9 古代遺物の調査

 ジェイムズの店は、一階が店舗と納戸、階上が居住空間、地階が保管庫と作業場といった構造だった。初めに城兵の面々に挨拶した後、アデュレイは彼らの同僚であるかのように現場検証に加わった。


 外に向けたディスプレイのコーナーは店舗内の小上がり部分にしつらえてあり、壁で仕切られた後方は店内の展示スペースとなっていた。外向けのコーナーは整然としていたが、店内の展示物には若干の乱れが認められた。そして、展示スペース以外の場所にも壷やら鎧やらが置かれている。いくつかは転がったり倒れたりして、雑然としている。


 問題の死体はというと、店舗の奥にうつ伏せに転がっていた。顔は左を向いているので、その横顔から、目を見開いたまま死んでいるのが見て取れた。初老の男だ。城兵の一人が背中に刺さった短剣を抜こうとしていたので、


「申し訳ない、少しだけ待っていただけないだろうか。」


 アデュレイはそれを止めた。そして、急いでハットやコートを脱ぎ、革手袋を取り、ステッキと共に展示台の隅に積み重ねた。俺は、汚れや皺が付かないように、すぐそれらを預かった。


 アデュレイは死体の前で黙礼した後、傍に屈み込んで全体を見渡した。真っ先に魔力感知をしたであろうことが、俺にはわかった。それから、死に顔を覗き込み、剣の柄に触れ、血痕を踏まないよう慎重に場所を移動しながら死体の周りを一周した。そして、立ち上がった。


「このご遺体だが、」


 左右を見回しながら言う。


「検死に回していただけるのでしょうね?」


「背中の刺傷で死に至ったのは一目瞭然ですから、必要ないかと存じますが。何か、お気づきの点でも?」


 マークの上司と思しき、髭を蓄えた士官が答えた。アデュレイより年上と見えるが、身分ある相手に敬意をもって応対している。


「その刺傷です。非常に深い。長めの刀身を持った短剣を得物にしており、恐らく被害者の肩を押さえつけながら、最後までねじ込んだと見えます。被害者はかなりいい体格をしているが、犯人も同等の体格で、もしかしたら少しばかり被害者より背が高いかも知れません。このことから、よほど怪力の女戦士でもない限り、犯人は殺人に慣れた男性と思われます。そして…、」


 アデュレイは死体を見下ろした。


「どういう状況で背中を刺されることになったのか、気になります。犯人が表から入ってきたので、奥に逃げ込もうとしたのか。後ろを向けと指示されて、そのようにしたのか。この、驚いたような死の表情につながるストーリーを読み解く必要があるのです。」


「では、王立病院に。」


「そうですね。念のため、王立病院のドクター・ジョーンズに見ていただきたい。アデュレイの頼みだといえば、引き受けてくださるはずです。」


 その士官は、これを聞いて少し驚いた顔をしたが、


「承知しました。」


 と言って、頷いた。


 アデュレイは彼らに短く礼を述べて、邪魔にならないよう端に立っていた俺に足早に近づいてきた。


「リー・リー、僕たちには手助けが必要だぞ。」


「聞いていましたよ。検死報告ですね。」


「それも要る。しかし、それどころではない。君、魔力感知はできるか?」


「はっ? まあ、一応。」


 俺は口ごもった。


 神聖魔法のなかに、感知系の魔法も存在する。魔物との戦いにおいては、敵と味方を正確に区別したり、対象の魔力を測ったりする必要が生じるからだ。


 ただし、俺に関して言えば、魔力感知が得意とは言えない。使用頻度が低いので、慣れていないのだ。大戦時に魔物と戦う際、いちいち敵の魔法の分析などせずに力押しで打ち砕いていたため、まずどのようなシーンで何を感知するのかという肝心の発想が湧かない。


