第7話 望月と遠吠え 2

 宇佐美エレンの言動には知性を感じないように見受けられるが実際にはそんなことはなく、ただ頭がおかしいだけというのが大神ヒビキの暫定的な結論であった。これで人のことを『学校で1番頭がおかしい』なんて言うのだから失礼極まりない。


「……なんで、断ったんだ?」


 そこまで聞いておいて、ヒビキは自分の問いかけが無意味であることに気づいた、何故なら理由は明白で────


「ん? 面白いから」


「ですよねー」


◆◇◆


 セミの声の濁流。部屋に帰ってきたヒビキは、紙を広げて眉間に皺を寄せていた。さも当然のように部屋に居座るエレンは、例のごとく顔パスで召喚したジェラートをうまうまと頬張る。


「あの宇佐美さん、なんで当たり前のように部屋に居るんですかね」


「ひまだから」

 

「ひまってそんな……男子寮に女子を連れ込んでるなんて知られたらこっちは退学なんだよ! わかる? ねぇウサミンわかる!?」


「わかんなーい、うさみんわかんなーい」


 けらけらと楽しげに笑うエレン。言っても聞かない、力ずくでの排除は論外、ならばもう受け入れるしかないと、ヒビキは再び紙に向かう。


 紙に書かれた簡易的なカレンダー。カレンダーは、夏休みの終わり、ひいては分隊演習の開始まであと10日もないという不都合な真実をヒビキに突きつけていた。


「10日で……2機」


「無理そ?」


 ヒビキが声の方へ振り向くと、エレンはまた勝手にヒビキのベッドでゴロゴロとくつろいでいた。ため息混じりの声を零すヒビキ。


「お前、ホントたるんだ生活してるよな。そんなに怠けてるとウサギとカメのウサギみたいになっちまうぞ」


 ヒビキのその言葉でエレンのけらけら笑いがぴたりと止む。


「……カメはウサギに追いつけない」


 現実的だ、ヒビキはそう思った。悲観的ですらある。圧倒的な自信の表れであるその発言は学年最強レッドカードのエレンにしか許されない。だが、"ウサギ"のエレンがなぜそんな顔をするのかヒビキには分からなかった。


「……宇佐美?」


「帰るー」


 ベッドの下に蹴りやっていた靴を取りだしたエレンは、靴を履くなり窓の外へと────


「おいここは3階────!」


 慌てて窓の下を覗き込むヒビキ。ひらり、という言葉が似合う華麗な着地。エレンはそのまま颯爽と歩き去り、ヒビキはその背中をため息混じりに見つめるしか無かった。


「本当に心臓に悪いやつだ、しかし────」


 最後のアレは何だったのだろう。


◆◇◆


  ヴァンガードの整備と一口に言っても、訓練用機を個人向けにチューニングするだけの簡易的なものから、専用機を1から設計するものまで様々だ。クラスメイトを蹴散らすくらいならエレン1人、それも訓練用機で十分そうだが、下手なものをエレンに提供すれば学校からどんな顔をされるかわかったものでは無い。


「学校の超高精度立体出力装置があるから建造は何とかなるけど……設計が問題だな」


 ヒビキは、彼の"やんごとなき諸事情"によりヴァンガードの設計に関する一通りの知識を持っていた。特に、ソフトウェアの設計についてはプロとして十分に食べていける程の実力があった。"ハードウェア"の設計についてはまだ勉強不足な所があったが、他の整備科の生徒に遅れを取るほどではなかった。


 にもかかわらずヒビキの手が止まっていたのは、設計のために必要なデータ、具体的にはエレンの身体測定データが足りなかったからだ。さっきエレンが飛び降りた窓を見るヒビキ。


「肝心な時に部屋に居ない」

 

◆◇◆


 3回目のコールに反応が無かったあたりで、ヒビキは電話をかける意味が無いことを悟った。一体なんのためにRINEを交換したのか。エレンのスマホをハッキングして位置情報を割り出そうとも考えたが、さすがにそれははばかられた。


 空を焼く日差しと蝉の声の洪水の中、だだっ広い学校の敷地を探し回ること2時間弱。ヒビキはようやく脱走兎を見つけた。


「はぁ……そりゃ電話に出ないわけだ」


「ん」


 競泳用50mプールのプールサイド。おそらく"特権レッドカード"を使って入手したのだろう小さなゴム製プールにだらだらと寝そべる宇佐美エレン。『うさみ』のゼッケンが貼られた旧式のスクール水着に星型のサングラスという頓痴気な服装で優雅にレモネードを堪能している。


「まったく、少しは水泳部の皆さんを見習ったらどうだ。というか、こんなところに寝てたら邪魔になるだろう」


 ヒビキは、練習中の水泳部部員にわざとらしく視線を向ける。エレンはそれを一瞥すると、偉そうに語り始める。


「私は、この場所を勝ち取った。退くつもりは、無い」


「勝ち取った?」


 思わず素っ頓狂な声を上げるヒビキ。


「水泳部部長と1対1、自由形100m」


 エレンが咥えるストローから無くなりかけのレモネードの音が鳴り、ヒビキはため息混じりに頭を搔く。このロクでなしダメウサギは運動性能が高すぎる。水泳部部長の無念を思えばまるで胸が締め付けられるようだ……と、ヒビキは柄にもなくキッとエレンの方へ向き直る。


「お前、まさか他の部活相手にも同じようなことやってるんじゃないだろうな」


「この前は錬武館の縁側を手に入れた。うさみん大勝利」


 そう言ってVサインを見せるエレン。錬武館は、剣道部・薙刀部・柔道部・空手部が使用する複合の武道場で、趣のある和風建築をしている。その縁側を手に入れた言うことは、4つの部活(正確には男女の別があるので8つ)全てに道場破りを仕掛けて、そして勝ったということだ。呆れてため息も出ないヒビキ。


「いつか夜道で刺されても知らんぞ」


「そんな卑怯者に負けない。……そういえば、何か用があるんじゃないの?」


 ヒビキはすっかり忘れていた本来の目的を思い出し、メジャーを取り出す。


「身体測定の時間だ」

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