11 ボウ・ハウスへの招待

 ボウ・ハウスは、プリシラが王都で過ごす秋季から冬季にかけて滞在するタウンハウスである。ノーズ・ヘイヴン地区の一画に所在し、鹿の生息する森林や美しい半月湖を併せ持つ。有力な辺境伯のタウンハウスにしては、敷地面積は控えめで、邸宅そのものもこぢんまりとした印象だが、完璧に整えられた庭園とエレガントな曲線を活かした建築様式には、誰しも感嘆の念を禁じえない。


 このボウ・ハウスへの招待状をアデュレイが受け取ったのは、古物商殺害事件から三日後のことであった。驚いたことに、アデュレイの従者である俺までも客人として招待するとのことであった。


「ボウ・ハウスのアフタヌーン・ティーに招かれることは僕の悲願ではあったけれど、」


 招待状を読むアデュレイは複雑な表情であった。


「どうも、それではお庭を拝見、なんて雰囲気にはなりそうもないね。僕からもレディ・プリシラやレディ・エリザに伝えなくてはならないことがあるし、それは先方も同じだろう。」


「この茶会は、古代遺物を発見した旦那のお手柄を褒め称えるためのものじゃあないんですか?」


 俺が指摘すると、アデュレイは苦笑した。


「それだけで済めば、非常に楽しい茶会になるのだろうがね。」


 古物商殺害事件について、アデュレイとベルナルドで調査した結果を報告書にまとめて王都巡察隊に提供したところ、すでに被害の申告を行っていたプリシラは、自領から不正に持ち出された古代遺物の大半を速やかに取り戻すことができた。


 プリシラが特に気にかけていたのは、月の女神マイラの神聖魔法を基盤とする古代遺物の行方であった。「化生けしょう月鏡つきかがみ」といわれる希少な魔法具で、鏡に映した者の姿を変えることができる。魔力を有する者にしか反応しないとか、強い太陽光線を浴びると効果が消えるといった制限はあるが、これを悪用しようとするなら、どれほど大胆な犯罪を可能にするか計り知れない。


 この極めて重要な古代遺物を取り戻すことのできた喜びを、プリシラは即日礼物を持たせた使者をアデュレイのもとに寄越すことによって表した。そこに重ねての招待状であるから、当然、これは個人的な親睦を深めるためのものに違いないと思ったのだが、


「君は、今朝の公示を聞いていないのか。」


 思いの外、アデュレイは慎重な態度だった。


「僕の書斎の机の上に、代書屋から買ってきた読売があるから持ってきたまえ。」


 言われてそれを書斎から探し出してサロンに持ってくると、手渡す前に、読んでみろと言われた。


 そこで、俺はアデュレイに指示された箇所の記事を声に出して読み上げた。



  公示


一、古物商殺害事件について


 二百三十二年十二月二日午前六時過ぎ


 ベル・ストリートにおいて古物商を営むジェイムズ・イアン・アチソンが遺体で発見された。死因は背中の刺傷と認められ、王都巡察隊は強盗殺人事件とみて捜査を開始した。情報提供者に謝礼あり。



「旦那のお手柄が載っていませんぜ?」


 俺は読むのをやめて不満を漏らした。


 アデュレイは、指で煙でも払うように手を振って先を急がせた。


「いいのだよ。古代遺物の件は伏せておいた方が、レディ・プリシラにとって都合がいい。全てはレディのために。」


「わかりました。全てはレディのために。」


 俺は復唱した。


「しかし、この記事は強盗殺人事件と決めてかかっていますぜ? 旦那の見立てじゃあ、わざわざ魔法錠を突破して宝の山に突撃した犯人が、人殺しまでやらかしたってのに、金だけ盗んでいくのはおかしいって話だったんじゃ?」


「そうだね。」


 アデュレイは頷いた。


「間違いなく、僕たちは何かとんでもない物がなくなっているのを、あるいはとんでもない物が残されていったのを見過ごしていたのだよ。君、検死報告書を受け取りに行ってくれたろう?」


 俺が王立病院に検死報告書を受け取りに行ったのは昨日のことだ。何しろ、王立病院の医師は忙しい。いつ仕上がるかわからない検死報告書を待つことはできなかったので、それを待たずに王都巡察隊に調査報告書を提出した。古代遺物回収の件が絡んでいたから、一刻の猶予もなかったのである。


「その検死報告書の写しも王都巡察隊に追加提出したが、すでに強盗殺人事件として捜査を始めているからね。ここからの方向転換は難しいだろうな。」


「検死報告書の内容をまともに取り上げる士官がいるかどうか、ですね。」


 検死報告によると、被害者の死因は背中から鋭利な刃物で心臓を刺されたことによる外傷性ショックと失血とのことであった。遺体の傷跡や鬱血の状態から読み取れることをまとめると、背後から的確に心臓目掛けて渾身の一撃を叩き込み、振り向いて抵抗しようとした被害者の左肩を強力に押さえ込みながら、さらに深くねじ込んだといった状況だ。殺人に慣れた人物の犯行という印象を受けざるをえない。


 ここまでの材料なら、強盗殺人犯の凶行だったと推察しても、特段おかしくはない。しかし、この事件の被害者は並一通りではなかった。極めて奇妙なことに、被害者の命を奪った得物は、死体に刺さっていた短剣とは別の物であるという所見が出ていたのである。


「死体に刺さっていたのは、黒革で握りを巻いた短剣だ。刃渡り三十センチ近くあるので、これでも背後から心臓を突いて殺すことはもちろん可能だが、犯行に使われた刃物はそれではないというんだからね。そして、唯一、現場から消えた品物が…、」


