15 お籠もり部屋

 エインディア北部に領地を持つ領主の大半は、寒さの厳しい冬季、各々の領地を離れ、首都ヘイヴンのタウンハウスで過ごす。このうち、ヘイヴンにも土地を所有する有力者は、ライオスのグレイモアハウスや、プリシラのボウ・ハウスに代表されるような、優雅な名前を冠した屋敷を構えているのであるが、当然、ひとたびこういった不動産を所有してしまうと、社交シーズンが終わった後も人を置いて維持・管理しなくてはならなくなる。


 ゆえに、初期費用を抑えるため、必要最小限の面積に三階か四階まである縦長の建物を置き、そこで社交シーズンを過ごすという貴族も多い。


 さらに、独自の庭園スペースを持つことも省きたい人々のために、テラスハウスがある。ほぼ真四角の庭園エリアを囲むように、似たような建築様式のテラスハウスが整然と並ぶというのが典型的な景観であり、この庭園をこのスクエアに居住する者たちで共有するのである。庭園は、このスクエアの所有者が管理する。


 アデュレイは、スノーデン・スクエアのテラスハウスのひとつを借りて滞在している。スノーデン・スクエアという名称からわかるとおり、ベル・ストリート至近という好条件のこの土地を所有するのはスノーデン伯爵、即ちライオスだ。


 アデュレイが自宅に客を招くことは滅多になく、三階の広々したサロンを自分だけのリビング・ルームのように使っているが、昨日、ボウ・ハウスから帰ってきた後は一歩もサロンに足を踏み入れていない。書斎に閉じ籠もっているのだ。


 この書斎は、アデュレイが調べ物や作文をするときに利用するので、俺は密かに「お籠もり部屋」という別名を付けている。何時間もそこで調べ物をした後、倒れ込むように寝るのに便利なように、わざわざ主寝室の続きに設けられているのであるが、どうも寝室で休んだ形跡もない。


 まだ日も出ていない早朝というべきか、夜明けを控えた深夜というべきか、どちらの表現をするか悩むような時間帯に呼ばれて、紅茶ではなく甘さを抑えた熱いショコラを持ってくるよう命じられたときは、さすがに俺も、


「少しばかり横になった方がよくはないですか。」


 と、勧めた。


 ハーティーは眠る必要のない〈見えざる従者〉だし、俺も何日か徹夜が続く程度のことで心身に異常をきたしはしないが、アデュレイは生身の人間である。魔法使いだからといって、睡眠が不要になるわけではない。


 リネンの寝間着の上にシルクのガウンを引っかけた姿で机に向かっていたアデュレイは、無意識に手の傍に置いてあった茶碗を取り上げて口に運び、それで漸くそれが空であることを思い出したか、嘆かわしげに茶碗の底を見詰めた後、茶碗を元の位置に戻した。


「寝ないよ、まだ。」


 机上に両腕を置き、宣言した。見下ろす視線の先に、畳んだ絹布の上に置かれた黄金の帯飾りがある。プリシラとエリザから借り受けてきた物だ。


「寝るわけにはいかないね。誰かさんが僕に、探索の魔法を短期間で会得しろって課題を出したのだから。」


 誰かさんとはつまり、俺のことだろうか。


「難航している?」


「どうだろうね。ハーティー!」


 アデュレイは少し身体を右に傾げるようにして、俺の背後にある扉に向けて声を上げた。


「どうも君の後輩はショコラを用意するつもりがないようだから、君に頼む! ビターで、熱々で。」


 これはいけない。物言いがどこか刺々しいのは、遅くまで起きているせいではなかろうか。


「旦那、それは…、」


「さて。ショコラが運ばれて来るまで、少し話し相手になりたまえ。」


 アデュレイは俺を遮ってそう言うと、室内を見渡した。


 腰掛けられる場所を探したのだろうが、ここはアデュレイの「お籠もり部屋」であるから、扉のある側を除く三方の壁面を書棚が塞ぎ、アデュレイのための大きな書き物机と椅子のほかに、調度品といえば軽食を置くのに使うオケージョナルテーブルと、書棚に付随した踏み台しかない。窓もないのだ。思考を妨げる無駄な調度品など置く余地はない。


 俺は気を利かせてアデュレイの机に歩み寄った。


「それ、役に立ちますか?」


 ちょうどアデュレイが手元で開いていた魔法書を覗き込んでそう訊くと、彼はページを開いたまま俺の方に押しやった。


「読みたければ読みたまえ、ちっとも面白くない。僕にとってはね。まあ、これはさて置き、根本的な問題として、そもそも三つめのツタを追うことが本当に最善であるかどうかを考えてみよう。」


