7 人物評

 入城審査の記録なども、最終的には公安機関に持ち込まれるものであるため、まずはバーレル・ストリートに所在する王都巡察隊の庁舎を訪ねる予定だった。


 しかし、そのために馬車を用意する運びになると、


「念のため、国際倶楽部に立ち寄ってからにしようか。」


 と、アデュレイから提案があった。


「もしかしたら、今日、また国際倶楽部に姿を現すかも。」


「旦那の使用人のエラが?」


「うん、僕の使用人ではないけどね。」


 アデュレイはおざなりな微笑を浮かべつつ、素早く訂正した。


「そんな間抜けな娘には見えませんでしたがね。」


「同感だ。しかし、念には念を入れよというからね。」


 アデュレイのテラスハウスのあるスノーデン・スクエアは、ベル・ストリートまで徒歩五分程度の好立地である。夜間や早朝、ベル・ストリートから帰途につく際は防犯のため馬車を利用することが多いが、日中であればその必要もない。俺たちは、国際倶楽部まで歩いていくことに決めた。


 アデュレイは、絶妙な具合につばをカーブさせたブルーのハットをやや斜めに被り、革の手袋を嵌めた手にステッキを持ち、インヴァネス・コートの裾を翻しながら颯爽とヘイヴンの街を闊歩した。俺は革張りの鞄を持って、後ろに付き従う。アデュレイは寒さを気にしないようだ。


 いや、たとえ凍死寸前でも着膨れて見苦しくなるようなことはしないだろうし、飽くまで寒くなさげに振る舞って氷の彫像と化すに違いない。俺が気を配ってやらねば。


「昨夜の集まりは興味深かった。」


 アデュレイは俺を自分の傍らに呼び、歩きながら話し始めた。俺は車道側を歩いて、馬車が捲き起こす土埃からアデュレイを守ることに徹した。


「まず、ブライアン卿は少しばかり厭世観に囚われているようだったね。すでに騎士の称号を得ているし、ルックスも悪くない。ウィットのきいた会話もできる。何でも器用にこなせてしまう人が陥りがちな境地だね。そういう年齢でもある。」


「年寄りみたいなことをおっしゃるんですね。旦那だって、あの手品師と大して年は変わらないでしょ。」


 ブライアンを指して手品師と呼んだのが笑いの琴線に触れたらしく、アデュレイは暫く立ち止まって壁の方を向き、肩を震わせていた。彼が立ち直るのを待たず、俺は追撃しておいた。


「手品師の観察なんかしなくていいんですよ。旦那が注意を払うべき相手は、別にいるでしょ。」


「君の言うとおりだ。」


 アデュレイは笑いを収めて、再び歩き始めた。


「さすが、神職にお就きの方は正論をおっしゃる。」


「申し訳ございませんでした、旦那様。もう口を挟みませんので、どうぞ先をお続けください。」


 アデュレイの嫌味な敬語に、こちらも嫌味な敬語で応じると、アデュレイは機嫌よく相好を崩した。嫌味を言われて喜ぶのはエインディア人の性癖だと思っていたが、アデュレイはエルフェス人であるのに立派に染まっているようだった。


「レディ・プリシラの目には、僕も当初は群がる有象無象と同じに見えていたかも知れないね。しかし、今ではかなり僕に関心を寄せていらっしゃると思うよ。なぜって、僕が魔法使いだから。」


 アデュレイは、藍色の目を明るく輝かせた。


「彼女にとっては、それが大事なことらしい。ともかく、古代遺物流出の一件を解決するのに一役買えば、間違いなく彼女との仲は進展する。」


「楽勝ですね。都内を魔力感知して回ればいいですよ。得意でしょ。」


「無茶を言うものではないよ。」


 アデュレイは眉を顰めた。が、口元には笑みがあった。


 本当にやりかねないな。


 アデュレイが魔力尽きるまで暴走しないよう、見張る必要があるかも知れない。


「興味深いのは、ハーヴィー卿とキース卿の関係だ。どうやら、彼らは対等ではない。支配する者と支配される者の関係が認められた。」


「家格の問題なのでは?」


「それもあるかも知れない。が、それだけではないね。もう少し複雑な感じだ。」


「キース卿は、ずっとビクビクしていましたからね。人の足音にも慄くネズミのように。」


 昨夜の灰色を着た男の様子を思い出しながら、俺は辛辣な表現をした。


「自称詩人に脅されて、ビクビクねずみになってるんじゃないですか。」


 アデュレイは感心しないというように少し首を傾げ、横目で窺うように俺を見た。


「君、ちょっと僕の思い出話を聞いてくれたまえ。」


 唐突に全く異なる話題を振られて、俺は目をしばたたいた。何か口ごもっているうちに、アデュレイは待たずに語り始めた。


「貴族の子弟教育においては、文武両道嗜むのがよいとされる。まだ幼いうちは、何に適性があるかわからないから、ともかく全般的に学ぶわけだ。僕も剣術を学んでいた。」


 アデュレイが剣を振るう。ピンとこないが、乗馬のほかに弓術か剣術は貴族の子弟に求められる基本的な素養なのだろう。


「僕の師匠に付いて学ぶ仲間のなかに、いつもビクビクしている少年がいた。体格はそう悪くないのに、動きが鈍い、型が取れないというので、叱られない日がなかった。怒鳴られても、問い詰められても、彼は縮み上がっているだけだ。終いには師匠も匙を投げたように、半ば無視する場面も多くなった。そのときは、個人指導ではなかったからね。彼のために、他の弟子たちを待たせておくことはできないというわけだ。」


