5 託されたメッセージ
サロンに戻ると、最初にプリシラの従者が応対に出て、それからエリザが迎えてくれた。
「アデュレイ卿? どうなさいましたか。」
「あなたの騎士が血相を変えて出て行くのが見えましてね。何か、お困りですか。」
「ああ、グランには占い師を連れ戻すよう命じたのです。」
「よろしければ、事情を伺っても?」
エリザはどうやらプリシラの意向を気にして、困り顔で室内を顧みた。プリシラは俺たちの再入室を許し、俺たちはサロンに迎え入れられた。俺は部屋の隅にアデュレイの荷物を置き、アデュレイはリュートを演奏するときに腰かけていた肘掛け椅子に席を取った。
「初めからこの面々でお話をするべきだったかも知れませんね。」
プリシラは長椅子の上でドレスの裾を広げ、アデュレイに笑みを向けた。
「もとよりエルフェスの流行や、ご父君のモンタレイユ侯爵のお話が聴けたらと思っていましたの。それでエルフェス風のサロンをご用意したのですが、作戦失敗でしたわ。」
「ですが、私にとってみれば、却って幸いだったでしょう。故国や父よりも、私自身に興味を持っていただくことに成功したようですから?」
「それは、もちろん。」
プリシラは、アデュレイの切り返しが気に入ったようだった。
アデュレイはプリシラとエリザを順に眺めて、それから右腿の上に両手を重ねた。相手を緊張させないよう、ごく簡単なことを尋ねる調子で質問する。
「それはそうと、…なぜ占い師を連れ戻そうとしているのですか。」
プリシラは僅かに眉をひそめ、口元を引き締めた。アデュレイはその表情を見守り、ただ静かに微笑して待った。
やがて決心がついたか、プリシラは手に持っていたカードをテーブルの上に出した。
「彼女がくれたカードです。成功と活躍を祈念するカードだといって渡されました。」
「ええ、見ていましたよ。〈裁判の女神〉のカードでしたか。」
「それはそうなのですが、占ってもらったときに見たカードと違います。」
アデュレイは瞬きし、軽く前のめりになって上からカードを見下ろした。
「おっしゃるとおり、占いに使われたカードの絵柄は全面モノクロでしたが、これには一か所だけ色が入っていますね。」
プリシラの右隣に座るエリザが、カードを手に取ってアデュレイに差し出した。アデュレイは会釈して、そのカードを受け取った。
「裁判の女神マートの持つ黒白の天秤の、黒い皿の上に植物の葉が描き足されていますね。葉は卵形で三裂、葉柄は短く、その縁はノコギリの歯のように粗い。」
「ツタの葉のように見えませんか。三枚の葉が合わさって一枚になったかのような形でしょう?」
アデュレイはプリシラの方をちらりと見て、首肯した。
「ええ。その中央の一枚に当たるところに、人名が記されています。そこだけが、赤い色なのだ。ハリー・ヘイズ…、かな。」
アデュレイは、庭園へと通じるガラス戸の前に立った俺の方を振り返った。
「リー・リー、ちょっと来てくれないか。」
次いで、急いでプリシラに説明する。
「彼に見てもらいます。私の従者は、恐ろしく目がいいんですよ。」
何をさせる気だ?
