第8話 望月と遠吠え 3
エレンはわざとらしく顔を赤らめ、その細い身体を手で隠す。
「すけべ」
「絶対に言うと思った……勘弁してくれ、適切なチューニングにはパイロットの身体測定データが必要なんだよ」
裸を見られておきながら『何も恥じることは無い』と宣ったくせに、ヒビキをからかうことが出来ると踏んだ途端にこの態度。うんざり顔のヒビキを見て満足したのか、エレンは伸びをしながら立ち上がる。
「よし、かかってこい」
そう言いながら何故かドヤ顔で両手を広げるエレン。ヒビキは頭を抱える。
「こんな往来で突然身体測定を始めるとどうなる」
「君が通報される」
「わかってるならちょっとついてこい」
◆◇◆
「こんな物陰に、びしょ濡れの水着の女の子を連れ込んで、一体何をする気なの」
「身体測定だ、そら腕広げろ」
エレンがごにょごにょと文句を垂れながら腕を広げると、ヒビキは身体測定を始める。プールサイドの下部分に設けられた備品倉庫の中にはデッキブラシやら古いビート板やらが雑然と置かれており、深く息を吸えば塩素消毒剤の匂いが鼻をつく。
「なんで私のデータが要るの」
「ん、あぁなんだそれか、それは────」
エレンの当然の疑問にヒビキが答える。
ヴァンガードは、神経共鳴という技術の力で意のままに操作することができる人型機動兵器だ。巨大な義肢と捉えられるかもしれない。しかしここで問題になるのがヴァンガードの手足などの長さの"比率"だ。極端な話、エレンの身体の"比率"で造ったヴァンガードにヒビキが搭乗すると、操作に支障をきたす。これは、エレンとヒビキでは脚の長さ、肩幅、重心位置などの比率が何もかも違うからだ。
自分の……例えば肩幅"だけ"が2倍になったら、生活に著しく支障をきたすことが容易に想像出来るだろう。ところが、全身をそのまま2倍にするとどうなるかと言うと、(もちろん支障はあるが)これはさして問題にならない。
そういう意味では、あの訓練用機はエレンのヴァンガードとしては脚も腕も短すぎるし、肩幅も大きすぎる。しかしエレンはそれをあっさり乗りこなしたのだから、ヒビキのこれは無駄な努力なのかもしれない。
「要はだな、お前の頭の中にあるお前のシルエットと、実際に搭乗するヴァンガードのシルエットは同じでないとダメなんだよ。もっとも、お前の場合はあっという間に形状の誤差を補正してどんなヴァンガードも乗りこなせるようだが」
ヒビキはテキパキとメジャーを当て、エレンの比率を数字に書き起こしていく。あまりに事務的なその手つきに少女は頬を膨らませる。
「……でりかしーの欠落。これだからオタクは」
「何だ、俺にどうして欲しいんだ」
「水着姿の美少女と間近で触れ合っているんだから、もっと恥じらうべき」
「わけのわからないことを」
ヒビキはそう強がって見せたが、メジャーを当てれば柔らかく沈み込む肉や呼吸に合わせて上下する濡れた肌に、心拍数が上がるのを抑えられていなかった。しかしそれをエレンに悟られればあの腹の立つ顔で小馬鹿にされるのは目に見えている。
ヒビキが必死にポーカーフェイスを保っていたその時、しっかりと閉めていたはずの備品倉庫の引き戸がガラガラと音を立てて開いた。
夏の日差しが倉庫に差し込み、照らし出された床のコンクリートの色がエレンの濡れた肌に反射する。その床に伸びるもう一つの影。倉庫の前に立つエレンと同じスクール水着姿のその少女は、エレンに負けず劣らずの美少女だ。吸い込まれそうな真っ暗な瞳、夜空を湛えたような艶やかな長い黒髪、それと対照的な白く引き締まった肌。
穏やかだった少女の眼差しが、エレン(水着姿)の身体測定の真っ最中のヒビキを捉えた途端に刃のように鋭くなる。
「変態!」
「違う違う誤解だ─────!」
顔を真っ赤にした少女は叩きつけるように扉を閉める。少女の走り去る音を聞きながらヒビキは膝から崩れ落ちた。
◆◇◆
しかしこんなところで諦める大神ヒビキでは無い。あらぬ噂が立たぬよう何としても誤解を解かなくてはならない。と、言うことでヒビキはエレンと共に、先程の少女を混じえて第1食堂に来ていた。
「なんの用かしら。変態さん」
最初から敵意MAXの眼前の少女を見て『これは骨が折れそうだ』とげんなりするヒビキ。エレンの方はと言えば、冬ごもり前のリスばりに棒アイスを頬張っている。
「俺は1年操縦科の大神ヒビキ。で、こっちは────」
「知っていますよ変態さん。だって同じクラスですもの」
またやってしまったと頭を抱えるヒビキ。授業中は基本居眠り、休み時間はヘッドホンをして寝たフリをしている大神ヒビキはクラスメイトの顔を覚えていないのだ。
無言でエレンに確認を求めるヒビキ。黙って目を閉じるエレン。
「……それは失礼した。えっと……」
「玄武寺サクラ」
「玄武寺さん。どうか話を聞いて欲しい。君は今大きな勘違いをしている。俺と宇佐美はヴァンガードの設計のために必要な身体測定をしていただけなんだ」
「どうだか。変態と怠け者が何言っても信用ないわよ」
そう言って玄武寺サクラはエレンの方を睨みつけた。ヒビキにとって意外だったのは、普段飄々としているあのエレンがサクラのことを睨み返したことだった。
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