10 古物台帳
ベルナルドが従者を伴っていないのを幸いに、俺は図書館の馬車の後ろに便乗させてもらって現場に戻った。
店の前に集う野次馬は当初より数を減らしているものの、諦め悪く未だ付近をうろうろしている者も多かったので、ベルナルドが馬車から下りると新たな出し物を見たとばかりに歓声を上げた。無理もない。歌劇の主役もかくやという美形である。鷹揚に歩を進めるベルナルドを守りながら店内に入るのも一苦労だった。
この場を預かる王都巡察隊の士官は、滅多に市中に姿を現すことのない宮中伯がわざわざ足を運んできたことに仰天した様子だった。無論、彼にベルナルドの助力の申し出を断ることなどできようはずもなかった。
「ベルナルド卿! 感謝します。」
アデュレイは実にうれしげにベルナルドを出迎えた。握手の後に軽くハグをして頬と頬で触れ合い、親密さを表現した。そして、ただちに説明に移った。
「被害者は、ジェイムズ・イアン・アチソン。この店の主です。背中を刺された状態で、ここに倒れていました。」
アデュレイが血痕の残る床を指し示すと、ベルナルドは黙って頷いた。
「階上は居住スペースになっていて、調べたところ、この男は傭兵上がりのようです。引退後に店を持ったパターンですね。几帳面な性格のようで、古物台帳もきちんと整えられていました…、法定台帳の方も、そうでない方も。」
古物台帳とは、古物商が取引の詳細を記した帳簿のことである。個々の古物について、いつ、誰から、どのような由来・品質の品を、いくらで買い取ったか記録しなくてはならない。売り渡した場合も同様である。このような台帳を管理することは古物商の義務であり、治安や税務を預かる機関が提示を求める場合は速やかにこれを提示しなくてはならない。
アデュレイは、「法定」ではない台帳もあったと言っていた。すると、被害者は故買にも携わっていたということだろう。盗品を取り扱っている場合、それについての取引台帳は表に出すわけにはいかない。
ベルナルドは注意深く店内を見渡した後、台帳の在り処を尋ねた。台上に三冊重ねられたそれをアデュレイが示すと、立ったまま、それを一ページずつ丁寧にめくって眺めた。書き方の癖や法則を見極めたのか、後になればなるほどページをめくる速度は上がっていった。
三冊合わせると結構な分量のはずだが、ベルナルドが全てを閲覧するには十分足らずで足りた様子であった。
「なるほど、興味深いですね。」
恐ろしいほどの集中力でページをめくっていたはずが、最後の台帳を閉じた瞬間、ただちにそれが途切れて、ベルナルドは微笑みながら感想を述べた。
「品物の鑑定はお済みですか。」
「終えています。魔法具にのみマークしました。特に希少な物には、赤い字でマークを付けています。」
見ると、いくつかの品物の下には紙片が敷かれており、「明かり」などと簡単な文字が記されている。確かに、赤い字が記された紙片もある。例えば、純銀製と思しき正円の手鏡の下には、赤い字で「変異、上級、取扱注意」と書かれた紙片が置かれていた。
「そこまで終えていらっしゃるなら、台帳との照合をしていきましょうか。それで、どれが盗品か明らかになるでしょう。」
ベルナルドは、優しく俺を差し招いた。
「リー・リー、こちらへ。ペンとインクを持って来てください。」
あたかも邪悪な魔法使いに召喚されたつまらない使い魔であるかのように、俺はペンとインクを捧げ持って駆け寄った。ベルナルドは、窺うように俺を見た。長い睫毛が、その奥の瞳を金色に煙らせていた。
「手伝っていただけるでしょうね? 今から私が言う数字を、紙片に書き足していってほしいのです。」
ベルナルドが口にする言葉は、2-32-5 とか、3-6-1といった、およそ何かの意味があるとも思えない数字の羅列であったが、ともかく指示どおり、俺は紙片に数字を書き込んでいった。
ほどなく、俺も自分が何をさせられているのか理解した。俺は魔法具とされる個々の品物について、どの台帳の、どのページの、何番目に記されている物であるかを添書させられているのだ。たった一度、台帳に目を通しただけで、ベルナルドはその全てを暗記してしまった。その恐るべき記憶力ゆえに成せる芸当であった。
