第15話 望月と遠吠え 10

(ここは……どこだ……懐かしい匂いがする……)


 暗くて静かで暖かい場所でヒビキの意識はまどろんでいた。瞼が重くて開かないが、別に目を開けたいとも思わなかった。ただずっと、ここでこうしていたい。今のヒビキにあるのはそれだけだった。


(……母さん……母さんの匂いだ……)


 壁の向こう側で、人々のざわめきが聞こえる。


「何が……んだ……」

「誰が……戦って……」

「うわぁッ!」

「大丈……このシェル……核攻……」


 ずーん……ずーん……と、遠くで戦いの音が響く。


(……あと、5分だけ……)


「────ヒビキ」


 ハッキリと聞こえた自分の名を呼ぶ声に、ヒビキは目を覚ます。気がつけば、ヒビキはガラスの蓋のついたベッドに横たわっていた。医療用汎用救命装置『アスクレピオス』だ。


(なんで俺、アスクレピオスの中に……そうだ! エレンが────!)


 シェルターの中なのだろう、アスクレピオスの外では朱雀を含めた沢山の人が不安そうに天井を見つめていた。再び大きな地響きが伝わってきて、人々はざわめく。


 ヒビキは朱雀や医務の先生に気づかれないように、そっとヘッドホンを耳に当てた。


(いざという時のための備えはしておくもんだな……広域停電プログラム……起動!)


 ヒビキの命令でシェルターの蛍光灯が消え、代わりに薄暗い非常用赤色灯が点灯する。人々の混乱と暗闇に紛れて、ヒビキはアスクレピオスから抜け出し、シェルターの外に出た。


 頭痛とめまいのせいで霞む視界の中、ヒビキはバタバタと倒れるように走った。


「時間がない! 学校には問い詰められるだろうが、アレを使うしかない! 来てくれ! エコーシルエット……!」


 ヘッドホンで両耳を塞ぎ、ヒビキは命令を下した。


◆◇◆


 エレンの操縦するパーフェクトムーンは遥か上空まで飛び上がると、そのまま異形のヴァンガードの頭に飛び蹴りを食らわせた。鈍い衝突音と共に異形のヴァンガードが仰け反り、パーフェクトムーンは反動で再び宙に舞い上がる。パーフェクトムーンの真新しい白い装甲が夏の日差しを受けて、輝く。


(機体が軽すぎる……まるで効いてない! でも────)


 この数秒でエレンは確信した。このパーフェクトムーンはまさにエレンそのものなのだ。流麗なフォルムも、軽すぎる身体も、それを補って有り余る機動力も────! まるでオーダーメイドのドレスのように、パーフェクトムーンはエレンの身体に完璧に馴染んだ。


 エレンは腕に内蔵されていたバトルナイフを抜き放つ。異形のヴァンガードは咆哮し、空中で無防備になっているパーフェクトムーン目掛けて触手を放つ。しかしそれは致命的な判断ミスだった。


 触手がパーフェクトムーンの胸部装甲を捉える寸前に、エレンは触手に飛び乗り、触手の上を走り出した。パーフェクトムーンを振り落とそうと触手は暴れ、他の5本の触手もパーフェクトムーン目掛けて襲い掛かってくる。しかしそれはエレンに空中の足場を提供することしかできなかった。


 触手を伝い、あっという間に異形のヴァンガードに肉薄したエレンは、敵の頭にバトルナイフを振り下ろす。火花が飛び散り、ナイフは硬い装甲に阻まれるが、エレンはそのまま脚を敵の首に絡めてナイフでひたすらに頭部を攻撃した。


 異形のヴァンガードはパーフェクトムーンを振り落そうと、暴れて、触手を振り回した。辺りに猛烈な砂煙が上がり、夏の濃い青空を覆い隠す。


 パーフェクトムーンは、まるでそこに存在しないかのようだった。異形のヴァンガードの触手は、パーフェクトムーンに触れる寸前のところを掠めていく。エレンは、異形のヴァンガードの頭を滅多打ちにしながら、攻撃を受けるギリギリのところで触手を回避しつづけていたのだ。パーフェクトムーンが、エレンの身体をそのまま拡大コピーしたような形をしているからこそ可能なギリギリの挙動。


