第24話 やんごとなき諸事情 6

「こらーッ! もっとキビキビ走れ────ッ!」


 体育館に鬼川の怒号が響く。バスケ部とバレー部が練習に勤しんでいる横で、ヒビキはだらしなく壁沿いを走った。アスクレピオスというデタラメな医療設備のおかげでほぼ全快しているとは言え、つい一昨日まで入院していた人間に走り込みをさせるとはどういうことだと、ヒビキは内心憤慨していた。


(しかしまぁ、運動場が使えないおかげで助かった、炎天下の運動場を走らされるよりは幾分かマシだ)


 連日の騒動のせいで学校の設備はあちこち壊れており、運動場も使えなくなっている。しかし、夏休みが長引くなんてことはなく、明後日から学校は通常通り再開されるそうだ。ヒビキのような不真面目な大半の学生はこの対応にブーイングをあげ、サクラのような真面目な学生は、逆に称賛の声をあげた。


(だが、俺としてはむしろ好都合だ。1000人を超える学生と教職員、そして工事のための職人たちと工事用車両、これだけ人とモノの往来が多ければ、混乱に乗じて────)


「危ないそこの人! 避けてーッ!」


「え?」


 声に振り向いたヒビキにバスケットボールが飛んでくる。避けられない。ヒビキがそう判断するよりも早く、白い影がヒビキの前に音もなく翻った。


 相変わらず包帯だらけのエレンはバスケットボールを片手でふわりと受け止めると、そのまま対岸のバスケットゴール目掛けてボールを放り投げた。ボールがゴールに入るのを確認するまでもなくヒビキの方へ振り返るエレン。その背後でボールはゴールに吸い込まれていった。


 バスケ部の学生たちだけではなく、バレー部の学生たちもが突然のスーパープレーに啞然とする。沈黙に包まれる体育館、エレンは意味が分からないといった様子で首を傾げて風船ガムを膨らませた。ヒビキは頭を抱える。


「……助かったよ」


「ん……まだ補習中なの?」


「大神! 大丈夫か!」


 鬼川が駆け寄ってくる。エレンはガムを引っ込めて、鬼川の方へ向き直った。


「鬼川先生、ヒビキを借りていいですか?」


「宇佐美か。すまんな、大神は今補習中なんだ」


「分隊演習のためにヴァンガードを調整してもらわなきゃいけないんです」


「ヴァンガードの調整?」


 エレンは手短に、ヒビキが自分のヴァンガードを整備していることを説明した。鬼川はしばらく唸っていたが、そういう事情なら仕方ない、と、ヒビキを解放してくれた。


◆◇◆


 厄介な補習が突然無くなったので、ヒビキは喜んでいた。


 体育館を出て、ヒビキとエレンは渡り廊下を歩いた。


「助かったよ、宇佐美。……んで、ヴァンガードの調整だったか? 今からだと、ハードウェア部分の調整は最初の分隊演習に間に合わない。まぁもちろん、やれって言うなら大急ぎでやるが──────」


「ヴァンガードはとりあえず問題ない、こっち」


 そう言ってエレンは、ヒビキの腕を掴んでずんずんと進んで行った。


「おい、ヴァンガード格納棟は逆方向だぞ?」


「いいから」


 そして、エレンはヒビキを人気の少ない体育館裏へ連れてきた。


「ヒビキ、君に、聞かなきゃいけないことがある」


 エレンは改まってそう言った。いつになく真面目な顔のエレンは、何かに怯えているようにも見えた。


「単刀直入に聞く、君は、量子コンピューターを持っているの?」


 その質問でヒビキは凡その事情を理解した。溜息をつき、頭を搔くヒビキを見て、エレンは固唾を飲んだ。


「猫宮か?」


「うん」


「遅かれ早かれこうなるだろうとは思っていたが……ここで話すのはマズい」


 そう言って、ヒビキは頭をかくフリをして後ろを指さした。


 ヒビキの指さす先、200m程遠くの建物の3階の軒下にキラリと光る物があった。監視カメラだ。目視ではほとんど見えない。


 エレンは驚いてヒビキを見つめた。


「……まさか場所を全部覚えてるの?」


「当然」

 

◆◇◆


 エレンはヒビキに案内されて監視カメラの目の届かない場所へ向かった。


「エコーシルエット……」


 ヒビキがエレンを連れてきたのはエコーシルエットの格納棟だった。エコーシルエットは学校が所有する他のヴァンガードよりもひと回り大きいため、蹲るようにして格納庫の中で沈黙していた。その黒い装甲には、先日の戦いで付いた細かな傷が付いている。


 エレンとヒビキは、壁に据え付けられた階段を登り、コックピットへと続くブリッジを渡り、エコーシルエットの中に入った。


 狭いコックピットの中で、ヒビキとエレンは操縦席を挟んで向かい合って座った。


「悪いな、狭くて。でも、エコーシルエットの中が1番安全なんだ」


「……あんなに遠くの監視カメラ、気にする必要があるとは思えない」


 ヒビキはエレンのその言葉に首を横に振りスマホを取り出した。


「ここの学校のカメラは異常な程にカメラとマイクの性能がよくて、おまけに暗視やサーモグラフィーの機能もある。小型原発や多数の兵器を保有する特殊な学校だからか、あるいは他の理由があるのか、とにかく、ここのセキュリティは異様に厳重なんだ」


 そう言ってヒビキはスマホに、動画投稿サイトの適当な動画を表示してエレンに見せた。動画の中で一人の男が何か話しているが、音量が0にされている上に字幕もないので何を話しているか分からない。


「なに? なんの動画?」


「……今回は、アポロン13号機の月面事故の裏に隠された真実について解説していきます」


「!……読唇術が使えるの?」


「俺が読唇術を使えることは重要じゃない。要は、超高精細カメラと、読唇術が使える人間が居れば、マイクで音が拾えない距離の会話も聞くことが出来るってことだ。遠くのカメラだからといって侮ってはいけない。監視カメラをハッキングして映像を差し替えることは簡単だが、リスクは侵さないに越したことはない」


 そう言って、ヒビキはスマホを収納し、エレンの方へ向き直った。


「長居しても怪しまれるし、本題に入ろう」

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