Sid.17 体に悪い夜の過ごし方

 なんか見られてるって言うか、目で猛烈に訴えてると言うか。

 本気で怖くなったのかもしれないけど、脅すつもりは無かったんだよなあ。


「マスター。責任取ってください」


 怖くて家に帰れないと。

 待ち伏せとかされたら、目も当てられないとか言ってるし。そこまで危険な男だって認識してるってことか?


「あの男って危ない奴?」

「そう思いたくは無いんです。でも」

「分かった。じゃあ家まで送るってのは?」

「あとで押し掛けて来られたら」


 俺と一緒の時は無茶をしないだろうと。居なくなれば、これ幸いとばかりに押し掛けてきて、襲われたりしたら、どうすればいいのかって。

 最悪を考えているようで「もし死んだら、毎晩枕元に立ちますよ」とか言ってるし。それはそれで怖いっての。あの男よりは俺の方が信用されてる、そう思えば嬉しくもあるけど、俺も男だからねえ。間違いが無いとは言い切れないし。

 でも、こうやって怯える姿は庇護欲を掻き立てるし。


「俺と一緒でも結果が同じ可能性は?」

「許せる相手と許せない相手が居ます」

「俺は?」

「許せる、と思います」


 いいのかよ。

 少し見上げる感じで見つめてきてる。縋るってのは、こういう目付きを指すんだろうか。

 いつまでも外でこうしてても仕方ないし。寒いし。


「分かったよ」


 ひと筋の光が差し込んだ、そんな感じだな。笑顔になってるし。


「でしたら」

「ひと晩だけ」

「はい」


 やばい。可愛い。

 マンションに入って行くと、あとから、いそいそと付いてくる百瀬さんが居て「アパートより、セキュリティがしっかりしてそうです」だそうだ。

 まあ、エントランスにオートロックあるし、さらに防犯カメラもあるし。ドアホンはモニター付きで来客を知ることができる。一般的なセキュリティレベルはクリアしてる。アパートはねえ、玄関の外イコール自由に出入りできる状態。

 若い女性なんだから本来は百瀬さんこそ、こういったマンションに住めばいいんだが。


「なんでアパート?」


 気になって聞いてみた。


「幾つか候補を挙げたんですけど、全部空きが無くて」


 地方から都市近郊に一斉に人が動く時期は、空き部屋が一時的に不足することもある。時期をずらせば空き部屋はあったりもする。選べない時期に当たって、結果、空きのある今のアパートになったとか。

 本当はここのようなマンションが良かったと。


「早めに手配しておけば良かったんですけど」


 階段を上り自室のある階へ移動し、玄関の鍵を解錠しドアを開けて、先に入ってから入室を促す。

 靴を脱いで上がり込み、廊下と呼ぶには短いスペースを抜けると居室がある。

 中に入ると「広いですね」と見回しながら言ってるし。でもね、部屋はひとつ、ベッドもひとつ。廊下と居室を隔てる扉はあるけどね。


「独身男性の部屋って、もっと散らかってると思ってました」

「散らかすほど時間が無いんだよね」

「あ、そういうこともあるんですね」


 仕事以外では寝るための部屋でしかない。生活してる感じは無いんだよね。

 それにしても警戒心皆無だなあ。さっさとコート脱いで「どこに置いておけば」とか言ってるし。

 とりあえずハンガーに掛けて、自分のコートと一緒にハンガーラックに吊るしておく。


「あ、そうだ。明日大学はどうするの?」

「一度家に帰って着替えてからにします」

「待ち構えてたりして」

「あの、怖がらせないでください」


 自宅まで付いてきて欲しいとか言ってるし。怖がらせてるわけじゃ無いけど、結果そうなってるってことで。

 床には敷物の類も無いから、ベッドに腰掛けてもらう。


「お茶でも飲む?」

「気を遣わなくてもいいですよ」

「いいよ、俺も喉乾いてるし」


 コーヒーだと睡眠の邪魔になるから、まじでお茶を淹れて出すと、手に抱え持ってゆっくり啜ってる。

 室内を軽く見回しながら「ふたりで暮らすには狭いですね」だそうだ。ひとりだから問題無いし、部屋が幾つあっても家に居る時間は僅かだ。今でさえも無駄に広い。もっと狭くて安い家賃のアパートでもいいんだけどな。


「それでだ、寝る場所なんだが」

「床でいいです」

「布団の予備とかあると思う?」

「でしたら同じベッドで」


 いやいや、それ不味過ぎるでしょ。間違いが起こるよ、確実に。

 思わず目を見つめてしまうが、微笑んでるだけで警戒心無いよ。


「俺が床で夏用のタオルケット掛けて寝る」

「駄目です。風邪ひいて店を休んだりしたら」

「だからって一緒にって」

「構いません。少しくらい手が出ても許しますよ」


 なんで? もっと警戒してもいいはずでしょ。あまりにも緩くないか?