「君も、感知すればわかる。この店内には、古代遺物が複数ある。これを、玉と石とに篩い分けなくっちゃあならないぞ。」


 げえ、と言いそうになった。聞いただけでうんざりする。


「そこで、助っ人だ。君も知っているだろう? こういうことを非常に得意とする人物を。」


「えっ。旦那、まさか…、」


 俺が言い終わらないうちに、アデュレイはにっこり微笑んで頷いてみせた。


「そう。ベルナルド卿だ。」


 俺は、ベルナルドの美貌を脳裏に思い描いた。彼は王立図書館を預かる宮中伯で、王都における図書に関して最高の権威を有している。何しろ、王族しか閲覧を許されない図書を収めた秘府の管理も一任されているほどだ。


 彼とは、ある事件をきっかけとして二回ほど対面しただけだ。一度目は、アデュレイが彼の弱みに付け込んで公示前の情報を探り出しに行ったときだった。そして二度目は、事件解決後、御礼に参上したときだった。


 いずれにおいても、彼は完璧な微笑で俺たちを出迎えたものだが、その実、きっと俺たちを疫病神認定しているに違いないと俺は予測している。


「ええ、しかし、お忙しいのではないですかね…。突然呼び出されても、会議のご予定などおありかも知れませんしね…。」


 俺は彼のために牽制しておいたのだが、打ち込みが弱すぎてアデュレイに届かなかったようだ。


「そうなると、まずいね。彼には今すぐ、ここにお越し願いたいんだ。僕は〈疾風の白鷹〉で魔法の使者を出すから、君は現地に足を運んで確実に引きずり出し…、失敬、丁重にお連れしてくれるかな。」


 急いで言い直したが、俺の耳は聞き逃さなかった。引きずり出してこいと仰せであった。我が主は。


「彼のような分類の天才の助力が得られないというなら、僕と君とで地道に処理するしかあるまいね。当然、時間はかかるだろうけれども。」


「はっ? 俺も?」


 この俺が鑑定や分類といった、ちまちまと細かい作業に駆り出される? 冗談ではない。


 ここから王立図書館まで、普通に歩いても十分程度の距離なのだから、これをひとっ走りすることで面倒な作業を免れるというのであれば、そちらの方がいいに決まっている。諺にもいうではないか、「パン屋が焼いたパンが一番美味い」と。


「いや、旦那、お任せください。ふん縛ってでも、大先生をお連れします。」


「丁重に頼むよ。丁重にね。」


 馬を呼ぶより自分で走った方が早い。俺はできるだけ身軽になり、戸外で軽く屈伸した後、放たれた矢のように勢いよく駆け出した。


 従者の足の速さは主人の評価につながるのだから、出し惜しみはしていられない。通行人は俺の走りに対して笑顔を向け、喝さいを浴びせてきた。悪くない気分だ。


 ほどなく王立図書館に到着した。広大な敷地は三つのゾーンに仕切られており、そのそれぞれが傾斜屋根を持った煉瓦色の建物を有している。俺は門衛に主人の身分とフルネームを告げて敷地内に進入し、中央ゾーンのひときわ大きな建物に直行した。


 驚いたことに、建物に足を踏み入れる前にご本尊が姿を現した。


「ごきげんよう、リー・リー。」


 澄んだバリトンが耳に響いた。礼儀作法の教師が口にするような、完璧な上流階級の発音だ。抑揚そのものがベルベットのように空気を撫でる。


 対面の回数は数えるほどだが、いつ見ても呆れるほどの見目麗しさだ。輝くような金髪は束ねておらず、ただ丹念にくしけずられて肩の辺りまで下ろしている。傷みも乱れもない。


 そしてその白玉の面といえば、一流の芸術家が正確無比な黄金律を基に美を極めた作品のようだ。およそ欠点が見当たらない。称賛すべきパーツしか存在しない。敢えて指摘するとすれば、角度によって宝玉のように輝く黄金色の目は常人離れが過ぎて、好みの分かれるところとはいえるだろうか。


