8 ベル・ストリートの殺人
その建物の壁は、タイルの色もくすんで黒ずんでいた。古色蒼然たるその佇まいまで、いかにも古物を扱う店であるとの演出であるかのようだ。看板はない。しかし、戸口の脇にガラス戸を張ってディスプレイのスペースが設けられており、そこに古地図やアンティークの銀器、海を隔てた東方諸国から渡来したと思われるエキゾチックな陶器などが陳列してあるので、何を取り扱う店か、およそ見て取れる。
「この店、知っているよ。」
人だかりの後方で背伸びして、アデュレイがやや興奮した口調で呟いた。俺はアデュレイを引き留めた。
「こういうとき、スリが仕事するんです。旦那はここにいてください。持ち物に気を付けて。俺が訊いてきます。」
何か反論していたようだが、聞かずに人ごみに飛び込んだ。鞄を前に抱きかかえると、蛇のように間隙を縫って前に進み、先頭に出た。
店の戸は開け放され、数人の城兵が街路に立って、見物人が近づいてこないよう牽制していた。ふと隣を見ると、商家の徒弟らしき少年がいたので、様子を尋ねてみた。どうやら、殺しがあったらしいとのことだった。これだけ人が集まって騒いでいるというのに、誰もがその程度のことしか知らないと見える。
再び人ごみの間を縫って後方に戻ると、そこにアデュレイの姿はなかった。左右を見渡すと、建物の角の辺りで城兵と親しげに話をしている。俺に気付いて、アデュレイはステッキを持っていない方の手を差し上げた。
「リー・リー! ここにマークがいたよ!」
マークというのは、マイケル・ヤングという年若い城兵だ。俺がヘイヴンに来たばかりのとき、在留証を見せろといって迫ってきた奴だ。どこかぼんやりした若者だが、職務熱心には違いない。
俺の在留証不所持の一件に関わったのが運の尽きで、アデュレイとも親しく付き合うこととなり、今ではマーク、アデュレイ卿と呼び合って酒場で飲み明かすほどの仲だ。この辺りは、アデュレイのコミュニケーション能力の驚異的なところだろう。侯爵家の子弟が庶民出身の一兵卒と食事を共にして友人関係を結ぶなど、そうそうあることではない。
俺からすれば、ご愁傷様と言うほかないが、マークはこの事態を喜んでいるのだから手が付けられない。もはやアデュレイの崇拝者と言ってもいいかも知れない。
長身のマークは、俺を見つけてにっこりと笑んだ。
「リー・リー、お久しぶりですね。」
こいつまで調子に乗って、俺をリー・リー呼ばわりしていやがる。
俺は彼らの傍まで行くと、仕方ないので歯を見せて笑い返してやった。
「旦那、マークから何か訊きました?」
「ああ。昨夜、店主が何者かに殺害されたようだ。」
「そうなんですよ。」
マークは笑みを消し、少し悲しげな表情になった。
「被害者は、店主のジェイムズ・イアン・アチソン。独り暮らしなんですが、今朝、茶葉の配達に来た小僧が、扉に鍵が掛かっていないことに気付きましてね。入ってみたら、店主が冷たくなって転がっていたという次第で。」
「他殺に間違いないんだね?」
「後ろから刃物でグッサリですよ。金があらかたなくなっていますから、押し入りですね。最近、強盗が横行しているので、武装協会も夜の見回りを手伝ってくれていたんですがね。ベル・ストリートでこんな事件が起きるなんて、面目ないことです。」
「強盗の仕業だって?」
アデュレイは疑わしげに尋ねた。
「ええ、そうですね。恐らく。」
マークはあっさり頷いた。
「店内は物色されて、金がなくなっています。値の張る骨董品を選び取るほど目利きもできないってことに、途中で気が付いたんじゃないですかね。それで、品物の選り好みは諦めて、手っ取り早く金をさらって逃げた。そんな感じに見えますね。ベル・ストリートの見回りは厳重ですから、さほど時間も掛けられなかったんでしょう。」
アデュレイは同意できないという調子で小さく鼻を鳴らすと、ちらりと店の戸口に目を遣った。
「マーク、ちょっと中に入れてもらえないかな。」
さすがのマークも、即答はできかねる様子だった。アデュレイは畳みかけた。
