26 新しい年

 珍しく今夜は外出の予定が入っていないので、アデュレイはゆったりした室内着をまとい、毛で内張りされたスリッパを履いていた。手に持った便箋をこれ見よがしに掲げながら、


「年越しをグレイモアハウスで過ごすのは中止、計画変更だ。」


 眼を輝かせて宣言すると、改めて俺の手元に目を遣った。


「一体、いつまで銀器を磨くつもりだ? 磨く前と今とで重さを比べてみるといい。二、三グラム、すり減っているのでは?」


「これほど、旦那がしわんぼうだとは思いませんでしたよ。」


 俺は呆れてクロスを放り出した。


「わかりました、銀器が黒ずんで味のある色合いになるまで放っておきます。」


「気分を壊してしまったようだね。失敬。今のジョークは落第点だ。」


 アデュレイはわざとらしく片手で口を押さえて反省しているふりをすると、すぐに手紙を突き出して話を再開した。


「さっき、レディ・プリシラから手紙が届いたろう? そこでビッグ・ニュースだ。今から聞かせるからね。ハーティーも聞くといい。」


 俺の隣席にも頷きかけて、こちらがどうぞともいいやとも言わないうちに読み始めた。


「年越しはどちらでお過ごしになるご予定ですか、と書いてある!」


 そう言って便箋を胸に押し当て、俺たちの反応を見る。


 この調子で、一文一文に大きなアクションが入るのだろうか。全て読み終わるのはいつになるだろう?


「先日の集まりでは楽しい話題をご提供することができませんでしたから、よろしければ年越しをボウ・ハウスでお過ごしになりませんか。わたくしどものお祝いの席に、ぜひご参加いただきたく存じます。このように差し迫った時期にこのようなお誘いをして、人気者のアデュレイ卿にはすでに先約がおありかも知れませんね。その場合は、年が明けてから新年会にお招きしますので、どうぞご遠慮なくおっしゃってください。」


 ちらちらとこちらの反応を見ながら読み上げると、アデュレイはうっとりと溜息をついて首を振った。


「ボウ・ハウスで年越しだなんて。前回、ボウ・ハウスをお訪ねする好機を逃したからね。もしかして、それもあってお気遣いくださったのかも知れないね。」


 アデュレイは、不意に俺を見た。やや顎を持ち上げて、なぜか勝ち誇ったような顔になり、


「そうだとすると、前回の訪問を君に譲ったのは正解だったね。レディ・エリザの説得を引き受けてくれて、どうもありがとう。まあ、説得はできなかったようだけれども?」


 喉声で笑いながら、軽く首を傾げてみせた。


 今、このとき、俺は以前アデュレイが言っていた「笑いは攻撃性を含む」ということの意味を瞬時に理解した!


「お言葉ですが、旦那。」


 俺も、尖った犬歯を見せるようにして笑いながら返した。

 

「たとえ旦那であっても、レディ・エリザに手綱を付けることはできなかったと思いますぜ? 兄君でも無理でしょ! ああ、でも、俺が駆け付けたってことでレディ・プリシラに感謝されましたね。俺なんぞにも礼を尽くされて、本当に素晴らしい方ですね! リー・リー、今度はまたゆっくりしたときにいらっしゃってねって言われたんです。」


「ふん、社交辞令でも言うからね。」


「そんな方じゃありません。」


「君を派遣したのは僕だ。そのことについての感謝の言葉も、ここに記されている。」


 アデュレイは力を持つ古代のスクロールか何かのように手に持つ便箋を突きつけ、もったいぶった調子で読み上げた。


「レディ・エリザの説得のためにリー・リーを寄越してくださったことについて、お礼を申し上げなくてはなりません。その節は、本当にありがとうございました。ライオス卿からお預かりした大切なご令嬢に何かあったら、お詫びのしようもございませんから、途方に暮れた次第でございました。」


 読み終えて、得意げな笑みを浮かべる。


「つまり、この件も僕の手柄だ。」


「それじゃあ、俺に感謝してくださいよ。」


「うん? さっきもお礼を言ったと思うけれど、それではもう一度お礼を言うとしよう。」


 アデュレイは便箋を持ったまま、右足を引いて左腕を腹部に当て、完璧な身ごなしでお辞儀した。動きだけ見ていると、室内着でうろうろしている人ではなく、舞踏会に出席している貴族そのもののようであった。


