Sid.12 理想と現実のギャップ
本通りを移動しながら昼飯を食う店を探すが、何を食べたいのか聞いてないんだよ。聞こうと思って隣に居る百瀬さんを見ると、急に腕を引かれて「後学のために」とか言って洋食屋に連れ込まれそうだ。
「ここでいいの?」
「メニュー開発の参考になると思います」
熱心だなあ。自分の店でも無いのに。肝心要のオーナーは、そこまでやる気無いんだけどね。
入りたい、と言うのであれば構わないけど、店の入り口には多数のサインボード。赤白黄色のチョークを使い、メニューやワンポイントの紹介文、さらには値段も記されてる。
これでもかとアピールしてるわけだ。賑やかしにも繋がってるな。
「こういうの、採用しませんか?」
「金掛かるよ」
「そんなにしないと思います」
サインボードを見て取り入れたいんだろう。うちの店にあるスタンド看板はコーヒー会社のものだし。「◯◯◯COFFEE」と他に店名が入ってるだけだ。
アピール力は無いに等しいとは思うけど。そこに喫茶店がある、とだけ。
「店の外ですけど」
自転車を数台置く程度のスペースがあるだけ。車は一台。今は何も置いてないからシンプル過ぎるくらい。
「植木鉢とか置いて季節の花とか」
「手間掛かり過ぎるって」
「少しはアピールした方がいいです」
現状、何もしてない状態で、どうして客が来るのか、と一見正論。
必要であれば幾らでも手伝うとか言ってるし。学校はどうするのさ。君はまだ学生でしょ。学生の本文は勉強であって仕事じゃない。勉強が仕事とも言える。
「女性客を取り込むなら、店の外観にも気を使うべきです」
使いたくないんだよ。ひとりでやってるから。
忙しくなり過ぎたら死ぬよ? 過労死とかで。今は無理の無いって言うか、暇を持て余し気味なのは確かだけど。
店の前で暫しのやり取り。
「飯、食わないの?」
「あ、そうですね。中に入りましょう」
全面ガラスのドアを開け店内に入ると、外観の印象は狭そう、だったが奥行きがしっかりあって広さは充分なようだ。
少し足を踏み入れると「いらっしゃいませぇ」と女性店員から声が掛かる。語尾を伸ばすのは定番のようだ。俺は伸ばさないけど。なんか、だらしなく聞こえるんだよね。
そう言えば百瀬さんも、語尾は伸ばさないな。
ランチタイムを少し過ぎてはいるが、席の多くは埋まっていて空いた席に案内される。
「こちらへどうぞぉ」
促され店の奥にあるテーブル席へ。腰掛けると定番の紙おしぼりとお冷。布製のおしぼりなんて、最近はあまり見ないな。うちでも使わないし。クリーニングはしても清潔感の面で忌避されるんだろう。おっさんは気にしないと思うが。それで顔を拭いたり脇汗を拭ったり。ああ、そんなんだから若い女性が嫌がるんだ。
メニューを受け取り見てみると。
「マスターのお店と同じくらいか、少し高いくらいですね」
どこの店もランチは原価率が高い。通常三割程度だがランチは四割から五割。お得感を出して夜に来てもらうからな。それと数で稼ぐ。高額なランチなんて早々通えない。まあ、世の中には高額なランチを、気取って食う女性に事欠かないが。既婚男性なんてのはワンコインか、せいぜい千円以内だろうよ。少ない小遣いで昼飯食うんだから。
「マスターのお店と違って、お客さん多いですよ」
「いいんだよ。立地条件も違うし店内の広さも違うんだから」
「レイアウトの工夫で、もう少し席数増やせると思いますけど」
入り口脇の窓際にテーブル席をふたつ。壁際にテーブル席ふたつ。カウンター席とテーブル席の間は、人が四人並んで歩けるスペースがある。つまり無駄な空間があるわけだ。
でもね、そこを埋めても店を回し切れないから。
「増やしても捌けない」
「あたしが居ます」
「日中は無理でしょ」
「大学を卒業したら」
い、いやいや、何言ってんの?