「エアコン付けっ放しにしておけば、部屋の温度も下がらないし」

「一緒じゃ嫌なんですか?」

「間違いが」

「構いません。少しなら大目に見ます」


 あれ? これって。

 絶対無いと思って思考から除外していたこと。しかし、この状況下で許すとか大目にとか、もしかしてもしかするのか。

 冴えないおっさんだよ。三十過ぎた。そんなの相手にして気持ち悪いとか、そう思うのが若い子だと思ったんだが。


「が、我慢する」

「真面目なんですね」


 当然だ。バイトに手を出す不埒者にはなれん。頭おかしいと言われる。

 なんか百瀬さんって変わってるよなあ。何が良くておっさんの相手してるんだか。しかも部屋に上がり込んで、同衾も厭わずとか。悪趣味だって言われるよ。

 少し話題を切り替えよう。


「メニューだけど」

「あ、はい。パスタとご飯物ですね」

「一緒に作ってみる?」

「はい。ぜひ一緒に」


 嬉しそうだ。笑顔が眩しいなあ。

 話をしていたが、風呂はどうするかとなった。


「入る?」

「迷惑では?」

「構わないけど」


 と言うことで先に入ってもらうことに。ちゃんと洗面所と廊下、さらには居室とも隔てられてる。鍵も掛かるから安心して入ってていいと。

 ついでに先にタオルやら寝間着、と言ってもジャージの上下しか無いけど、それも渡しておく。


「お先に失礼しますね」

「ごゆっくり」


 思わずため息が出る。この歳になって若い子と一緒って、意外にも緊張するもんだな。数えるほどであれ、女性経験はあるにも関わらず。年齢が近い方が気楽なのは確かだ。十歳以上も下だとね。いいのかって思っちゃうし。

 ベッドに腰掛け考えていたら「お風呂どうぞ」と。湯上がりの百瀬さんもまたいい。


「お風呂も、うちより広いです」

「マンションとアパートの違いかもね」

「このマンションが良かったです」


 今さらだけど引っ越しを検討したいとか。


「今のアパートって隣の部屋の音が、結構響くんです」

「アパートなんてそんなものでしょ」

「この部屋は静かですよね」

「鉄筋コンクリート造だから、防音は木造や鉄骨系より優れてるだろうね」


 ついでに断熱性も高いし。鉄骨系の安アパートは冬寒く夏暑い。断熱材使って無いんじゃと思うほどに。

 風呂に入って出てくると、しっかりベッドに潜り込む百瀬さんが居るし。


「明日も早いですから寝ますよ」


 いいんだけど、いいんだけどさあ。その笑顔は誘ってるとしか思えない。俺の理性がどこまで持つのか試されてる気分だ。


「じゃ、じゃあ、お邪魔しますよ」

「はい」


 ベッドの端に避けてスペースを作る百瀬さんが居て、俺が潜り込むとこっちに顔向けて「おやすみなさい」と。めっちゃ顔近いし、堪らん。おっさんには刺激が強過ぎるんだよ。

 上を向いて灯りを落とすと「少しならいいですよ」じゃないっての。

 如何わしいことは無し。こんなのを目論んで脅したと思われでもしたら、明日から百瀬さんの顔見られないでしょ。


 悶々としたまま時間だけが過ぎていく。そのうち、隣から小さく寝息が聞こえてきて、どうやら完全に寝入ったようだ。

 こっちは少々目が冴えててな、酒でも煽ってから寝れば良かった。今ベッドを出ると確実に起こすだろうし。

 耐えるしか無いか。


 夢を見てるのか、しかも悪夢だ。

 地震の夢だろう、しっかり揺れを感じ取れる。


「あ」

「おはようございます」


 揺れてたのは百瀬さんが、体を揺すって起こしてたからで。

 笑顔が妙に眩しいなあ。

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