「我が忠実なる従者、リー・リーよ。どうもありがとう。」


 礼を言われて、背筋がむず痒くなるとは思わなかった。余計なことを言わなければよかった。


「や、もういいですよ。」


 俺は急いで立ち上がった。


「まあ、よかったじゃないですか。ボウ・ハウスの滞在客として招待されるというのは、旦那の悲願だったでしょ。こうも早く、野望が果たされるとはね。」


 これを聞いてアデュレイは莞爾として笑み、


「うん、うん。」


 と、何度も頷いた。


「グレイモアハウスの方に先に招待されていましたが、事情が事情だから、ライオス卿やレディ・エリザもわかってくださるんじゃないですか。グレイモアハウスの方を断ったとしても、丁重にお詫びするなら、角が立つことはないでしょう。」


「うん、うん。」


 アデュレイはうれしげに頷いた。そして、少し俺の方に歩み寄ると、秘密の相談をするときのように、頭に頭を寄せてきた。


「そこでだ、リー・リー。君は明日にでもライオス卿をお訪ねして腰でも揉んで、お詫び申し上げてくれないか? 僕の名代として、事情を詳しく説明してさしあげるのだ。やってくれるね?」


 何ということだ!


 俺はアデュレイの悪辣さに目を剥いた。


 ライオスが俺の癒しの技に目がないのをいいことに、それでごまかそうとしている!


 俺がまだ承知しましたとも、ふざけるなとも言わないうちに、アデュレイは素早く話題を変えた。このパターンで応戦を封じられるのは、今日初めてではない。


 「そうそう、ハーヴィー卿の話だが、」


 思いがけない名前を聞いて、つい、俺も開きかけていた口を閉じた。


 国際倶楽部のあの夜、タータンのジュストコールに身を包んで現れた、黒みがかった銀髪の青年の姿を思い出した。へたくそな詩を聴かされて辟易したのも遠い日の出来事のように思える。今となっては、自称詩人だなどといって彼を揶揄する気持ちにはなれない。


「ブライアン卿の口利きで、光の教団の修道院に入る運びになりそうだと書いてある。聖歌係の楽士に収まるのだそうだ。どこに配置されるかは未定だが、事によると、どこかの地方都市といったところになるかも知れないね。」


「へえ。…」


 意外だった。見栄っ張りに見えたハーヴィーが、そのような地味で堅い職に就くことも辞さないとは。


「聖歌係の楽士って、前職とあまりに畑が違いすぎるんじゃないですか?」


 他人事ながら心配になって口を挟むと、アデュレイは首を横に振った。


「いや。公安の仕事の方が、彼にとっては不本意なものだったようだ。彼はしきりに僕らの前でピアノを弾きたがっていたが、自惚れではなく、本当に楽士並みの腕前だったそうだよ。詩歌も嗜むし、本心をいえば、初めから芸術の道に進みたかったのだろうね。まさか修道院に入りたかったわけではないだろうが、それでも、この結果に本人は満足しているようだよ。」


 詩を詠んだりピアノを弾いたり、そういう方面の活動は父や兄によって制限を受けていたのだろうか。そうだとしたら、今回の一件で彼はくびきから解き放たれたのだともいえる。


 彼はこれから、この地上で最も聖人に近い場所で、聖なる音楽を奏でるのだ。もしかすると、彼が引き当てた〈聖人〉のカードは、こういった未来の可能性について教えてくれていたのかも知れない。


 悪いことばかりではない。いいことも、あった。


 そう思うと、俺は少しばかり慰められた思いだった。


「それから、エラの話だが、…」


 アデュレイは表情を引き締め、真顔になった。


「エラのお父上のダニエル・イーシュと、ご友人のペリー・カーチスについては、傭兵ながら忠義心厚く、命をかけて盗人を諫めようとしたものとして功績を称え、すでに故人ではあるが両名とも雇われの傭兵の身分から格上げして家門の兵として扱うそうだ。ペリーに妻子はいなかったようだが、近しい親族がいないか調べて、もし見つかるようだったら慰労金を払う準備もあるとのことだ。」


