Sid.10 売り上げ向上計画とか
レシピ通りに作れば、それなりに食えるものになるわけで。ゆえのレシピだからね。そこからオリジナリティを、なんて考えて手を加えると、途端に不味くて食えないものが出来上がる。素人に毛が生えた程度の俺がやることじゃない。
だが、やっぱり言い出すんだよ。
「オリジナリティを出した方が」
「無理」
「どうしてです?」
「腕の立つ料理人じゃないから」
基礎が無い。見よう見まねで始めた飲食店だから、料理の基礎を習得してないんだよね。さすがに何年かやっていれば、包丁だのフライパンだの、それなりに扱えるようにはなる。なるけど、プロと呼ぶには遠く及ばないわけだ。
玉ねぎの微塵切りにしても、雑だから揃わないし、キャベツの千切りも一定の幅にならない。
「喫茶店を始める前は何をしてたんですか?」
某家電メーカーの営業職。エンドユーザー相手じゃなく、量販店相手に営業するだけ。これがまた、エンドユーザー相手より、相手するのが面倒くさい。優越的地位の濫用なんて、どこ吹く風で無理難題を押し付けるからねえ。
卸値を下げろなんてのは通常運転で、他店との競争があるから、先に仕入れた分も補填しろとか当たり前に言う。昨今、本部も煩くて容易に補填できない。にも拘らず「補填しないならお宅の商品、売り場の隅っこに追いやるから」と平然と脅す。
下手すれば「今後扱わないいけど、それでいい?」とか「在庫引き上げてくれて構わないんだよ」とかね。
営業所の上長に確認取ると「自分で何とかするのが営業だ。今どき補填なんて早々できるわけないだろ」でおしまい。
つらすぎて、何度バイヤーをぶん殴って辞めようと思ったか。
まあ結局、ストレスからの脱サラなわけで。一時期、抜け毛も酷かったし。シャンプーしてると毛がごっそり抜ける。もう耐えられんってなったな。営業所の上長もあっさりしたものだったな。「退職願いね。お疲れさん」ってなもんで。他に優秀な奴も居るし代わりは幾らでも居る、ってことだよな。
お陰で家電量販店を見ると胃が痛くなる。絶対行かないと心に誓ったし。幸い、今はネットで全て買える時代だし。量販店なんて、ただのショールーム扱いで充分だ。
ついでに、自分が勤めていたメーカーの製品も絶対買わないし、他人に勧めることもしない。
こんなことは、さすがに若い子には言わないけど。
「営業」
「何の営業してたんですか?」
「家電」
「どうして辞めたんですか?」
それ聞いちゃうの?
まんま言うのもなあ。
「歯車から脱却したかったから?」
「どうして疑問形なんですか?」
「まあ、大人だからね、いろいろあるわけで」
「言いたくないんですね」
君も社会に出れば分かる。どれだけ理不尽が罷り通っているか。
晩飯が済んで店の片付けも終わると帰宅する。店の施錠をして確認をし、シャッターを下ろして一旦信金へ向かい、入金後に自宅へと進むが。
ずっと付いてくる百瀬さんが居る。こんなのまで付き合わず、さっさと帰宅すればいいのに。遅い時間の夜道は危ないでしょ。
並んで歩いていると、斜めに見上げる感じでなんか言ってるし。
「あの、入金ですけど、あたしが代わりに」
まだ信用できないかもしれないけど、信用できるようになったら、それらもやっていいとか。でもね、現金持ってうろうろって、若い女性の場合はまさに鴨。襲われる可能性が桁違いに高くなる。
「これまで通りでいい」
「危ないからですか?」
「そう。リスクが高くなりすぎるから」
本来であれば持ち歩かないのがベスト。でも現実には無理だから。店に金置いておくと窃盗、持ち歩くと強盗に遭うリスク。物騒だよなあ。
家に持ち帰れば持ち帰ったで、やっぱり強盗が押し入る可能性も。
日本もすっかり物騒な国になったものだ。安心安全なんてのは、すでに過去の遺物だな。
マンションの前に来ると、やっぱり立ち話になるわけで。
寒いでしょ。こんなところで話をしてても。
「お店のメニューですけど」
「何?」
「オリジナルのものを出しませんか?」
「無理だってば」
