第10話 望月と遠吠え 5

「一気に飲むな。吐き気がしたらすぐに言うんだ」


「あぁ、すまない……」


 蝉の声が響く道場で、ヒビキと朱雀は医務の先生を待っていた。ヒビキはペットボトルの水を2口飲んで横になる。


「全く、なんでそんな無茶を。体調管理すら出来ないなんて、操縦士失格だ」


「はは、手厳しい……」


「返事はしなくていい、独り言だ。休んでろ」


 ヒビキは横たわったまま目を閉じていたが、しばらくしておもむろに口を開いた。


「俺には、宇佐美のことが分からない。分からないが、あいつの信頼のようなものを損なった気がしたんだ」


「無茶をした理由か」


「信頼を取り戻すには誠意を行動で示すしかないだろう」


「それで二徹か」


「そうだ」


 朱雀はヒビキの方へ見向きもせずに外を睨んだ。


「卑怯者。おまけに馬鹿だ。丸二日も何をしていたのか知らんが、下手すれば逆効果だぞ」


「……そうだな」


 ヒビキが苦笑いしたその時、ヒビキのスマホから警報音が鳴った。


◆◇◆


「そうか、連絡ありがとう。すぐに錬武館に向かうよ」


「よろしくお願いします」


 サクラは医務室を後にすると、そのまま女子寮に向かった。サクラは寮生では無いので寮への立ち入りは許されていない、しかし何故か歩みは止まらなかった。ただ何となく、エレンに一言言ってややりたくて仕方なかったのだ。


 廊下を進み、宇佐美エレンのネームプレートがかかったドアの前で立ち止まる。サクラはノックもせずにドアを開けた。鍵は掛かっていなかった。


 エレンの部屋は典型的な汚部屋だった。カップ麺のゴミとお菓子の空き箱と大量の空き缶。下着も含めたありとあらゆる服が脱ぎ散らかされている。エアコンの効かせ過ぎで、部屋は真冬のようだ。にもかかわらず、当のエレンはベッドの上でTシャツ1枚ですやすやと寝ている。しかし、サクラの目を引いたのはそのどれでもなかった。


 天井からぶら下がるサンドバッグ。いや、より正確には『サンドバッグだったもの』だ。ズタボロに破壊され、中に詰められていたボロ布が溢れ出て山を作っている。サクラは思わず固唾を飲んだ。


「汗臭い、帰って」


 いつの間にか起きていたエレンは、ベッドに寝たまま目も開けずにそう言い放った。


「……大神ヒビキが倒れた」


 サクラのその言葉を聞いた途端、エレンはまるで板バネが弾けたように飛び起き、あっという間にサクラに肉迫し、道着の胸ぐらを掴みあげた。


「どこで! なんで!」


 エレンの表情は、怒りというより恐怖に近い。サクラは淡々と答えた。


「錬武館で、あんたのせいで」


「馬鹿を言うな! お前が何かしたんだろ!」


 よく喋る。サクラはそう思った。これがあの普段眠そうな宇佐美エレンと同一人物なのだ。にわかには信じがたい。


「……ねぇ、あんたなんで大神ヒビキと分隊を組んだの?」


「何? そんなの、お前には関係ない」


「クラスの連中が、あんたは面白半分で大神ヒビキと分隊を組んだって言ってたけど……噓なんでしょ?」


「私は……!」


 エレンが何か言いかけたその時、学校中でけたたましいサイレンが鳴り響いた。


◆◇◆


 ヒビキのスマホから警報音がなった直後に、学校中でけたたましいサイレンが鳴り響く。ヒビキは慌てて飛び起き、朱雀から隠すようにしてスマホを見つめた。


『空襲警報。空襲警報。学生の皆さんは、直ちに地下シェルター内に避難してください。これは訓練ではありません。繰り返します────』


 朱雀が立ち上がる。


「空襲警報だと!? 最近物騒だな……! おい大神立てるか? 逃げるぞ!」


 ヒビキはブツブツと何かを呟きながら、スマホを凝視していた。


「航空自衛隊の管制室で警報アラートがなっている……F-35が2機撃墜!?……何かがここに向かってきている……」


「おい大神!」


「……やっぱりだ……! やっぱり何か……この学校に……!」


「大神ヒビキ!」


「うおっ!?」


 朱雀は強引にヒビキを担ぐと、一気に走り出した。あっという間に錬武館の外に出ると、灼熱のアスファルトの上を風のように走る。ヒビキは慌ててスマホの電源を切る。


「ま、待ってくれ! 宇佐美は! 宇佐美はどこにいるんだ!」


「知るか! シェルターの中で会えるだろ! 口閉じてないと舌嚙むぞ!」


「それじゃダメだ! 宇佐美は大人しくシェルターに入るようなヤツじゃない! 離せ!」


 ヒビキは暴れて、半ば転げ落ちるように朱雀から離れた。サイレンの鳴り響く夏空の下で、ヒビキと朱雀は向かい合う。


「宇佐美は……エレンは! バール1本でヴァンガード隊に突撃していくようなヤツだ! 緊急事態でじっとしてられる性分じゃないんだよ! エレンを探さないと……!」


 そう言ってシェルターと反対方向にフラフラと歩き出すヒビキを見て、朱雀は大きくため息をついた。そして、背後からヒビキの首を締めあげた。腕で頸動脈を圧迫するスリーパーホールドという絞め技だ。


「っ……何を!?」


「悪いな……ほっといたら干からびて死にそうな奴を緊急事態の真っ最中に野放しにできるほどロクでなしじゃないんだ……! ちょっと寝てろ……!」


「く……そ……」


 ヒビキが気を失ったのを確認すると、朱雀は拘束を解いた。そしてヒビキを背負うとそのままシェルターの方へ走っていった。

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