「短期のバイトでしょ。就職しないの?」
「したいです」
「だよね。うちでバイトしても生活成り立たないし」
なんかちょっと不機嫌になってる。
メニューに目をやり、ぶつぶつ呟いてる感じだ。
「何頼むの?」
「パスタセットを」
「じゃあオーダーするね」
近くで待機していた店員を呼んで、パスタセットを二人分オーダーしておく。
百瀬さんを見ると目が合って「鈍いんです」とか言われた。鈍いと言われても、うちは正社員なんて雇わないし、バイトも本来不要だし。
絶対あり得ない、として考えから排除してはいたが、まさかあるのか。
いやいや、あり得ないから思考から排除したわけで。
「マスター」
「何?」
「店、もう少し繁盛させましょう」
「それはいいけど」
ひとりだと限界もあるからねえ。あんまり繁盛し過ぎても無理が来る。
それなりの売り上げが立てばバイトも、ひとりふたり雇えるかもしれんけど。
十分ほどでパスタセットが提供され、ふたりで黙々と食うのだが、ぼそっと口にする百瀬さんが居る。
「マスターの作るパスタと、ずいぶん味が違いますね」
「まあ、そうだろうね」
「何が違うんですか?」
違いはね、俺の舌の問題。西洋料理には出汁が無い。つまり旨味が少ない。具材から出る旨味成分と基本の塩胡椒、香草類をほんの少し。それだと俺の舌では物足りなさを感じる。バカ舌ってこと。繊細な味覚を持たないから、料理人としては失格。
ゆえにだ。
「調味料」
「調味料って」
「ほんの少しだけコンソメの素を入れてる」
「あ、だから」
誰が食べても旨味を感じ取れる。旨いと感じさせる反面、素材が生きて来ないから、プロの料理人に言わせると邪道。そんなものは金を取れる料理じゃない、と一蹴されるわけだ。家庭料理なら好きにすればいいんだが。
某タイヤ男の星を得るならば、そんな小手先の誤魔化しじゃない、手を掛けて丹念に作る必要があるんだよね。
「でも、美味しさは感じますよ」
「コンソメの素って、凄くよく出来てるから」
少し加えるだけで味が引き締まる。楽できるんだよ。なんとなく旨いと思わせればいいんだから。
まあ、そんな店だから妙な拘りを持つことも無い。
「手間を省いてるんですよね」
「そう言うこと」
「それはそれでいいと思いますけど」
「でもプロの料理人じゃない」
うちの味に慣れると舌が、どんどんバカになるんだよ。
そんなものを提供してるんだから、繁盛するなんて無いんだけど。本気で考えるなら、当たり前のことを当たり前にやる。調味料で誤魔化さない味を出す。
「そんなのひとりじゃ、とてもやってられないけどね」
食べ終わった皿を見て考え込んでるみたいだな。余計なことを言い出さないといいんだけど。じゃあ、うちも素材の味を活かした、なんて言い出されたら目も当てられない。
作るのは俺。寝る間も惜しんでなんて、とてもじゃないがやってられん。
「そろそろ帰る?」
「あ、そうですね」
会計を済ませるんだが「払います」と言って譲らないし。まだ慰謝料云々拘ってるのか。
とりあえず、この場は払っておくから、あとで精算してと言っておいた。
会計で揉めてると店の迷惑にもなるから。
行きでは会話もあったが、帰りはほぼ無言状態の百瀬さんだ。
頼むから無理難題を吹っ掛けないでね。ひとりでできること、できないことがあるんだよ。
学生だと、その辺の理解は難しいだろうけど。なんでもできる、なんて考えがちだからね。現実を知らないってのもあるし。
料理を提供する、接客をする、なんてのは表だけを見てる状態。裏に回れば食材の仕入れ、原価計算、光熱費や家賃に減価償却なんてのも。今は人件費まで考える必要が出てきたし。
考えるべきこと、やること多いんだよ。
帰りは行きよりスムーズに移動できて、一時間十分くらいで着いた。
店頭のわずかなスペースに車を押し込んでおく。
「じゃあ荷物を店に」
「はい」
シャッターを開けてドアを解錠して店内に。
「全部出して洗いますか?」
「いや、それは俺がやるから」
「手伝いますよ」
言い出すと譲らない。頑固な性格してるんだよなあ。
結局、梱包を解いて片っ端から洗う。洗い終わってひと息吐いた。
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