16 詐欺師の微笑

 ご婦人方の前でいきなり俺に話題を振って困らせてきたアデュレイに、「旦那なら探索の魔法を編み出すくらい簡単なこと」と持ち上げることで、多少は汗をかいてもらおうというくらいの気持ちだった。そのような単純な考えを抱いたあのときの自分を、地下の貯蔵庫に呼び出して張り回してやりたい気分だ。


 今、俺は別室から書斎に丸椅子を持ち込んで座らされ、アデュレイの話を聞かされていた。


 深夜である。明け方もそう遠くない。しかし、苦みの強いショコラとアプリコット風味の硬めのマカロンでエナジーを補給したアデュレイは、どうもますます活き活きしてきたようだ。


「さっきの続きだが、…」


 紙面には、「ベル・ストリートの古物商」という言葉が書き足され、その下にツタの葉が描かれていた。ショコラを待っている間、暇だったのか、丁寧に葉脈も描き込まれている。


「ジェイムズの台帳に、黄金のツタ飾りの加工依頼についての記録があった。日記との照合により、これがキース卿、即ちハリー・ヘイズの依頼であることは明らかだ。」


 アデュレイは丁寧に描かれたツタの葉の絵の横に、「K男爵=ハリー・ヘイズ」と書き込み、さらに「亡くなった友人たちとともに購入した記念の品」と書き加えた。


「すると、直近でツタの葉を持っていたのはハリー・ヘイズであるから、誓言を交わした三名はハリー・ヘイズ、ペリー・カーチス、ダニエル・イーシュの三名である可能性が非常に高い。誓言を交わした三名と、これを購入した三名が別人という可能性については、…」


 アデュレイは「ベル・ストリートの古物商」のツタの葉を丸で囲み、次に「誓い」という文字の下のツタの葉を丸で囲んだ。さらに、「メッセージカード・裁判の女神」の女神の天秤に描かれたツタの葉も丸で囲んだ。


「極めて低い。エラのメッセージカードにも、ハリー・ヘイズ、ペリー・カーチス、ダニエル・イーシュはツタの葉と関係のある三人組であることが示されているからだ。そしてエラは、彼らの関係性について、裁判の女神に公正な裁きを求めているように思える。彼女はこれらの人名を銘肝し、必ず裁くという決意のもとにそのカードを持ち歩いていたのだろうから。」


「それなら、旦那、ペリーって人と、ダニエルって人はもう死んでいるってことですか。」


 俺は眉を顰めて尋ねた。


「亡くなった友人たち、って彼らのことなのでは?」


「そのように考えられるね。三人で古代遺物を持ち逃げしたことになっているのに、二人は死んでおり、ハリー・ヘイズだけがキースと名を変えて古代遺物を売りさばこうとしていたわけだ。そして、そのようなハリー・ヘイズをエラが裏切り者と示唆している…。明らかに、この件のキー・パーソンはエラだ。」


 アデュレイは机上に左肘を突き、左手で頭を支えながら、紙面を見下ろしていたが、


「あの、国際倶楽部の夜の出来事を覚えているか?」


 目だけ動かして俺に尋ねた。


「ティーパーティーが始まってからごく早いうちに、キース卿は帯飾りをレディ・プリシラとレディ・エリザに贈った。エラが入室してきたのはその後だ。そのとき、キース卿は驚きの感情を露にした。また、エラとキース卿は鋭く視線を交わすこともあった。ごく一瞬だけどね。彼らは顔見知りだったのだ。そうしてみると、キース卿に関する占い結果は、単にタローカードの意味を読み上げているのではなく、あの二人の間でだけ通じる内容を語っていたとも考えられる。」


「キース卿の占い結果というと、…」


 記憶のなかで、エラの声が蘇る。


――〈塔〉のカードは、親しき者の裏切りを告げています。


――裏切り者の末路が破滅なのです。


――安全を得るには、真の味方たる誠実な友を大事にすることです。


「頻りに、裏切り者の破滅を告げていましたね。」


「そう。それらの言葉は、キース卿には我々が聞くのと違う意味に聞こえていたに違いないのだ。」


「今までの話を聞いていると、そこまで頭の悪い奴がいるのかって思ってしまいますよ。」


 俺は呆れて感想を述べた。


「だって、キース卿は自分が盗みを働いた領主のサロンにのこのこやって来ているわけでしょ。断れなかったからなんですけれども。そこはもう階段からわざと飛び降りて怪我をしてでも、断ればよかったんでしょうに。古代遺物なんぞを手土産にして、嘗めきってますよね!」


「あの場にエラが登場しなければ、全てが秘し隠されたままだった。少なくとも、グロスター伯爵が失脚しない限りは、彼は安泰だったのだよ。嘗めきっている、と君は言ったね。そう、それが嘘つきの特徴だ。時に、嘘つきはギャンブラーのような興奮を覚える。自分の嘘を人々が信じ切っているのをみて、自分だけが真実を知っている、自分こそがこの場を支配しているという快感を得るのだ。そして嘘がばれそうになって、それでもばれなかったとき、勝利者の優越感に浸るのだ。」