 まあ、俺の目も黄金色なのだが。別に他人からどう見えるかなど、気にしたことはない。ベルナルドもきっとそうだろう。


「ベルナルド卿におかれましては、ご機嫌麗しく。」


 俺は畏まって挨拶し、ベルナルドの行く手を塞がないよう脇に退いた。ベルナルドは足音もなく歩を進め、近づいてきた。誰も従えていない。ただ一人だ。


 光沢を抑えた金糸で花を描き出すダマスク織の白いローブを身に着けて、同色の糸で縁取った淡灰色のコートを羽織っている。記憶にある限り、彼はいつもこの服装だ。制服であろうか。


「せめて半日前から前触れしていただけるとありがたいのですがね、」


 ベルナルドは俺の前でゆったりと立ち止まると、きれいに微笑んだ。


「もし、可能であれば。」


 怒っている。


 俺は直感した。美しい笑顔には騙されるまい。それはもう、恐らく、怒っていらっしゃる。


 俺は唾を飲み込み、神妙に詫び言を口にした。


「主人のわがままで突然のお願いとあいなりまして、申し訳ございません。」


「ほかならぬアデュレイ卿のご依頼ですからね。業務は、私の秘書官に代行させることにしました。私も息抜きができて、ありがたい限りです。このようなことでもなければ、私が図書館のエリアから外に出ることもありませんから。」


 これは言葉のとおりに受け取ってもよいものだろうか。


 俺は曖昧に苦笑した。


「ところで、ご依頼の内容は…、」


 ベルナルドは左手の指先を自らの顎に当て、首を傾げた。


「殺害現場となったベル・ストリートの古物商において、古代遺物の分類をしてほしいということですね。」


「おっしゃるとおりです。」


「リー・リー、魔力感知の魔法くらい、あなたも使えるでしょうに。」


 痛いところを突かれた。俺は可能な限り純情そうに見えるよう、微笑みながら首を振った。


「私の魔法など、ほんの子供騙しです。旦那様やベルナルド卿には遠く及びません。」


 ベルナルドは指先を顎に当てたまま、俺の目を見詰めた。その表情に、微かな苛立ちが見て取れた。


 やがて俺から視線を外して後ろ手を組み、遠く街路に続く門扉に目を遣ったかと思うと、


「基本的に、魔法というものは水準の高い方が低い方を圧倒します。」


 唐突に、講義が始まった。


「私は数多の魔法書を読破し、それらの内容を記憶しています。知識の量においても、魔力の量においても、アデュレイ卿を凌駕している。総合的に見て、魔法使いとしての水準は私の方が高いでしょう。それでも、魔力感知という分野においては、彼が第一人者なのです。魔力感知に係る魔力の質や術式の構成などの点で、決して彼を超えることはできない。つまり、彼は魔力感知の天才なのです。」


 今更、驚くほどの内容ではない。ヘイヴンに来てから、この短い間に思い知ったことと同じである。それでも、俺は感じ入ったふりをして頷いた。


「リー・リー、あなたの水準もなかなかのものです。あなたがその気になれば、この私の正体くらい容易に暴き出してしまうことでしょう。私自身は、あなたの正体についておよそ察したという程度に過ぎませんが、あなたは私を丸裸にして読み取ることが可能でしょうね。」


「何をおっしゃいますか!」


 先程は上辺で感心しただけだったが、今度は正真正銘、驚いた。


 ベルナルドは、近づいてくる馬車を見つけて乗降場に向けて歩き始めた。歩きながら、僅かに顔を横に向けて背後の俺に囁いた。


「敢えてあなたが魔力感知を避けているということは、何かそれに関する辛い思い出でもおありなのでしょうか。我々にとって、過ごしにくい世の中ですからね。私でできることでしたら、手をお貸ししましょう。」


 そして、前を向いた。


「相見互いですよ…、お忘れなく。」


 これはアデュレイの依頼のはずなのに、なぜか俺が彼に借りを作ったかのような言い草だった。


 納得がいかなかった。が、如何ともしがたかった。


 俺は気を取り直すと、急いでベルナルドの後を追った。

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