俺は怪訝に思いながらも表には出さず、従順な素振りで速やかにアデュレイの席に近づいた。アデュレイは、俺にカードを差し出した。
「ご覧、リー・リー。これがツタの葉だとして、中央の尖った部分には、赤い字で書かれた人名がある。残り二つの角には、それぞれ黒く塗りつぶされた楕円がある。これについて、何か気づくところはあるかい?」
俺は目を凝らした。それはもう、尋常でなく、目を凝らした。
実のところ、俺の身体能力は通常の人を超えている。無論、視覚や聴覚についても然り。太陽神の神官であった俺は、先の大戦時に魔王リリウを降してこの身に封印し、それがゆえに、その能力の一部を引き出して使うことができるようになった。
否、引き出して使うというのは、正確な表現ではない。神官のエクシオンと魔王のリリウは心身ともに融合し、双方、すでに従前の存在ではなくなっているのだ。それから二百五十年以上を生きた俺は、もはや人とは呼べまい。
今は、ある事件をきっかけとしてアデュレイに仕えることとなり、リー・リーと呼ばれ、従者の仕着せに身を包んでここにいる。神官としての魔力も魔王の身体能力も、アデュレイに近づくスリを追い払ったり、王立病院のハーブを育てたりといった、ごくほのぼのした用途にしか用いていない。
「旦那様、その黒いところには、何かが書かれていたようでございます。そのカードをお借りしても?」
俺に求められているのは、この人並み外れた視力でカードから何かを読み取ることだ。俺はカードを受け取り、何かが塗り消された箇所を慎重に指の腹で撫でた。
「人名ですね。」
「人名を書いた後、塗り消したということか?」
「そうですね、書いた上からペンで何度も線を引いて、こう、ぐちゃぐちゃと消したんですね。しかし、元の字が強い筆圧で書かれてありますから、読み取れると思います。何か他の紙に書き取った方がよろしいでしょうか。」
すぐに書き取り用のペンと紙が用意されたので、俺はアデュレイの右隣の肘掛け椅子に席を取り、人名を書き取った。
ハリー・ヘイズ、これは赤いインクで書かれ、塗り消されていない。
ペリー・カーチス、これは黒いインクで書かれた後、消されている。
ダニエル・イーシュ、これも黒いインクで書かれた後、消されている。
「これらの名前にお心当たりは?」
俺の書き取りをアデュレイはテーブルの上に差し出し、プリシラはエリザから受け取ってそれを眺めた。
「特に珍しい名前でもないですし、すぐには思い当たりませんわね…。」
プリシラは困ったように眉根を寄せた。
「後で調べさせることにしましょう。これはきっと、メッセージですよね?」
アデュレイはすぐに頷いた。
「そのように思われますが、なぜ、このように回りくどい方法で伝えてくるのかが謎です。」
「あの占い師が戻ってきたら、詳しい話が聴けるかしら。」
しかし、グランがエラを連れて戻ってくる気配はなかった。
アデュレイはテーブルの上のカードを見つめ、暫く思い悩んでいる様子だったが、ついに決心したかのようにプリシラを見つめた。
「これを申し上げるべきかどうか、迷っていました。」
そこでまた、口を閉ざした。すかさず、プリシラが先を促した。
「どうぞ、おっしゃって。」
「アデュレイ卿、人払いが必要か?」
何かを察したらしく、エリザが周囲を見回す。それで、俺も思い当たった。
アデュレイは魔法が使える。もしかして、こっそり魔法を行使して何かを感知したのではあるまいか。
彼は特に感知や召喚などの系統を得意とするが、光の神に由来する魔法ではないので、公然と披露するのは憚られる。違反というほどのことでもないが、どこでどのような噂が立つかわからない。逆に、光の教団からスカウトでも来た日には大迷惑である。ゆえに、エリザは人払いが必要かと確認したのだろう。
結局、プリシラの従者には主室に隣接する部屋に下がってもらうこととなった。無論、口が堅い者たちではあるだろうが、念のためである。
「今日、キース卿から贈られた帯飾りについて申し上げます。」
アデュレイが切り出すと、プリシラとエリザは顔を見合わせ、それぞれ自分が贈られた帯飾りを手に取った。
「これが、どうかしまして?」
「それは身に着けない方がよろしいでしょう。ご自分でご確認ください。飾りの部分の金属と、留め具の部分の金属は別の物ですね?」
小さな金のツタに細かい鎖が付いて、その鎖の先にJを逆にした形の留め具がつながっていた。留め具を帯に上から差し込んで、帯の上端から鎖に下がったツタの葉が見えるようにするものだろう。
「飾り部分の裏面は、やすりのような物で丁寧に削って滑らかに処理しています。そして、飾り部分の金属は上質で古い。何か他の古い装飾品などから剥がれ落ちた物を、修復したのです。そして、それをもう少し安価な、真新しい金属で作った留め具に取り付けている。恐らく、そのツタの部分だけは、何かの古代遺物の装飾部分だったのです。なぜなら、魔力の有無を鑑定する魔法を浴びた痕跡がある。」
アデュレイは、指に嵌めた印章指輪の裏に〈摂理の魔眼〉という感知魔法に用いる七芒星形を刻んでいた。ゆえに、人知れず、素早く魔力の鑑定を行うことが可能だった。きっとその能力を使って、席上で初めにこの帯飾りを手渡されたとき、この品物に行使された魔法の有無や効果をただちに感知したのだろう。
「では、まさか、これが…、」
エリザは帯飾りを手に持ったまま、その腕を思い切り伸ばし、疎ましげにそれを身から引き離そうとした。アデュレイはすぐに言葉を継いだ。
「それがレディ・シファールのもとから持ち出された古代遺物というわけではないと思います。なぜなら、それには魔法が付加されていない。」
「レディ・プリシラ。」
プリシラが呼称を訂正した。
「どうぞ、プリシラとお呼びください。」
名前を呼ぶことを許された!