「かわいそうに。」


 俺は、思わず口を挟んだ。


「向き、不向きってものがありますよ。その子は剣を振るのに向いてなかったんだな。」


「そうなんだろうね。」


 アデュレイは頷いた。


「子供は時として残酷だ。彼をいじめようとする者たちもいたが、それに加担せず、たしなめる者たちもいた。僕は後者だった。」


「そうでしょうね。弱い子をいじめるなんて、旦那がそんな格好悪いことをするとは思えない。」


「どうも。」


 アデュレイは俺の感想に対して笑みを向けたが、すぐにその笑みは消えた。


「すると、休憩時間に彼は近づいてきた。そのとき、彼はちっともビクビクしていなかった。自分を食事に誘ってくれと言うんだ。どうやら、自分を責めない人はもう親しい友達だというくらいの距離感だったんだ。驚いたが、家の者に無断で誰かを食事に呼べる立場でもなかったので、そう言って断った。そうすると、君は案外ケチだね、とこう言うんだ。」


 これは意外な展開だった。よほど親しい相手に対する軽口でもなければ、面と向かって誰かにそのような失礼な発言はしないだろう。集団のなかで権力を持たぬ弱い者は、特に。


「そして、彼は師匠や弟子仲間の悪口を言い始めた。愚痴をこぼしたいというなら、聴いてあげたんだがね。単なる悪口に収まらず、彼は師匠の特別な秘密を教えてあげるというんだよ。不名誉な秘密だ。妻以外の女性と親しくしている、といったような。」


「はっ? 何ですか、そのマセたガキは!」


 思わず、俺まで下品な相槌を打ってしまった。


「僕は終いまで聴かず、強くたしなめた。話が広まったとき、僕がその話を広めた張本人にされたのでは、かなわないからね。そのような話を続けるなら、もう君と口をきくことはないと僕が言うと…、」


 言いさして、アデュレイは問いかけるように俺の目を見詰めた。


「どうなったと思う?」


「えっ。どうなった、って。」


 俺は咄嗟に考えを巡らせた。


「相手は不機嫌になった? ノリが悪い奴だとか、つまらない奴だとかいって。」


「普通の友人関係なら、そういう反応だろうね。もしくは、反省したと述べて同調するか。」


 アデュレイは首を振った。


「しかし、彼の反応はそうではなかった。彼は急に縮み上がり、ビクビクし始めたんだ。僕に殴り掛かられたかのように顔を庇いさえしたから、はたから見ていると僕が彼をいじめているように見えたかも知れない。」


「何ですか、それ。」


「つまり、彼は小心者なのではない。狡猾なパフォーマーだったのだ。」


 アデュレイは締め括った。


「人の振る舞いや言動には一貫性がある。小心者は、一貫して小心だからこそ、本当に心を許した相手以外には、休むことなく緊張し続けるのだ。あからさまに矛盾が認められる場合、そこには何かの目的が隠されている。偽りは、歪みのなかにあるのだよ。」


「その子がビクビクしていたのは演技だったってことですか。」


「まあ、そういうことだ。僕が立ち去るときに振り向くと、彼はビクビクするのをやめて、細めた目でこちらを窺っていた。ビクビクするのは、メッセージなんだ。僕はそれをしたくないです、僕は僕のしたいことだけします、だから僕を放っておいてください、という。」


 俺は考え込んだ。何の話をしている途中で、アデュレイはこの昔話を始めたのか。


「じゃあ、ビクビクねずみの旦那も?」


「よく考えてごらん。キース卿は、皆に強く勧められても占いを拒んだ。自分が占いをしたくないから、その意思を押し通したんだ。気弱な人間が、そのように自分の意見を貫けるだろうか。本当の小心者であれば、親分格の人物から勧められれば、いやいやながらでも付き合うんじゃないか?」


 確かに、よほどの事でない限り、いやだと拒否するより適当に従っておく方が目立たず楽かも知れない。


「また、キース卿は閉会にあたって、レディ・プリシラにろくなあいさつもせずに姿を消した。相手は辺境伯だぞ? ふてぶてしいのか、愚かなのか。」


「愚かの方では?」


「煎じ詰めれば、そういうことになるかも知れないが。彼をずっと観察して得た結論としては、恐らく内心彼は我々を見下しているということだ。」


 見下している? 周囲を見下している人間が、ビクビクした態度を取っていたのか?


 どうにも腑に落ちなかった。


「リー・リー!」


 急に、前方を見据えたまま、アデュレイが俺の肩を叩いた。もう一方の手で握っているステッキのトップの方で、注視している物を指し示す。


 会話しながら歩くうちに、すでにベル・ストリートに入っていた。美しく舗装された街路を挟んで、ほぼ同じ高さの建物が向かい合って並んでいる。歴史のあるストリートであるから、四角い石をしっかりと積み上げ、頑丈に築いた古い建築物もあるが、誇らしげに瀟洒な装飾を用いた破風板を正面に取り付けた真新しい建築物も多々見受けられる。


 そのうちの一軒、古物商の前に人だかりができていた。アデュレイは遠くから目敏くこれを見つけ、俺に伝えたのだ。


「見たまえ、リー・リー。事件だ。」


 重々しく、そう告げた。


 それは、今から野次馬になるぞという宣言に相違なかった。

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