第39話 分隊演習 12

 廃校舎の屋上にパラソルが立っていた。エレンはまた旧式スクール水着に星型サングラスという頓痴気な格好で、パラソルの下の小さなゴムプールに寝そべり、優雅にラムネを飲んでいた。夏空には、青白い月が浮かんでいた。


 エレンがサングラスを押し上げる。


「……砲声が止んだ」


◆◇◆


 ヒビキの時間は、まるで止まったかのようであった。目の前のモニターには刃を振り上げるイクサが写っている。


 ヒビキには選択肢があった。


 "ハッキングでイクサの隙を作る"という選択肢が。


 実はこれは、ヘッドホンが無くてもできることだった。エコーシルエットの神経共鳴回路を経由すれば、いつものようにハッキングが出来るのだ。刃を振り上げているイクサの動きを一瞬だけ止めることが出来れば、その隙にエコーシルエットの凄まじい握力で胸部装甲を破壊し、勝利できる。


「でもそんなことをすれば」


 ……エレンは下手したら、二度と口を聞いてくれないかもしれない。


「それは……嫌だな……」


 しかし、接近戦に持ち込んで勝てる相手ではないのは分かりきっていた。遠距離攻撃特化型のエコーシルエットにはまともな近接武器が搭載されていないし、そもそも、あの太刀を振り下ろされた時点でヒビキの負けだ。ヒビキがここで負ければ、散々恐れたことが現実になってしまうかもしれない。


「まぁ……2機撃破だけでも上等か……」


 しかし、負けは負けである。ヒビキは、宇佐美分隊の勝敗表に『敗北』の2文字が書かれることが断じて許せなかった。


「倒すしかない、この状況から、サクラを倒すしかない……!」


◆◇◆


 イクサが振り上げた刃が日差しを受けて眩く輝く


「はぁああああああッ!」


 サクラがエコーシルエットに刃を振り下ろそうとした、その時だった。


 大きく開かれたエコーシルエットの口から、咆哮が放たれた。


 見えない刃がイクサの電子回路をズタズタに破壊する。制御を失ったイクサは、糸が切れた人形のように崩れ落ちる。


 サクラは何が起こったのか理解した。


「EMP────!」


「悪いな。勝てと、言われてるんだ──────!」


 エコーシルエットは、イクサの喉笛を噛み砕いた。


◆◇◆


 せっかく勝利したというのに、見学棟でヒビキを出迎えたゾフィーの顔は怒っていた。ものすごく、怒っていた。


「……地上の標的に対して大出力指向性EMP砲を使うことの危険性は、キミ自身が1番理解しているはずだ。こんな勝利の仕方は技術者として認められない」


「話を聞けゾフィー、俺は大出力指向性EMP砲を使ってないんだよ」


「バカにしてるのか! ボクの目を誤魔化せると思うなよ!」


 そう言ってゾフィーはヒビキに詰め寄った、ヒビキはおろおろと後ずさる。


「書き換えたんだよ! プログラムを!」


「……は?」


「大出力指向性EMP砲の出力は、遠く離れた標的にも十分な効果を発揮するように、過剰な程に高く設定してある。でもさっきみたいな超接近戦で使う分にはあんな馬鹿げた出力は必要ないんだ。だから、近くの標的だけを無力化しつつ、周辺には影響がない程度の出力でEMPが撃てるように、プログラムを書き換えたんだよ!」


 ゾフィーはしばらく、ぽかんと口を開けていた。ゾフィーは、『あの一瞬でそんなことできるわけが無い』と、思ったが、同時に『あ、そういえばコイツ、WOLFだった』と考え直した。


「じ、じゃあ……」


「あぁ、俺たちの勝ちだ!」


 口を開けたままのゾフィーの目に光が灯る。


「う、うおおおおおおやったああああああああ!」


「やったぞおおおおおってやめろやめろくっつくな! くっつくな!」


 テンションが上がってヒビキに思い切り抱きつくゾフィーを、ヒビキは赤面しながら剥がした。正気に戻ったゾフィーは、真っ赤になってフードを思い切り深く被る。


(や、やってしまった……昨日はシャワーを浴びれなかったのに……うぅ)


「あ、そ、そうだ。宇佐美にも報告してやらないとな」


 ヒビキはわざとらしく話題を逸らし、スマホを取り出した。その時だった。


「……大神……ヒビキッ……!」


 ヒビキが声に振り返ると、そこには目を血走らせた龍一が立っていた。様子のおかしい龍一を見て、ヒビキは反射的に身構える。


「この、卑怯者め! 何が勝利だ! ゾフィーが整備した高性能ヴァンガードのコックピットに座っていただけの無能のくせに! 勘違いするなよ! お前が強かったんじゃない! 機体性能に差がありすぎたんだ! 卑怯者! 卑怯者め!」


「なんっ────むぐっ!?」


 龍一に言い返そうとしたゾフィーの口をヒビキは塞いだ。理由は単純、龍一の様子が本当におかしかったからだ。血走った目、わななく口、荒い息遣い。ここで龍一をさらに怒らせて暴力沙汰になった場合、ヒビキはゾフィーのことはおろか自分の身すら守れないだろう。


「……そうだな、だからこれはゾフィーの勝利だ」


「っ……! あぁそうだ! そうだ分かればいい! ということはだ! どういうことかわかるか! お前は、僕達から勝利の機会を奪ったんだ! お前が卑怯な手でゾフィーを引き抜き、僕達の弱体化を謀ったんだ! ゾフィーさえこちらに付いていれば! お前があの時余計なことをしなければ僕達が勝ってたんだ! 返せよ! そいつを返せ!」


 手を伸ばしながらこちらに詰め寄ってくる龍一を見て、ヒビキはゾフィーのことを解放し、叫んだ。


「逃げろ!」


「っ……!」


 ゾフィーはやむを得ず走り始める。それを追いかけようとする龍一の前にヒビキは立ち塞がる。


「そこを、退けええええッ!」


 龍一が拳を振りかぶる。ヒビキは腕で防御を試みる。しかし、その拳がヒビキに届くことは無かった。


「龍一 ─────ッ!」


 半ばヒビキに飛びかかるようにして、割り込んできたサクラがヒビキを庇った。龍一の拳がサクラの背中を捉える。鈍い音が響き、ヒビキとサクラは衝撃で倒れ込んだ。


「かはっ!」


「ぐっ!?」


 その様を見て、龍一は呆然と立ち尽くした。


「サクラ……なんで……」


 直後に駆けつけた朱雀が、龍一を羽交い締めにして取り押さえた。龍一は抵抗する素振りもなく、ただ呆然とサクラを見つめた。


 サクラはよろよろと立ち上がりながら、ヒビキのことを睨んだ。


「……今のことは誰にも言わないで。龍一、あんたももういい加減にして」


「だ、だが……」


「3対1の戦いに機体の性能差なんて関係ない! これ以上恥をかかせないで!」


 そう言ってサクラは足早に歩き去った、表情は見せなかった。

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