようご注意を。勇み足で、取り返しのつかないことにならないようにね。」


 アデュレイ自身が名前を呼んでほしいと自己紹介したにも関わらず、敢えてわざとらしくミスター・ベルティエなどと家名で呼ぶところも含め、どうにも嫌味だった。男爵以上の貴族の子弟にミスターの呼称を付けるのは、外国の貴族に対するときのみの決まりで、一種の差別である。


 アデュレイはそちらをちらりと見たが、愚かしい反撃はせず、瞬きして肩をすくめただけだった。振り向いて目顔で俺を呼びつけたので、俺はすぐさま歩み寄った。


「彼女にお礼を差し上げたい。」


 俺が金入れを用意すると、アデュレイがクラウン銀貨を選んだので、それを彼女に支払った。熟練労働者の日当に匹敵する価値を持つ大銀貨だ。これには、さすがにハーヴィーからの揶揄もなかった。


「ありがとう。あなたは優秀な占い師ですね。いつか、枚数の多い方のデッキで見てもらうこともあるかも知れません。」


 アデュレイはエラに微笑みかけて席を空けた。


 次に座ったのは、ブライアンであった。彼が自身の栄達について問いかけると、エラは同じ手順でカードを切り直した。そして、カードを選ぶ段になると、


「残念だね。僕は、手品が得意なんだ。」


 ブライアンは悪戯っ子のように笑いながら、上目遣いでエラの表情を見守り、すぐに手を出そうとしなかった。エラは無表情を保った。


「君たち占い師は、自分が引かせたいカードを相手に引かせる技に長けている。相手に選ばせるように見えて、実はもう結論は出ているんだろう?」


 エラの表情を窺いながら、右に、左にと手をさまよわせて、


「これを引かせたい?」


 一枚のカードを指で押さえた。彼女は動じなかった。


「ご随意に、旦那様。」


「だけど、こっちだ。」


 押さえておいたカードからかなり離れた、左端に近いカードを引いて、台上で返した。それは獅子の口を素手でこじ開けようとする勇敢な若者のカード、〈力〉であった。圧倒的なパワーを表すカードだ。ブライアンは、かなり機嫌よくナイト銀貨を支払った。


 次は、ハーヴィーであった。彼ははなから馬鹿にしている素振りで、何を占ってほしいかも指定しなかった。しかし、ハーヴィー自身が選んだカードを台上で返し、彼女がカードの内容を語り始めると、仰天したように目を剥いた。それは、光の神の聖印を持ち、厳しい表情でこちらを見つめてくる〈聖人〉のカードだった。


「旦那様は具体的な問いをおっしゃらなかったので、カードは、最も重要な人生の課題を指し示してきたものと思われます。もし現在のご関心が結婚にあるのでしたら、〈聖人〉のカードは慈悲や縁結びを意味しますので、かなりよいカードが出たといえましょうが、このカードが象徴するのは父性です。これについて、如何でしょうか、お心当たりがおありでしょうか。」


「ふ、父性?」


「はい。」


 エラは静かに頷いた。


「父親の愛情を示すこともあれば、父親の権威や厳しさを示すこともあります。恐れながら、旦那様のご結婚を強くお望みなのは父君なのではないでしょうか。そのご意向に沿わない縁を結ぼうとすれば、かなりの困難が予想されます。」


 ありていにいって、特別なことは何も言っていない。そこらで婚約相手を探している貴族の若い男性にこれを言えば、かなりの確率であてはまるだろう。それでも、ハーヴィーはショックを受けた様子だった。


 公安関係の利権を押さえ、政敵を圧倒してきた辣腕のグロスター伯爵が彼の父親だ。三男として、実際、父や兄からかなりの圧力を受けているのだろう。ハーヴィーは目に見えて威勢が悪くなり、シールド銀貨を置いて逃げるように席を立った。


 クラウン銀貨やナイト銀貨ほどではないが、シールド銀貨も、辻占いに支払う見料としては相場以上だ。ハーヴィーは、彼女の見立てに一定の敬意を払ったようだった。


 いよいよ、男性陣の残りはキースだけとなった。ところが、キースは激しく首を振って拒んだ。


「いやもう、私は結構です。私などに時間を割くより、どうぞレディの運勢をみてさしあげてください。」


 周囲がかなり勧めたが、どうしてもいやだという。


 そのとき、エラが山から一枚を引いた。


「旦那様のカードは、…」


 無表情に、彼女はカードを返した。


「〈塔〉ですね。ご用心ください。破滅のカードです。」


 静かな、いっそ穏やかな声がそう告げた。

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