 アデュレイは、引き出しから白紙を取り出し、「黄金のツタ飾りから読み取れる状況」と書き付けた。


「黄金のツタ飾りは古代遺物のパーツ、つまり、まあ、古代遺物だ。光の教団による鑑定を受けた魔法的痕跡があるから、魔導師が魔法の付加なしと判定した後、鑑定書を付けて売りに出した物だろう。魔法が付いていなくても、鑑定書の付いた古代遺物には骨董品としての価値がある。それを、三人の人物が買った。三人がそれぞれ買ったのか、誰かが買って友人に配ったのかはわからないが、ともかく三つのツタ飾りを三人で分け持った。」


 アデュレイは書き込みの横に、器用に三枚葉のツタの葉を描き、その下に三人の小さな人を描いた。


「このツタ飾りには、彼ら三人の誓言が込められている。それは祝福にも似た、ポジティブなエネルギーだ。彼ら三人は友人で、その友情の変わらぬことを、危地にあってもその友情が互いを護ることをこのツタの葉の三枚葉にかけて誓い合ったのだ。」


 アデュレイは、ツタの葉の絵の上に、「誓い」という言葉を書き込んだ。


「ここまでは、ツタ飾りそのものから読み取れることだ。」


 ペンを置いて、指先でツタの葉の絵を軽く叩きながら呟く。


「ツタの葉で思い当たることはもう一つ、エラがレディ・プリシラに渡したカードだ。レディのご成功とご活躍をお祈りするといって渡された。それは即ち、このカードを使って活躍してくれということではあるまいか?」


 アデュレイは再びペンを取って紙の右端に「メッセージカード・裁判の女神」と書き、その下に四角形を描いた。その四角形のなかに苦労して女の人を描いているので、


「旦那…、まさか…、それは裁判の女神マートを描こうとしているので…?」


 恐る恐る尋ねると、気分を害したのか、


「うるさいな。」


 と言って描くのをやめ、その巨大な桜桃にしか見えない天秤らしき物の上に、乱雑にツタの葉を描き足した。


「このツタの葉の三枚葉にそれぞれ人名が書かれていた。ハリー・ヘイズ、ペリー・カーチス、ダニエル・イーシュ。ハリー・ヘイズ以外の二人の名は消されていた。エラが強調したかったのは、ハリー・ヘイズなのだ。」


 アデュレイは俺の顔を見た。


「なぜハリー・ヘイズを強調したかったか、わかるか?」


 俺は、ボウ・ハウスでアデュレイが語った内容を記憶していた。


「なぜって、それは旦那がおっしゃっていたでしょ。エラは入室間際になって室内のメンバーにキース卿が存在することを知った。そして、エラはキース卿こそがハリー・ヘイズであることを知っていた。だけど、室内に飛び込んで、その人の本名はハリー・ヘイズですよって申し立てても、発言を阻まれるかも知れないと考えて、書いた物を渡したんだ。そうなんでしょ?」


「そう、僕がそのように言った。」


 アデュレイは手の中でペンを弄んだ。


「しかし、そうであるからには、エラはハリー・ヘイズがレディ・プリシラと関わりの深い人物であることを初めから知っていたということになる。そうして、実際、そうだった。ハリー・ヘイズ、ペリー・カーチス、ダニエル・イーシュの三名は、契約期間満了前にレディ・プリシラの領内から失踪した者たちだった。同時期に重要な古代遺物の紛失が起きているため、彼らが持ち去ったものと疑われていた。」


「レディ・プリシラは、メッセージを読んでそれを調べるまで、キース卿がハリーだってお気づきにならなかったんですね。」


「それは当然だろう、領内にいったいどれだけの傭兵を雇っていることか。その全員の顔と名前を覚えていられる者など、ベルナルド卿くらいのものだろうよ。」


 アデュレイはまた紙面に文字を書き始めた。さっきからインクを付け足すことなく文字を書き続けている。紙面の文字も速乾で滲むことがない。高価な魔法具なのだろう。


「ツタ飾りに関わる情報源はもう一つある。」


 この話はどこまで続くのだろうか。ハーティスはまだ来ないのか。


 ますます冴え冴えとしてくるアデュレイの様子が少し怖くなってきた。


 俺はちらちらと扉の方をみて、


「ショコラの準備が進んでいるか、見てきますね。軽く摘まめる物もお持ちしますよ。とにかく少し、休みましょう?」


 言い置くと、「お籠もり部屋」から逃げ出した。

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