ベルナルドは、淀みなく素早く正確に数字を告げる。時間を要するとしたら、それは俺が数字を書き込むのにもたついたときだけだし、数字に間違いがあるとしたら、それは俺が書き間違えたときだけだ。密かにプレッシャーを感じつつ、書写に明け暮れた助神官のころよりずっと真剣に、俺は手を動かし続けた。
城兵たちは、もはや自分たちの捜査を放棄したのか、出入口の見張りに残した数人を除いて引き上げてしまったようだった。あるいは、もしかすると、検死の方に付き添っていったのかも知れない。マークの上司である髭の士官と、マークだけは現場に居残っていた。この酔狂な貴族たちが殺人現場で何を行うのか、見届ける責任があるのだろう。
ついに全ての紙片に添書を終えると、ベルナルドは左手の指先を顎に当て、再度、店内を見渡した。
アデュレイは靴音を立てながらゆっくりと店内を巡り、添書を確認した。
「お気づきになりましたか、アデュレイ卿。」
ベルナルドがアデュレイに声を掛けると、アデュレイは立ち止まった。片方の眉を跳ね上げて、ベルナルドを見詰める。
「添書されていない品物がありますね。」
「そのとおりです。わざと取り置いたわけではありません。それらの品々は、台帳に載っていないのです。」
「裏帳簿にも?」
「裏帳簿にも。」
ベルナルドは頷いた。
「そして、それらの品々はどれも、あなたが赤い字でマークしたものです。」
「間違いありません、古代遺物です。」
アデュレイは溜息を洩らした。気鬱の溜息ではない。実に満足げな、深い溜息だった。
「これは、ひょっとすると、…やりましたよ。ベルナルド卿には、改めてお礼をしなくてはなりませんね。」
「礼は不要ですが、もしよろしければ、何をおっしゃっているのか解説していただけますか。」
ベルナルドは、若干、迷惑そうに眉根を寄せた。アデュレイはそれに構わず、ベルナルドに駆け寄ってその両手を握りしめた。
「辺境伯でいらっしゃるレディ・プリシラが、自領から持ち出された古代遺物を探していらっしゃったのです。それを聞いたのが昨夜ですよ。これらの品々のなかにそれがあるとすると、それはもう、私たちの大手柄ですよ。」
「私たち」の中に、誰と誰が含まれるというのか。できれば、俺は外してほしいものだ。ベルナルドも同様に感じているかも知れない。
「殺された男は、不正な由来を持つ古代遺物であると知っているがゆえに、敢えて帳簿に登載しなかったということですか。」
ベルナルドが眉を顰めたまま尋ねると、それで漸く、アデュレイは彼の両手を解放した。
「そこが、気掛かりなところです。見たところ、彼は盗品についても故買台帳をつけています。由来が不正な品物であっても、克明に記録せずにはおかない性格なのです。階上を見てみましたが、帳面にはいちいち標題を記し、記載年月日を付記しているし、衣類などは新旧順に並べている。古い物を手前に置いて、新しい物をできるだけ取っておこうというわけですよね。瓶や缶は必ず正面を向けて一定の間隔を置いて並べている。日用品の使用状況を記した表までありました。いささか病的なほどです。」
「そういう性格であれば…、」
ベルナルドは思案顔で、左手の指先を顎に当てた。
「日記帳などもあるのでは?」
「ご明察です。裏帳簿は下着類に紛れさせて隠してありましたが、日記の方はもう少しわかりやすく。」
「わかりやすく?」
「鍵付きの引き出しに。」
「鍵は?」
「解錠しましたよ? 壊さずに。」
アデュレイは肩をすくめた。
ベルナルドは諦めたように首を振った。
「その日記にも目を通しましょう。」
「お願いできますか!」
アデュレイが感激したように詰め寄るのを、ベルナルドは片手で押しとどめた。
「乗りかかった船です。最善を尽くすとしましょう。」
ベルナルドの呟きが、俺の耳には、こう聞こえた。
――チャッとやって、チャッと終わらせましょう…。
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