 アデュレイは机上に肘を突いて両手を組み合わせ、それを顎の下に当てた。


「僕が詐欺師の微笑と呼んでいる表情があるのだ。こういうような。」


 そう言うと、彼らしくない笑みを浮かべた。何かを警戒するような、こちらを探るような、すっきりしないものを湛えた目つきで俺を見ながらも口角が上がり、笑みを形作る。


 俺はすぐに応じた。


「いやな笑い方。」


「他に言いようはないのか?」


「悪い笑顔。」


「センスというものが皆無だな!」


「したり顔。」


「まあ、そうだね。」


「してやったりスマイル。」


「今までのなかで一番ましだ。よろしい、採用しよう。」


 アデュレイは降参するように両手を上げた。


「嘘つきというものは、どういうわけか、自分の嘘に皆がだまされたと確信したときに、この笑みを出してくるのだ。たぶん、自分では笑っているつもりはない。無意識に出てくるのだよ。」


「してやったり、とスマイルが出るんですね。」


「そうなのだが、人の心というものは複雑だ。実は、嘘がばれそうなときにもこれが出る。」


「ええ? それはおかしいじゃないですか。嘘がばれたら自分が困るんでしょ。笑っている場合じゃないでしょうよ。」


「それが正論だ。だが、話の矛盾点を追及されて、嘘つきなのではないかと疑いを向けられたときにも、この笑いが出ることがある。どういう心理なのだろうな。笑いというものの根源が攻撃性なのだとすると、だましが成功しそうなときの笑みは周囲へのマウンティングで、だましが失敗しそうなときの笑みは反射的な防御なのかも知れない。」


「笑いが攻撃?」


「考え方はそれぞれだけれどもね。」


 アデュレイは苦笑した。


「それで、キース卿もこのような笑みを出してきたのだ。どのタイミングでだと思う?」


「ええ?」


 正直なところ、国際倶楽部のあの夜、キースにはほとんど注意を払っていなかった。アデュレイがプリシラの好意を勝ち取ることができるか、そればかり気にしていたのだから。


「最初から最後まで、ビクビクして卑屈な笑みを浮かべていたように思いますけど?」


「まあ、それもそうなのだが。」


 俺にはクイズに参加するつもりがないと見て取ったか、アデュレイはあっさり解答に移った。


「ハーヴィー卿が例の帯飾りを手に取って眺め、これに魔法が付いているのかと尋ねたときだ。大げさにそれを否定しながらも、キース卿の顔には詐欺師の微笑…、君が言うところの、してやったりスマイルが浮かんだ。彼にとっては、魔法の付いた古代遺物の話題は絶対に避けなくてはならないものだった。その大きなピンチが迫ったとき、してやったりスマイルが出たのだ。」


 ふと、アデュレイは俺から視線を逸らして、どこか自分の内奥を見詰めるような表情を見せた。


「本当に、人の心は複雑だ。こういう表情が出たから、あるいはこういう仕草があったから、彼は嘘つきなのですよというような単純明快な正解はない。ただ、その人が普段はしないような表情や言葉遣い、状況にふさわしくない仕草や言葉の選択、総じて不可解な矛盾というべきものが複数発生したなら、その矛盾の塊が何に反応して生まれ出てきたのかを見極める必要がある。そうすると、その人が嘘をついているのかどうか、嘘をついているとするとその焦点は何なのかということが見えてくる。」


 無意識に表に漏れ出てくるものだとしたら、自らそれをコントロールするのは至難の業だろう。四六時中、自分の表情や振る舞いを制御し続けるなど、訓練を受けた舞台役者にとっても骨の折れることではあるまいか。


 これは、全くもって他人事ではない。俺自身、他人に知られてはならない致命的な秘密を抱えているのだ。


 俺は、霊的に魔王と融合してしまっている。アデュレイはこの恐ろしい事実を知っていてなお俺を傍に置いているという変人だが、受け容れがたいと感じる人の方が大多数だろう。誰かに知られでもしたら、ヘイヴンはおろか、この国にはいられない。それどころか、大陸にいられなくなるかも知れない。


「前置きが長くなったが、」


 アデュレイは厳かに告げた。


「検討したいのは、三つめのツタ飾りを持っているのがハリー・ヘイズだという君の意見が、果たして正しいのかどうかという点だ。」


「いや、別に断言したわけじゃあないですよ。」


 俺は慌てて否定した。


「他に方法がないなら、その可能性も考えてはどうかって言っただけで。」


「エラが、ペリー・カーチスかダニエル・イーシュの関係者だという可能性が大いにある。だから、三つめを持っているのはエラかも知れないよ? 賭けてみるかい?」


 アデュレイは口の端を吊り上げて笑った。してやったりスマイルでは、なかった。


「ベル・ストリートの古物商殺人事件では、殺人に使用された凶器が北方の傭兵の支給品だったろう? その上、傷口から判断して殺しに慣れた男の犯行と思われたため、他の諸々の現場証拠からみてもキース卿の犯行だろうと予想されたが、その実、凶器はすり替えられた物だ。ハリー・ヘイズの犯行であるとの印象を強めたい何者かによって、すり替えが行われたのだ。」


 あの殺人事件には目撃者がいたということか。


 しかし、その人物は官憲に訴え出ずに、ハリー・ヘイズに疑いの目が向く工作だけを行ったのだ。


「ハリー・ヘイズを捕縛させたいのか? させたくないのか?」


 俺が呟くと、アデュレイは微苦笑を浮かべた。


「裏切り者を破滅に追い込むまで、じわじわ攻めていくつもりと見えるね。」


 それを聞いて、何だか居心地が悪くなった。


 この先に悲劇が待ち受けているような気がして、急に気が滅入ったからだった。

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