「君が知っているかどうかわからないが、レディ・シファールという貴婦人がいらっしゃるだろう? 辺境伯でいらっしゃる方だ。僕は、彼女から特命を受けているんだよ。不正に彼女の領内から持ち出された高価な品々を探し出すように、ってね。ここも古物商だろう? ちょっと品物を点検させてほしいんだ。」
「そのような命を受けていらっしゃるんですね…。」
アデュレイが面白半分に現場に入りたがっているのではないとみて、マークは検討に入ったようだった。アデュレイはもう一押しした。
「王都巡察隊にハーヴィー卿という方がいらっしゃるだろう? 教区警察担当の。彼も同じ命を受けているんだ。この一件の解決に君も助力したとなると、彼も誇らしいことだろう。教区警察の鼻を明かすことになるんだからね。」
王都の主な公安機関として、王都巡察隊や武装協会のほかに教区警察が存在する。それらはそれぞれ独自の設立経緯と法を持ち、実のところ、管轄の切り分けは明確にはなされていない。ただ暗黙の了解として、上流階級に関わる事件は教区警察、その他の事件は王都巡察隊、都内巡回は武装協会、という印象で括られているだけだ。
王都巡察隊と教区警察が協力し合えば、治安対策も大いに捗るのだろうが、現実はその逆である。「光の教団」に根差す教区警察と、王室に根差す王都巡察隊は、永久にわかりあえない。なぜなら、目障りだが尊重しあわねばならない教団長と国王の関係性そのものだからだ。
「上司に相談してきます。」
教区警察に対抗できると聞いて、早速、マークは店内に走っていった。その後ろ姿を見送り、アデュレイは俺に手招きした。俺が近寄ると、顔を寄せて小さな声で告げた。
「ジェイムズの店は、魔法錠でロックされていた。ここらの店は全て魔力感知済みだ。間違いない。」
「そうなんですか? えっ、でも…、」
俺も囁き声で返した。
「配達の小僧が、扉に鍵が掛かっていないことに気付いたんで通報したって言ってましたよね? 魔法解除ができる奴が押し入ったって話ですか。」
「マークが語ったとおりの筋書きなら、そうなる。すると、かなり奇妙な話だ。君、ちょっと盗賊の立場になって考えてみたまえ?」
「え、いやですよ。俺は盗人じゃないですもん。」
「気持ちを想像してみる、って話だよ。」
アデュレイは呆れたように片眉を上げた。若干、癪に障る表情だ。
「手に入れたい物が単に金であるなら、そもそも見回りの厳しいベル・ストリートで仕事をする必要はない。ティアー橋付近の歓楽街の方が、もう少し治安が乱れている。敢えて橋を越えずに仕事をするとしても、短時間で手軽に解錠できる錠前はいくつもあるじゃないか。わざわざセキュリティレベルの高い店を選択するのは不自然だ。」
俺は考えを巡らせた。
「つまり、目的は金じゃない?」
「そうだね。」
アデュレイは俺の目を見詰めながら頷いた。
「魔法を使える人物だったにせよ、高価な魔法具を用意したにせよ、そこまでしてベル・ストリートの古物商に押し込みを働くからには、そこでしか果たせない目的があったと考えるべきだ。」
「旦那がおっしゃるから、盗賊の気持ちになって考えてみましたが…、」
俺も何か冴えたことを言ってみたくて、ちらちらと店の方に目を遣りながら考えた。
「もっと安上がりの方法があります。客のふりをして入る。高価な品物について商談をするふりをして、店主と二人きりになる。そして、グサリ!」
アデュレイは目を丸くした。
「いいぞ!」
小声ながらも熱意を籠めて称賛し、俺の肩を叩く。
「その調子だ! もっと犯人の気持ちに同調してくれたまえ。」
励まされているというのに、何やら複雑な気持ちになった。
そのとき、店から出てきたマークが俺たちに向かって手を振った。
「アデュレイ卿! どうぞこちらへ!」
アデュレイは、彼の城兵仲間であるかのように、同じく片手を振ってそれに応じた。そして、背筋を伸ばして毅然と現場に向かった。
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