4 破滅の予見

 それが幸運を告げるカードだったなら、許されたかも知れない。しかし、長椅子の上で身をすくませるばかりのキースを見かねたか、ブライアンが立ち上がってエラを指差した。


「無礼だぞ! キース卿は占ってくれとはおっしゃっていない。」


「浅ましい。見料ならば、もう十分に得たではないか。」


 ハーヴィーも追随して顎を持ち上げ、軽蔑の視線を彼女に投げ掛けた。


「まあ、お待ちください。」


 涼やかな声で、プリシラは割って入った。


「見過ごしのできない兆しを認めたからこそ、忠告をくれたのかも知れません。そうでしょう? キース卿にどのような災厄が迫っているのですか。そして、どのようにすればそれを避けられるのですか。」


 エラは椅子の向きを変え、プリシラの方に身体を開いて一礼した。


「ご聡明なるレディ、申し上げます。〈塔〉のカードは、親しき者の裏切りを告げています。友の裏切りに注意せねばなりません。」


 室内の誰もが驚きを示し、息を飲んだり、探るような眼差しでキースを窺ったりした。ブライアンはうろたえたように左右を見て、それから腰を下ろして口を噤んだ。プリシラは、冷静に質問を重ねた。


「裏切り者を見つけ出すことはできますか。」


「レディ、裏切り者の末路が破滅なのです。裏切りは光の下に露呈するでしょう。安全を得るには、真の味方たる誠実な友を大事にすることです。それこそが、助かる道でございますから。」


「お聞きになりまして、キース卿?」


 扇の陰に口元を隠して首を傾げるプリシラを見て、キースはがくがくと頷いた。その様子をみて、プリシラは口元に薄く笑みを刷いた。


「それでは、わたくしの占いで最後にしましょう。」


 扇を置いて、プリシラはすらりと立ち上がった。白と淡黄色の格子縞を基調とするタータンのドレスを燭光だけが彩り、黄金の姫君のように見えた。不穏な雰囲気に陥りかけた場の空気を、彼女はその優雅な所作で一新した。


 プリシラは円形のサイドテーブルを挟んでエラの向かい側に腰かけると、


「わたくしは、失せ物を見ていただきましょうか。」


 と、微笑んだ。


「探している物は見つかりますか。」


 エラが部屋に入る前に話していた、不正に持ち出された古代遺物のことであろうか。エラは無言で頷き、カードをシャッフルした。


 プリシラが選んだカードを台上で返すと、そこには、右手に剣、左手に天秤を持った裁判の女神が描かれていた。裁判の女神マートは、左手に持った天秤に人々を乗せて罪を量り、有罪となれば即座に右手の剣で断罪する厳粛な神だ。


「〈裁判の女神〉です。」


 「光の教団」の統制下にあって、マートは神ではなく天使という位置づけのはずだが、エラは裁判の女神と言い切った。


「失せ物いずべし。レディのもとに必ず返るでしょう。しかし、禍根を断たねばなりません。裁きの剣を振るう必要があるかも知れません。」


 俺は内心、舌を巻いた。室内で交わされていた会話を、エラは聞かなかったはずだ。それなのに、彼女が口にした見立ては、盗み出された古代遺物について述べているとするならこの上なく妥当な内容だった。


 しかし、もちろん、事前に誰かから情報を仕入れていた可能性はある。そういう占い師は、実際、多い。神秘的な演出、事前の情報、仰々しい物言い、いかにも予言めいた見立て、そういったものが悩みを打ち明けた客の心を慰める。


 彼女は本物、偽物、いずれであろうか。アデュレイのためを思うなら、本物であってほしい。よい見立てであったから。


「明るい見通しで、安心しましたわ。」


 プリシラは壁際に控える従者を呼び、謝礼を渡して見送りをするよう命じた。


「ありがとうございます、レディ。どうぞこれをお持ちください。」


 エラは、去り際に深く腰を曲げ、席に掛けたままのプリシラに、伏せたカードを一枚差し出した。〈裁判の女神〉のカードと見えた。


「レディのご成功とご活躍をお祈りするものです。」


「まあ。」


 思いがけない申し出に、プリシラは少し驚いたように目を見開き、一瞬、たじろいだようだったが、


「護符のようなものかしら。それでは、遠慮なく頂戴しますわ。」


 鷹揚に頷いて受け取った。


 エラが従者に連れられて部屋を去ると、室内の照明が元に戻り、誰が口にせずとも閉会の雰囲気が漂った。


「ハプニングもありましたね。でも、なかなか有意義な集まりだったと思いますわ。皆様にも楽しんでいただけたならよいのですが。」


「確かに有意義だったね。流行りの降霊会よりはよほど実りがあったよ。でも、もうお開きにするのが正解だな。最近、都内に強盗が出没するから。」


 ブライアンは率先して席を立った。


「皆さんも、帰り道には気を付けて。護衛がへなちょこだと、朝帰りの貴族でも襲われるからね。実際、夜間に護衛を連れずに歩いていた商人が襲われている。」


「恐ろしいこと。」


 ブライアンの話を聞いて、プリシラは眉をひそめた。すかさず、ハーヴィーがブライアンを押しのけるようにプリシラの手を取った。


「私がお送りしましょう、レディ・シファール! 美しいあなたに指一本触れさせるものではありません。」


「それは…、ご親切に。でも、わたくしには護衛が付いておりますので。」


 若干、プリシラの笑顔が強張ったように見えたが、必死に食い下がるハーヴィーはそれに気づく様子もない。そして、この小さな混乱に乗じて、キースはいつの間にか姿を消したようだった。