 エレンの執拗な一点集中の攻撃によって、ついに異形のヴァンガードの頭部にナイフが突き刺さる。エレンは、突き刺さったナイフの柄の部分に何度も何度も膝蹴りをして、ナイフを深く押し込んでいく。押し込んだナイフを今度は揺さぶり、捩じり、傷を広げていく。


 開いた傷に手を突っ込み、中にあるセンサー類やコード類を握り潰し、外へ引きずり出す。火花が眩く煌めき、パーフェクトムーンの影を砂煙に映し出す。


「スクラップにしてあげる」


 エレンが二本目のバトルナイフを抜き放ち、高く掲げたその時だった。


 異形のヴァンガードがまるで狂ったようにのたうち回ったかと思うと、ロケットエンジンを起動し、パーフェクトムーンを巻き込んで空へ飛びあがった。猛烈なGがエレンを襲う。コックピットの中に警告音が鳴り響く。


(まずい! 失神する!)


 身体に大きな加速度が加わると、体内の血液が頭部、または逆に脚部に集中し、脳に血が集まり過ぎたり、逆に減り過ぎたりして失神してしまう。訓練や耐Gスーツの着用により、高G下での失神事故は減らすことができるが、ヴァンガードのパイロットは基本的に耐Gの訓練を受けないし、エレンは今、部屋を飛び出したままのTシャツ一枚だ。エレンの視界が白く明滅し、暗転する。脇腹の傷口から血が噴き出る。


「くっ……!」


 エレンはやむを得ず異形のヴァンガードを蹴り、空中で距離を取る。青空の中に投げ出されるパーフェクトムーン。異形のヴァンガードはそれを逃がすまいと急旋回し、落下するパーフェクトムーン目掛けて全速力で突進した。



「させるか────ッ!」



 それを待っていたかのように、ヒビキの操縦するヴァンガード──エコーシルエット──が光学迷彩を解き、その姿を現す。刺々しい悪趣味な黒いフォルム、TC-1と比べて1.5倍はあるだろう大きなそのヴァンガードは、熊とか猪とか狼とか、そういった獣を無理やり二足歩行にさせたかのような異質な立ち姿をしていた。車両への変形機構を搭載した代価といえるかもしれない。


「EMPを使うッ!」


 ヒビキが引き金を引くと、エコーシルエットが空に向けて咆哮する。電子機器という電子機器を破壊、もしくは一時的な機能停止に陥らせる大出力指向性EMP。ヒビキのエコーシルエットと共闘することを前提に設計されたパーフェクトムーンは、EMPに対する防御がなされているが、そうではない機体はひとたまりもない。


 EMPが空に放たれる。見えない刃がパーフェクトムーンと異形のヴァンガードを襲う。鈍い破裂音と共にエレンが見つめるモニターにノイズが走る。パーフェクトムーンに飛び掛かかろうとしていた異形のヴァンガードは制御を失い、し始める。


 それを見逃すエレンではなかった。こちらに突っ込んでくる異形のヴァンガードに取り付くと、頭部を掴み、無理やり地面の方を向かせる。


「落ちて」


 異形のヴァンガードは轟音とともに頭からグラウンドに突っ込み、砂煙が高く高く上がる。穿たれたクレーターの中で、異形のヴァンガードはビクビクと痙攣したかのように触手を震わせた。


◆◇◆


 異形のヴァンガードを踏みつけるパーフェクトムーンに、エコーシルエットが歩み寄る。


「……機体の具合はどうだ、分隊長様?」


 無線越しにそんなことを聞いてくるヒビキに、エレンは嬉しそうに答えた。


「及第点」


 そう言ったっきり、エレンは気を失い、パーフェクトムーンも稼働限界を超えて地面に倒れ込んだ。

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