第6話 望月と遠吠え 1

「いっきし!」


 夏真っ盛りとは言え明朝6時の気温は薄着には堪えるもので、ヒビキは身体をさすりながら目を覚ました。エレンが寝ている布団に潜り込むわけにはいかず、かと言って布団を奪うわけにもいかず、結局ヒビキはデスクの回転椅子で一晩を過ごした。それ自体には慣れていたので別にどうということはなかったが、一応女の子、しかも客観的事実として美少女であるエレンには以後このような行為は自重してもらいたいというのがヒビキの率直な感想だった。


「一応女の子だからな……一応」


 既にベッドはもぬけの殻になっていて。キツネにつままれたような、夢でも見ていたような不思議な心残りがヒビキの中にあった。窓の外を見れば昨日戦闘があった辺りにクレーンが入っていて、急ピッチで復旧工事が進められているのが見て取れた。


◆◇◆


 昨日はなんだかんだでシャワーも浴びずに寝てしまっていたこともあり、ヒビキは"刑務所"のシャワールームに訪れていた。先客が居るようで、中からシャワーの音がする。"刑務所"に在寮している人数が少ないこともあり、誰が入っているのかヒビキにはおおよそ予想が着いていた。


「熊谷。今朝も早いなランニングか?」


 そう言いながら脱衣室の戸を開けると、シャワーを使っていた少女もちょうどシャワーブースから出てくるところだった。


 滴る水滴が身体の僅かな起伏を捉えて、映し出す。『完璧』という言葉が適当だろう。一つ一つの筋肉・骨格の形が理想的で、それでいてその全てが互いを貶すことなく自らを主張し、精巧なパズルのように噛み合っている。徹底的にチューニングされた狙撃銃のように暴力的な、秘密を守る仕掛け箱のように淑やかな、そのシルエットを描き出す柔らかな線。少女がタオルで髪を拭く度に上下する鎖骨の影。水滴を辿った先の柔らかな起伏は、腕の動きにワンテンポ遅れて、歯がゆいリズムを作り出す。引き絞られたウエストから艶やかに拡がる腰のライン。そして思わず目を惹かれる細く長い脚。ヒビキの目測では股下比率50.1%といったところだ。


「すいませんでしたーッ!」


 半ば叩きつけるように扉を閉じたヒビキの頭を疑問が駆け巡る。何故宇佐美エレンがこの"刑務所"の男子寮区画のシャワールームを使っているのか、いやそもそもここは"刑務所"の男子寮なのか。顔を真っ赤にし目を白黒させるヒビキ、その脳裏に焼き付いた宇佐美エレンの鮮烈な宇佐美エレンがヒビキの心拍数を激増させる。


「なんで扉を閉める」


「うわあああッ!? 服着ろ馬鹿がああッ!!」


 装備スロットが全て空の状態で何故か扉を開けてくる宇佐美エレンから慌てて顔を背けるヒビキ。


「お前恥じらいとかないのかよ! とっとと服着ろ!」


 その言葉にムッとした様子のエレン。


「私のスタイルは控えめに言って抜群、何も恥じることは無い」


「い・い・か・ら・服・を・着・ろ!」


◆◇◆


 その後ヒビキは、服を着たエレンに対して『男子寮のルームシャワーを勝手に使ってはいけない』『スタイルとか関係ないから服は着たほうがいい』と説得しようとしたが、『私はレッドカードだぞ』の一点張りで言うことを聞かなかった。


(コイツはレッドカードをなんだと思ってるんだ)


 ヒビキは、何か用があるらしいエレンに連れられてまた第1食堂を訪れていた。顔パスでやたら高そうなバケットサンドを2つ召喚したエレンは、1つをヒビキに無言で寄越す。さすがに居心地の悪いヒビキが財布を取り出そうとするも、エレンに止められる。


「それよりこれ」


 エレンの見せるスマホの画面に表示された『分隊登録申請フォーム』の文字。


「あぁそっか、登録しなきゃだよな」


 スマホを受け取ったヒビキが指紋認証を行うと『隊員一覧』に大神ヒビキの文字が追加される。


「この内容で登録申請するぞ」


「うん、あ、そういえば、君。私たちのヴァンガード、整備してね?」


「ん? ヴァンガードの整備? おいおい冗談寄せよ宇佐美……は?」


 もっさもっさとバケットサンドを頬張るエレンと見つめ合うヒビキ。食道の厨房の音が響く穏やかな朝の静寂。サラッととんでもないことを言うエレンに、ヒビキは開いた口が塞がらない。


「待ってくれ。確か操縦科の分隊のヴァンガードは、整備科の整備隊がメンテナンスしてくれるはずだろう?」


 分隊演習の授業は、操縦科の分隊3名に加えて整備科の整備隊3名を合わせた6名のチームでヴァンガードを整備、運用することで行われる。ヴァンガードの設計、整備をするのは整備科の仕事なのだ。


「整備科1年は全部で39人、整備隊は13個しかない。操縦科41人、14分隊全てのヴァンガードは整備出来ない。ハンデを負うのはレッドカードである私の責務」


「だとしてもなんでそこで俺が出てくるんだ! レッドカードの力でなんとか出来ないのか? 学校に頼めばそれこそプロの整備士をつけてくれるだろう?」



「うん、プロの整備チームを付けるって言われた……けど、断った」



「……は?」



 何故かドヤ顔のエレンと見つめ合うヒビキ。その手からこぼれ落ちるバケットサンドを目にも止まらぬ速さで掠め取ったエレンは、それはさぞ美味しそうにもさもさと頬張り始めた。

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