 アデュレイは、席を立ってエリザの方に近づき、同じく立ち上がった彼女に会釈した後、小さな声で尋ねた。


「念のために伺います。あなたは、レディ・シファールと共にお帰りになるのですよね。」


「ええ、そうです。アデュレイ卿は、スノーデン・スクエアのテラスハウスにお帰りになるのですよね。馬車でお送りしましょうか。さっきのブライアン卿の話だと、徒歩は危ない。殿方でも馬車で帰った方がよさそうです。」


「ありがとうございます。私は受付で辻馬車でも呼びますから、どうぞお気遣いなく。それから、もうひとつ…、」


 アデュレイは顎に手を当てて少々ためらった後、別の質問をした。


「お尋ねします。あなたは、先ほどの占い師とどこでお知り合いになったのです? 彼女は何者ですか。」


「知り合いというほどのものではありませんよ。」


 エリザは軽く首を振った。


「国際倶楽部のオープン・サロンで、ごく最近、よく当たる占い師と注目され始めた人物です。先日、遊び心で見てもらったところ、確かによく当たると感じました。それで、今夜、来てもらうことにしたのです。年若い彼女には、きっと誰かパトロンがいるとは思いますが、よくはわかりませんね。占い師だけに、ミステリアスです。」


「国際倶楽部のオープン・サロンで接客を許されたということは、受付で尋ねれば彼女の紹介者が誰かわかるということですね?」


「誰でも入館できるわけではありませんから、立ち入り許可を与える際に何らかの身分証か紹介状を提示させたことと思います。でも、スタッフがその内容を明かすかどうかはわかりません。情報を明かしたばかりに事件に発展することも、ないとは言い切れませんからね。もちろん、アデュレイ卿なら問題ありません。お兄様に頼んで、情報を入手しましょうか。何なら、今から私が一緒に行って答えさせましょうか。」


 この強気の発言は、彼女の兄こそが国際倶楽部のオーナーであることから来るものだ。アデュレイは苦笑した。


「いいえ、それには及びません。ほんのちょっと、興味が湧いただけです。ご親切におっしゃってくださって、ありがとうございます。」


 エリザとの会話を終えるころには、ブライアンがハーヴィーの胴体に腕を巻き付け、引きずり出すようにして退場させていた。最後にアデュレイが、今宵の女主人であるプリシラと、笑顔で見送ってくれるエリザに丁重な挨拶をして退室した。


「じゃあな。あんたの姫さんに教えてやりなよ、恋占いより見合いした方が効率いいぜって。」


 俺は素早くグランの肩を叩いて言い置くと、反撃を受ける前に急いでアデュレイの後を追った。


 アデュレイは何か考え込みながら、ゆっくりと廊下を進んでいた。俺が両手に革張りの鞄を持って追いつくと、肩越しに振り返りながら、


「君、今日の集まりをどう思った?」


 と、小さく尋ねた。


 俺は胸を張って答えた。


「楽勝ですね、旦那。リュートの演奏も完璧でしたぜ。いつも引っ掛かっていた旋律も、見事にクリアして。旦那は本番に強いタイプですね。」


「ああ、うん、ありがとう。」


 アデュレイは苦笑した。


「しかし、僕が訊きたいのはそれじゃなくて…、」


 そのとき、背後で扉の開閉の音が聞こえた。グランが走ってくる。


 闘牛か?


 俺は首を縮めた。そこまで激怒させるようなことを言った覚えはないが、何か気に障ったのだろうか。


 捕まえられないよう、素早く壁際に寄ると、彼は俺を素通りして、一瞬、アデュレイの横で立ち止まった。俺に文句があって追ってきたのではないらしい。アデュレイに対し、追い越すことを詫びるように頭を下げて礼を取ると、再び急ぎ足で立ち去っていく。


 貴人の館を走るのは下品とされているので、全速力が出せないのだろう。それにしても、あのように廊下を走るとは、よほどのことだ。仮に出席者が忘れ物をしたのだとしても、あのような振る舞いはしない。普通に歩いて追いつけないなら、他の手段を取る。


「何なんですかね、あれは。」


 俺は呆然としてグランの背中を見送った。


「リー・リー、これは見過ごしにできないね。そうだろう?」


 アデュレイはやにわに俺の方に向き直った。同意を求めるように、俺の左肩に手を置いた。


「君も、僕の占いの結果を聞いただろう? あの占い師は、何と言っていた?」


「ええと、」


 まともに答えてやるのも癪なので、少しかわしてみることにした。


「頭に蛇が巻き付いている。」


「リー・リー、それじゃない。わざと言っているね? 魔法使いの智慧が必要となる場面があれば、惜しまず能力を使い、積極的に出るべきだと、そう言っていたろう。」


 アデュレイは、大股で廊下を引き返し始めた。


「今が、そのときだ。僕らの力の奮いどきだよ。」


 その足取りは、確信に満ちていた。


 よし、もしかして今夜は朝帰りコースになるかも知れないぞ。


 俺も覚悟を決めて、急いでその後を追った。

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