 アデュレイは目を細めて、続けた。


「ショートソードだ。恐らく、それが本当の凶器なのだろう。」


「ただの強盗が、そんなわけのわからない手間をかけるとは思えませんよね。」


 このような手間をかける意味とは何であろうか。


 犯行に用いられた凶器を隠したかったのであろうか。


 それとも、死体に残した短剣の方に、何か意味があるのであろうか。


「しかし、古代遺物の返還も完了した今、王都巡察隊には初老の男の殺人事件をこれ以上追及する余裕はないだろう。」


「なぜです?」


「次の記事を読んでみたまえ。そうすれば、わかる。」


 手に持っている読売を指差され、俺は再びそれを持ちあげて音読した。



一、魔法具不正取引事件に係る開廷情報について


 キャンベル家において所有する魔法具が、光の教団の認証を有しない古物商に売却された事件について、光の教団は徹底した調査を行うことを宣言し、年内に審問を行うこととした。


 なお、本件は光の教団が裁定するものであり、貴族院は関与しない。


 また、本件に係る市民からの照会については、各教区信徒総代からのみ受け付ける。



 俺は困惑して、読むのをやめた。


「また魔法具の事件? ベル・ストリートの一件とは別に。」


「キャンベル家、これには君も聞き覚えがあるだろう。」


 聞き覚えがある、どころではない。つい数か月前、俺はエリザの母親にひどい目に遭わされたのだ。


 エリザの母親はキャンベル家の出身で、強力な魔女でもあった。まともな魔女ではない。魔界の魔法を使う邪悪な魔女だ。すでにエリザの父親共々他界したものであるため、死者の悪口をいうのは憚られるが、控えめにいっても彼らは狂人であった。実の我が子を魔王の生贄に捧げようとする親が、正気であるはずがない。


 四歳のときに親元を脱したエリザはともかく、彼らの間近で育ったエリザの兄が、あれほど常識を持った大人となったことが奇跡と思えるほどだ。いや、心の傷は生涯癒えることはないのだろうが。


 恐らく、エリザの母親がというより、キャンベル家そのものが病んでいたのだろう。祖先が先の大戦の英雄だというので高い家格を有しているにも関わらず、経営面におけるセンスは絶望的であったとみえて、家門の影響力は衰退していった。それを不当な仕打ちと考え、本気で今一度、魔界のゲートを開こうとしていたのだ。


 思うに、そこまでの探求心と忍耐力があるのであれば、それを新しいビジネスに向けるべきではなかったのか。再び旧世界の戦乱を呼び込むのでなく。


「これはつまり、異端審問が始まるということです?」


 俺は、キャンベル家の魔法具不正取引事件に関する記事を読み直しながら呟いた。


「そう思われるね。そして、その事件は、王都巡察隊にも飛び火したようだ。彼らに余裕がなくなるだろうと言ったのは、そのせいさ。明日、レディ・エリザから詳しい話を聞くことができるだろう。そして、僕の方は…、」


 アデュレイは八角形のセンターテーブルの上に載せられた、別の書簡を手にした。アデュレイの使用人に関する照会に対して、実家から返ってきた回答だ。


「エラが持っていた在留証の件について、報告しなくてはならないね。気が重いよ。」


「自業自得ですよね?」


 俺は容赦なく指摘した。アデュレイは返事をしなかった。


 アデュレイの父親は辛抱強い性格の持ち主のようだった。今まで繰り返されたアデュレイの抵抗を物ともせず、先月、新たな使用人をヘイヴンに送り込もうとした。しかし、不運なことに、急な寒波の襲来で真冬並みに気温が下がった週があり、その間、常より移動が遅れてしまった。その上、馬が弱ったところに付け込んだ盗賊の襲撃を受け、ついに途中でエルフェスに引き返したとのことであった。


 不幸中の幸いとして、護衛が付いていたので死者は出なかった。しかし、この騒動で荷物の数点が失われてしまった。その失われた荷物のなかに、アデュレイの父親であるモンタレイユ侯爵の書状などが入っていたものと思われる。ヘイヴンの入城審査でも、それらの書類は威力を発揮したことだろう。


「ご実家は、この件に関する報せもすぐ寄越してくださったはずですよ。旦那が、ご実家からの手紙は後で読む、明日読むって先延ばしするから、こんなことになっちまって。」


「わかっている。」


「本当に? 早くした方がいいって、俺も何回か言いましたよね!」


「わかっている。反省している。」


 アデュレイは溜息をついた。


「それで、この件に関してはライオスに仲立ちを頼もうと思っているんだ。」


「はっ?」


 ライオスというのは、エリザの兄のことである。現在のスノーデン伯爵で、王都で指折りの有力者だ。


「僕がヘイヴンで放蕩三昧しているかどうか、父は気になって仕方ないんだろう。それなら、父が納得するような世話人が後ろ盾に付いて、ご子息はきちんとした生活を送っていますよと知らせてあげれば安心するわけだよ。ライオスは気さくな人だから、きっと引き受けてくれる。大丈夫だ、問題ない。」


 ダメだ、まるで反省していない。


 俺は首を振った。もちろん、ライオスは引き受けるだろう。気さくだからではない。アデュレイと俺が、キャンベル家の醜聞の詳細を知る、数少ない存在だからだ。


 俺は、心からライオスとエリザに同情した。しかし、彼らのためにしてあげられることが何かあるとも思えなかった。


「明日の外出着を選んでおきますね…。」


 それで、俺は、ハーティーとドレッシングルームに籠もって衣装選びに精を出したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る