第17話 望月と遠吠え 12
猫宮・S・ゾフィーという名前をヒビキは知っていた。と、いうかヴァンガードの設計をかじったことがある人間なら誰もが知っている。ヴァンガードやアスクレピオスなどを開発した世界的大企業『イデア』の代表取締役の娘であり、僅か12歳という若さで、最新鋭である『第四世代型ヴァンガード』を一から設計・建造してみせた正真正銘の天才エンジニアだ。……ちなみに、『第四世代型ヴァンガード』の設計・建造には、人工衛星とロケットを作って、それを衛星軌道上に打ち上げるのと同じくらいの技術力が要求される。
「俺の知っている猫宮・S・ゾフィーは10歳の時にマサチューセッツ工科大学を主席で卒業しているはずなんだが……なんで今さらこんな学校に? と、いうかあんたがうちに在籍してたなんて知らなかったよ。しかも、レッドカードまで持っているなんて」
ヒビキは、ゾフィーの赤い学生証を返しながらそう言った。しかし、ゾフィー程の有名な天才ならレッドカードを持っていてもなんら不思議はない。世間的には、天才パイロット宇佐美エレンより有名人だからだ。
「知らないのも無理はないよ、ボクは転入生だからネ。夏休み明けの登校が初登校なのサ。ここに転入してきたのは、同年代の優秀な整備士、操縦士達と交流を深めて見識を広めるため。……表向きには、ネ?」
「表向きじゃない方の理由は?」
ゾフィーはまたヒビキの方を『むー』と睨んでみせた。
「
ヒビキは頭を抱えてそっぽを向いた。その時、隣の病室で大きな物音がした。
◆◇◆
「放せ朱雀! あたしは! やっぱりコイツを一発殴らないと気が済まない! 何が『ノブレス・オブリージュ』よ! ふざけんなッ!」
「落ち着けサクラ! 病院で暴れるな!」
隣の病室に駆けこんできたヒビキは、そこで妙な光景を目にした。ベッドの上で包帯に巻かれてウサギ林檎を頬張るエレンと、そのエレンに殴り掛かろうとするサクラ、サクラを羽交い締めにして何とか止めている朱雀。
「宇佐美……!」
ヒビキはエレンの方へ歩み寄る。遅れてゾフィーも部屋に入ってきた。
「宇佐美、怪我は大丈夫なのか?」
ヒビキのその問いに対してエレンは、無言でヒビキの方を見つめながらウサギ林檎を頬張ってみせた。
「……宇佐美?」
「ん……、今……林檎……食べてる……でしょ?」
「あ、ああそうだな。すまない」
そうだった、エレンはこういう奴だった、と、ヒビキは安堵した。ヒビキに気づいたサクラが暴れるのをやめる。
「大神ヒビキ……!」
「……玄武寺さん」
サクラはもじもじと顔を赤らめながらヒビキの方へ歩み寄った。
「その……今回はあんたのおかげで助かったわ。そこの馬鹿が迂闊にドローンを飛ばしたせいとは言え、私達は本当に危ない状況だった。ありがとう」
筋は通すタイプなのだろう、サクラがそんなことを言うのでヒビキは困ってしまった。
「すまない、状況がよくわかっていないんだが……」
サクラはかいつまんで特別教室棟地下のシェルターで起こったことを話した。ゾフィーが飛ばしたドローンの信号を逆探知した異形のヴァンガードが、シェルターを狙って攻撃を始めたこと。エレンとヒビキが攻撃からシェルターを守ってくれたこと。話を聞いたエレンがゾフィーを見つめながらポツリと零す。
「……こんなのが、私と同じレッドカード……」
ゾフィーの言っていた『ボクのせいで君達に迷惑をかけてしまったからネ。見逃してあげる』の意味がようやく分かったヒビキは、なるほど、と一人納得した。ゾフィーはおどおどしながら顔を赤らめて弁明を始める。
「い、言っておくケド、ドローンの信号を逆探知ってのはあくまで仮説であって、本当の原因だとは限らないんだからナ! サクラの大声が原因だった可能性だって捨てきれないんだかラ!」
「な、なんですって~ッ!!」
責任の押し付け合いは不毛なので、ヒビキは話題を逸らすことにした。
「そういえば、何の話をしてたんだ? ノブレスオブリージュがどうのこうのって聞こえたんだが」
「そうだ、危うく忘れるところだったわ。宇佐美エレンに戦った理由を問いただしたら、こいつ、『ノブレスオブリージュ』と言ったのよ!」
ノブレスオブリージュ、とは、高い社会的地位には大きな責任が伴う……というような意味の言葉だ。要するに、エレンは自分のことを『周りの人間より偉い』と言っているのだ、とんでもない傲慢である。サクラがカチンとくるのも頷ける。
「私は、レッドカードという
エレンは当たり前だと言わんばかりにそう言い放ち、ウサギ林檎を頬張った。ノブレスオブリージュ、その言葉でヒビキはエレンのことが少し分かった気がした。
「宇佐美、まさかお前……プールサイドでジュース片手にくつろいだり、練武館の縁側を占拠したりしてるのって……」
「私はレッドカードなんだから、好きな場所でくつろいでいい。それを邪魔するなら容赦はしない」
それを聞いてヒビキは頭を抱え、サクラと朱雀は啞然とした。そう、エレンはあくまで好きなところで好き勝手しているだけで、あらゆる部活に道場破りを吹っ掛けまくっているわけではないのだ。好き勝手していると『邪魔だ』と言われるので、やむを得ず実力行使をする……それが結果的に道場破りに見えているだけで、それそのものが目的ではないのだ。
サクラは思わず拳を握りこみ、口を開いたが、目を瞑って静かにため息をついた。
「私、やっぱあんたのこと嫌いよ……」
「しらない」
エレンが本当にどうでもよさそうにそんなことを言うので、サクラは怒りを抑えられなかった。
「律儀に礼なんて言いに来るんじゃなかったわ! 馬鹿みたい! ずっとそうして一人でふんぞり返ってなさいよこの馬鹿!」
「あぁおいサクラ……!」
サクラはそう言って足早に部屋を出ていった。朱雀はサクラのことを追いかけて部屋を出ていったが、すぐに部屋に戻ってきた。
「大神……スリーパーホールドはやりすぎた。すまなかった」
「!……気にしてないさ、俺も冷静じゃなかった」
朱雀は少し微笑んで「じゃあ」と、部屋を出ていった。ヒビキは包帯でぐるぐる巻きにされているボロボロのエレンを見つめた。
「宇佐美……」
「なに。またサクラの味方をするの」
エレンはヒビキの方を見ずにそう言った。ヒビキはため息交じりに答える。
「そうじゃないさ、ただ……ただお前が、皆から邪険にされてるのを見たくないだけなんだよ」
エレンは静かに、窓の外の夏空を見つめた。
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