第22話 やんごとなき諸事情 4

 エレンは女子寮のゾフィーの部屋に案内された。エレンと同じように、ゾフィーもまた二人部屋を一人で占有している。招待入学者レッドカードに対する優遇措置だ。部屋には、荷解きが終わっていない大量の段ボールと、大きなL字のデスクの上に置かれた8枚ものモニター、そして、床に置かれた大きなPCや小さな冷蔵庫があった。


「大神君のお父さんについてだったっけ、ボクの口から話すのは別に構わないんだケド……本人に聞いた方がいいんじゃナイ? これじゃ、悪いことしてるみたいだ」


「ヒビキ、答えたくなさそうだったから……」


 ゾフィーは目を丸くする。


「意外、君って空気が読めるタイプだったんだ……」


「失敬な」


 ゾフィーはごめんごめんと笑うと、ヒビキの父について話し始めた。


「大神君のお父さん……大神レイジ氏は、世界的な暗号学者・コンピューター学者で、量子コンピューターや、対量子コンピューター暗号の研究をしていた人なのサ、ケド、世間一般的には────」


「一般的には?」


 ゾフィーは言葉選びに迷ったようだったが、意を決して口を開いた。



「国際指名手配されてる重犯罪者……として知られていル」



 量子コンピューター、そして重犯罪者という言葉にエレンはピンと来たようだった。ゾフィーは冷蔵庫の扉を開けて、中から2本のエナジードリンクを取り出し、片方をエレンに放って寄越した。


「その人、知ってるかも」


「知っててもおかしくは無いサ、近年のコンピューターについて勉強してるなら必ずその名前を聞くことになるからネ」


 そう言ってゾフィーは椅子に座り、パソコンを起動して『大神レイジ』の名前を検索した。


「知っての通り、量子コンピューターそのものは2001年に既に完成しているんだケド、一般的に実用可能なレベルでは無いんだ」


「運用コストが高すぎるから」


 ゾフィーはエナジードリンクを飲みながら頷いた。


「ぷはー、まぁそうだネ。今現在1番ネックなのはそこだカラ。量子コンピューターってのはそんじゃそこらの企業や自治体、まして個人が使うにはあまりに採算が合わないのサ。理由は置いといて、地面の揺れとか、雑音とか、そういったものを徹底的に排除した環境と、数ミリケルビンまで冷却できる超高性能な冷蔵庫を用意しないと量子コンピュータは正確に作動しなイ。ケド、その問題を身近なものを使って解決しようとした科学者がいたんだ」


 そう言って、ゾフィーはパソコンをスクロールした。すると、画面に一枚の写真が表示される。


 写真はまるで隠し撮り写真のように不自然な構図で、ある男と、男が操作する装置を写していた。暗い実験室の中で、男は真剣な面持ちで装置を操作している。その男には、どこかヒビキの面影があった。男が操作する装置は不気味な光を放っており、装置の中には蛍光色の液体に浮ぶ人間の────


 その写真を見た途端、エレンの身体を悪寒が駆け巡った。生理的な嫌悪感、だれが見ても禁忌だと分かる悪魔の所業。エレンの額を脂汗が流れる。


「人間の、脳」


 ゾフィーはエレンの方を見て頷いた。


「人間の脳が、量子計算をしている……つまり、量子コンピューターとしての能力を持っているのは知っているカイ?」


「雑学程度には」


 エレンはおおよその話が読めたようだった。


「察しの通り。氏は、人間の脳を沢山繋いで量子コンピューターにしようとしたんだ。世間では『ハイブマインド計画』って呼ばれるネ。人間の脳には量子計算の能力があるけど、振動や雑音があってもちゃんと動作するだろう? もちろん、数ミリケルビンなんて極低温は必要ない。もしこれが実現すれば環境を問わず利用できる、実用的な量子コンピューターになるはずだったのサ……もっとも、そんな非人道的なことは許されないんだケド」


 そう言って、ゾフィーはエナジードリンクを一気に飲み干した。エレンは、写真をじっと見つめる。


(この写真……何か違和感が……)


 目を背けたくなる悪寒に耐えながら、エレンは写真を覗き込んだ。写真を見れば見るほど、エレンの中で違和感が膨らむ。


「この写真は、氏の計画をリークした研究員がその証拠として提示した写真なのサ。写真に写っているのは大神レイジ氏本人。計画が世に露見した時には、氏はすでに行方不明になっていてネ。今もどこかで研究を続けているって言われてル」


 そう言って、ゾフィーは写真を閉じた。


「なんで閉じたの」


「生きてる人脳が写ってる写真は十分にショッキングな写真なんだヨ。君のその反応……あんまり見ない方がいいヨ」


 自分はそんなに深刻な顔をしていたのか、とエレンは顎に手を当てた。


(確かに少し動悸もする……私、グロは平気だと思ってたんだけど……)


 そんなエレンの様子を見て、ゾフィーはある提案をすることにした。

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