「そいつはよかった。」


 名誉が回復される。それに、エラにも慰労金が出るだろう。何とかして、この話をエラに伝えたいものだ。


「春になって気候が穏やかになってから、現場の崖下も捜索してみるとのことだが、なかなか危険な場所のようだから、何か見つかるかどうかはわからない。遺品の一つでも出てくるといいね。」


「旦那、…」


 ためらい、いったん唇を噛んだが、思い切って尋ねた。


「エラは、親父さんの殺されるところを目撃したんですかね?」


「うん? うーん。…」


 アデュレイは、もはや読んでもいないだろう手紙に視線を落とし、それから俺を見上げた。


「彼女の発言からすると、そう受け取れるけれども。もしかすると、月都の門を潜ったのかも知れないよね?」


 月都とは、月の女神の信徒が死後に迎え入れられるとされている地だ。満月の夜に月都の門が開き、時空を超えて死者とつながることができると、一部の信徒は信じている。


 それは、飽くまで夢物語だ。失った人を慕う気持ちが紡ぎあげ、傷ついた心を慰める優しい伝承。


「旦那がそんなことをおっしゃるなんてね。理性で魔法を律する魔法使いのくせに。」


「魔法使いが論理的一義性しか要しないなど、誰が決めた? 僕は、コスモロジーやシンボリズムも学んだよ? 新時代の魔法使いと呼んでくれたまえ。」


 何を言っているんだ? 寝言だろうか。さっぱりわからない!


「まあ、ともかく年越しをボウ・ハウスで過ごす支度を整えなくっちゃならないですね。」


「衣装も変えた方がいいかも知れない。」


「はあっ? 年越し用と、新年用で、新しく誂えたでしょ! 忘れちまったんですか?」


「それは、グレイモアハウスで過ごすつもりで誂えたものだろう?」


 アデュレイは両手を腰に構え、胸を反らせて、俺に対峙した。


「ボウ・ハウスで過ごすつもりで誂えていない!」


「年末まで残り何日だと思ってるんですか! 仕立て屋を過労死させたいんですか?」


 そのとき、ノッカーが打ち鳴らされる音が聞こえた。俺は玄関に向かいながらも、


「今から新しく誂えるのは、日程からみて無理ですからね! む・り!」


 しっかり釘を刺しておいた。さらに一度、足を止めて振り向くと、


「ハーティー! 聴くなよ? 無理難題を聴く必要はないんだから!」


 とどめにもう一本、太い釘を刺して再び足を急がせた。


 玄関に応対に出ると、訪問者は、いつも敷地内のミューズ(馬車を通すための路地)の辺りで小さな頼まれ事を引き受けて回っては小銭を稼いでいる少年だった。彼の伝言を聞いて、俺はすぐに食堂室に取って返した。


「旦那様! ちゃんとした服を着てください! 今から面接です!」


「何だって?」


 手持ち無沙汰だったのだろう、立ったままシルバーポットを適当に磨いていたアデュレイがこちらに顔を向けると、困惑したように眉根を寄せた。


「面接? 何の?」


「新しい使用人ですよ! メイドが必要だって、おっしゃってたでしょ!」


 俺は急いで玄関に戻り、少年に多めの白銅貨を握らせた。少年は笑顔を見せた。


 若くて、占いができて、弓の名手で、曲がったことの嫌いなメイドが求人に応募してきたのだ! このような逸材を採用するチャンスを逃すなど、あってはならない。


「さあ、応募者を迎えに行こうぜ。旦那様が雇わないんだったら、俺が助手に雇ってやるさ!」


 息巻いて、俺はエディーラ・イーシュを迎えに走った。少年も、俺の隣に付いて走った。自然に、笑みがこぼれ出た。


 俺は確信した。


 ――新年は、いい年になる!



『魔法使い探偵アデュレイ ―月都の門―』 完

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魔法使い探偵アデュレイ ―月都の門― 藤原 百家 @Hyakka_Fujiwara

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