第25話 やんごとなき諸事情 7
エレンは固唾を飲んだ。ヒビキが口を開く。
「結論から言うが、俺は量子コンピューターを所有していない。が、それを証明する手段もない」
ヒビキのその答えに、エレンは安堵の表情を見せた。
「"ない"ことを証明することは出来ない。それは悪魔の証明だから」
「話が早くて助かる。だがまぁ、悪魔の証明だからといって『無いものは無い』と言い張るだけじゃ、あまりに信憑性にかけるだろう。だから、俺は量子コンピューターなんか必要としていない……ってことを証明したいと思う」
そう言って、ヒビキはエコーシルエットを起動し始めた。エコーシルエットのコックピット内にはやたらと計器やスイッチが多く、ごちゃごちゃとしている。ヒビキは沢山あるスイッチを慣れた手つきで押して行く。
「あぁ、あとそれから。猫宮から聞いたかもしれないが俺は世間ではWOLFと呼ばれているらしい。多方面にハッキングを仕掛けているのは事実だ」
エレンは少し驚いたようだったが、表情は変えなかった。
「隠さないんだ」
「あぁ、だってお前は俺が不正入学者のハッカーだってことを知ってるだろう? ハッキングの現場だって見られた。けどそれを学校に密告しなかった。ならもう隠し事なんて今更だ」
「……私は共犯者?」
「協力者だ」
そう言ってヒビキが起動レバーを引くと、エコーシルエットは静かに起動した。
「"ヴァンガード、エコーシルエット。メンテナンスモードで起動します"」
コックピットのモニターに、エコーシルエットのメインカメラ越しの格納庫が映し出される。ヒビキはエレンに操縦席に座るように促した。
「猫宮からWOLFについてどのくらい聞いている?」
「目的不明の凄腕ハッカー。量子コンピューター持っていなければ、攻撃能力に説明がつかない」
「なるほど……確かに俺は
エレン操縦席についたのを見て、ヒビキは口を開いた。
「動かしてみてくれ」
「試運転の届出を出してないでしょ? 学校に怒られる。……私は別にいいけど」
「届出は必要ない、おそらく動かせないからな」
ヒビキのその言葉にエレンは飛び起き、「むー」と、ヒビキの顔をゼロ距離で睨みつけた。ヒビキは赤面して思わず後ずさり、コックピットの中に頭をぶつける。
「いって……! お、怒るな怒るな!」
「私を誰だと思ってるの、どんなヴァンガードだって動かしてみせる」
エレンはそう言って怒りながら席に戻り、レッドカードを取り出した。ごちゃごちゃした操作盤に外付けで取り付けられた認証装置に、レッドカードをかざす。
「"パイロットID、認証。ヴァンガード エコーシルエット、
その途端、エレンの表情が驚愕に変わった。眉をひそめてエレンは目を瞑る。ヒビキはその様子を見てニヤリと口角を上げた。エレンの額を汗が伝う。
程なくして、エレンはどっと息を吐き出した。呆然として頭を抱え、画面を見つめる。
「っ……!」
エレンは苦虫を噛み潰したような表情をして、ヒビキと目を合わせなかった。エレンのそんな表情を見たことがなかったので、ヒビキは動揺してしまった。
「す、すまない、そんなつもりはなかったんだ」
エレンは顔を真っ赤にして涙目になってヒビキの胸倉に掴みかかった。
「なんだこれは! こんなのヴァンガードじゃない!」
「お、落ち着いてくれ宇佐美、エコーシルエットは第1世代型ヴァンガードなんだ」
ヒビキのその言葉でエレンは呆然と口を開けた。
「……は?」
第1世代型ヴァンガードは、ヴァンガードの黎明期に造られた最初期のヴァンガードで、ヒビキのヘッドホンもこの第1世代型ヴァンガードに分類される。神経共鳴を利用して電気回路のオンとオフを切り替えられるだけの、もっとも単純なヴァンガードだと言えるだろう。その形態はヒビキが使っているようなヘッドホンから、所謂ヴァンガードと呼ばれるような人型巨大兵器まで様々だ。
対して、エレンのパーフェクトムーン等、現在主流になっているヴァンガードは第3世代型ヴァンガードだ。一般的に、ヴァンガードと言えばこの第3世代型を指す。第3世代型ヴァンガードは、文字通り思うがままに『イメージするだけ』で動かせるが、第1世代型ヴァンガードはそうはいかない。
第3世代型ヴァンガードと第1世代型ヴァンガードでは操縦の理屈が全く違う。例えば歩行する場合、第3世代型ヴァンガードでは『歩く』ことを考えるだけで脚が勝手に動いてくれる。しかし第1世代型ヴァンガードの場合はというと、『重心を少し前に倒して、右脚の付け根の6番と8番と15番と18番のモーターを動かして、右膝の3番と9番と15番のモーターを動かして、右足首の4番と8番のモーターを動かして……お、やっと足が上がったぞ!』と、こんな具合で、ヴァンガードを動かすために必要なモーターなどの全ての電気系統に一つ一つ命令を下していく必要がある(これでも簡略化している)。人間に例えて言うなら、全ての筋肉の筋線維一本一本にいちいち命令をするようなものだ。動かせるわけが無い。
このように、人型の第1世代型ヴァンガードは、操縦不可能なロマンの産物なのだ。しかしそんな第1世代型ヴァンガードにも明確なメリットがある。第3世代型にあるような『人型縛り』がないという点だ。第3世代型ヴァンガードは、人型とかけ離れた形にすると、操縦者の脳の負担が大きすぎて操縦できなくなるため必ず人型にしなければならないという縛りがあるが、第1世代型ヴァンガードにはそのような縛りはなく、ヒビキが使うようなヘッドホンなどの形態を取ることができる。
「ありえない! 人型の第1世代型ヴァンガードなんて動かせる訳が無い! 人間の脳じゃ情報処理が追いつかない!」
エレンは柄にもなく叫んだ。
「そうだ、だからこのエコーシルエットは大抵の人間には操縦出来ない……というより、俺にしか操縦できないんだ……だからその、操縦できなかったからといって深刻に受け止める必要は無い。操縦の腕前は、俺なんかよりお前の方がずっとずっと優秀なんだから」
エレンは腑に落ちないと言った様子でしぶしぶ手を離した。
「信じられない……何百個ものサーボモータの回転数とトルクを全てたった1人で遅滞なく制御するなんて、人間業じゃない」
「7821946×8546398は?」
「は?」
「答えは66849463650508だ。暗記じゃないぞ、今暗算したんだ」
そんなことを言うヒビキの真意を察して、エレンは操縦席にどっと座り込んだ。
「……ヒビキ、君にはパソコンなんか必要ないんだね。……第1世代型ヴァンガードを操縦できるのも納得」
大神ヒビキの才能。それは人間離れした計算能力であった。情報処理能力という方が正確かもしれない。
「そうだ。もっとも、人型巨大ロボットの動作制御やちょっとした計算程度なら普通のコンピューターで何とかなるから、これは俺が普通のコンピューターを必要としない証明にはなっても量子コンピューターを必要としない証明にはならない。量子コンピューターを必要としない証明には……そうだな、巨大な素数を持った巨大な数の因数分解をしてみせるのが1番いいんだが、何か例題を出してくれないか?」
エレンは「いや、もう十分わかった」と呆れてため息をついた。
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