このようなときなのに、俺は胸をときめかせてアデュレイの表情を窺った。
一歩前進だ! ブライアンのアドバンテージを踏みにじってやった!
「ありがとうございます、レディ・プリシラ。」
アデュレイは微笑んで一礼した。
「もちろん、古代遺物は古代遺物だというだけで価値があります。しかし、レディ・プリシラがお探しになっている物は、剥がれ落ちた何かを修復したような、魔法の付かない品物ではありませんよね?」
「おっしゃるとおりです、アデュレイ卿。」
プリシラは、やや厳しい面持ちになった。
「わたくしが探している物は、回収しなければ治安を脅かすような魔法の品物です。」
「しかし、身に着けてはいけないというのはどういうことですか。私は、中古の品でも丁寧に修復した物なら立派な芸術品だと思いますが。」
どうやら盗品ではないらしいと聞かされて安心したのか、手の上の帯飾りを顔に近づけ、しげしげと眺めまわしながらエリザが尋ねた。アデュレイは答えた。
「その帯飾りは、三つあったはずです。」
プリシラとエリザは再び顔を見合わせ、互いの手にある帯飾りを見比べた。
「もう、おおよそお察しのことと存じますので申し上げます。私は対象に行使された魔法の痕跡を読み取ることができます。それで、その品物に込められた思いを読み取ることができたのです。」
「魔力感知ですね!」
プリシラは目を見開いた。
「あなたが〈魔法使い〉のカードを引き当てたのは、偶然ではなかったということですわ。」
「さて、この秘密を共有するからには、我々は結社でも作る必要があるかも知れません。」
アデュレイは冗談で紛らせ、それから思慮深げな眼差しをプリシラの手元に向けた。
「三人の人物の物語が感じられます。厳密にいうと、魔法ではないのです。その飾り物に魔法は付加されていないと、すでに申し上げました。しかし、魔力を持たないただの人が口にしたとしても、誓言は誓言です。誰が発した言葉であれ、言霊には何らかの力があります。それらの品物の元の持ち主たちは、祝福の言葉と共にそれらを受け取りました。それらは、三つで一つのセットです。ですから、残り一つをどこで誰が装備しているか確認せぬままに、ほかの二つを身に着けるのは危険だと考えます。」
「そういうことなのですね。よくわかりました。」
プリシラは神妙に頷いたが、エリザは納得できない様子だった。
「セットの一部が欠けても残りを使うということはあるでしょう。何が危険なのですか。わかりません。」
「そうですね、杞憂かも知れません。」
アデュレイは面白そうに微笑んで、あっさり認めた。
「しかし、影響を受ける可能性は皆無ではありません。例えば、一つが他の二つを装備している者を引き寄せるなどの影響が考えられます。思いの強さによりますけどね。僅かでもリスクがあるのであれば、敢えて試してみなくてもよいでしょう。それとも、リスクを無視できるほどにそれが気に入りましたか?」
「いや、それほどではありません。」
エリザは慌てて首を振った。
そのとき、入室を請うノックの音が響いた。俺が立って確認し、招き入れた。グランであった。一人で戻ってきている。
「すでに立ち去った後でした。」
短く報告し、脇に立つ俺をちらりと見て言葉を継いだ。
「そこで、居宅がわかればと思い、管理部の統括に頼んで身元を確かめました。本名、ドニーズ・アレット・リオーン。エルフェス人で、アデュレイ卿の使用人です。」
「えっ?」
つい、声が出てしまった。目を剥いてアデュレイの方を見ると、信じられないといった顔つきで、ゆっくり首を横に振っていた。
こんなときでなければ、傑作なのにな!
度肝を抜かれたアデュレイ、という滅多に見られないものを目にして喜んだのも、ほんの一瞬のことだった。
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