素人に毛が生えた程度だよ。食えるものなんて提供できるわけがない。
「あたしも協力しますし、サークル仲間とかゼミの人にも」
特にスイーツ系を少し充実させれば、女子大生を中心に客層が広がるとか。
現状、近場に大学があっても、足を運んでもらえない。でも、女子大生から上の世代に受けるものがあれば、少し距離があっても通ってもらえるとか。
そこまで旺盛な商売欲は無いんだよね。ほどほどに、ってのが楽でいい。
「スイーツって言うけど、流行り廃りが凄すぎて、一時的なものにしかならないよ」
それに正確な計量が必須でしょ。目分量でなんてやったら、まともなものにならない。小麦粉ひとつとっても、目の細かい篩に掛けてとか、バターの量も砂糖の量も。
手間暇掛かけて売れなかったら、それまでの時間が全て無駄になる。材料も無駄になるし。まあ、学生だし、いろいろ試したいんだろうけど。
こう言うと俯いてぶつぶつ。「もう少しなんとかすれば、もっと売り上げが」とか。分かるんだけど、商売ってのは思い付き程度じゃ、成り立たないんだよね。
「ひとつくらい、試してみませんか?」
「効果の検証してから」
「シミュレートですか?」
「そうだね。最低限プレゼンして俺が納得したら」
分かりました、だそうだ。
早速帰ってから考えてみます、だそうで。やる気あるなあ。失敗を恐れないって言うか、考えないのも若さゆえだろうけど。
「あの、サークル仲間とかゼミの人と相談は?」
「好きなだけ。意見は多く集めた方が、それだけ客観性が担保されるから」
ひとりで考えてもね。自ずと限界はあるわけで。主観が強く入るから客観性に欠けるし。
今日は笑顔で家に帰って行ったようだ。手を振ってたし。
火曜日は店に入って、いつも通りラストまで。
そして水曜日は珍しく店に来なかった。代わりに電話で「明日一緒に行きますからね」だそうだ。ひとりで勝手に行かないように、と釘を刺された。
そして木曜日。
出掛ける支度を済ませ十時近くなる頃に、駐車場で待っていると小走りで駆け寄ってくるし。まだ寒いから服装も重ね着の状態。でも、なんか可愛らしい。
「おはようございます。ちゃんと待っててくれたんですね」
「釘刺されたし」
「車はどれですか?」
「これ」
指さす先の車はプレマシー。中古のミニバンだ。購入時の走行距離は四万五千キロで、事故車ではないが少々傷凹みがある。その分、安かったからな。最後列のシートは倒してあり、物を積み込めるようにしておいた。
ナビシート側のドアを開けてあげると「失礼します」とか言って乗り込んでるし。
ドアを静かに閉じて回り込み、自らも運転席に乗り込む。
「一時間半くらいで着くと思う」
「急がなくていいので安全運転でお願いします」
「人乗せてるからね、そこは注意するよ」
走りだすと「車、あるといいですね」だって。まあ便利ではある。ただし、維持費はバカにならない。貧乏人にとっては、とんだ金食い虫だ。持ってるだけで金が無くなっていく。
「でもさ、これで人撥ねたら」
「運転しません。マスターも注意してくださいね」
「俺? 君の話だけど」
「凝りました。運転しません」
免許は持ってるのか。無理に運転する必要は無いけどね。乗らないと感覚が鈍って、却って危ないんだけど、まあ運転する人が居るなら、無理はしない方がいい。
それにしても、ナビシートに女の子を乗せてなんて、いつ以来だろうか。大学生時代は車なんて持てなかった。就職して三度目のボーナスで車を買った。当時付き合ってた子とドライブとか、気取ってみたけど。そのあと、すぐ別れちゃったし。
結局は車も売り払ってるし。
「合羽橋ですけど、行ったこと無いんです」
「奇遇だ。俺も行ったことが無い」
「え、じゃあ、今のお店の食器は?」
「居抜きだからねえ」
全部揃ってたわけで。初期投資費用を抑えられて、開店準備は比較して楽だった。
多少の無駄はあったけどね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます