Sid.6 シフト外でも仕事する
結局、俺が勝手に躓いて怪我した、ではなく事故だったと知れたわけで。
「女子大生?」
「そうですよ」
「可愛いのか?」
「さあ」
大学が近いからなあとか、出会いもありそうだったのに、今まで無さ過ぎたんだよなあ、とか。学生が来るような店じゃない。派手さも無ければ映えも無い。そんな店に来るのは常連のおっさんだけだ。
それでも百瀬さんが、学生を連れてくるなんて言ってたけど。
「実は狙ってたんじゃないのか?」
「何をです?」
「出会いだよ。マスターに惚れてて、事故を装ってお近付きとか」
「あるわけ無いんですよ」
そんなのはフィクションの中だけ。偶然の出会い頭の事故でしかない。
本気でぶつかってきたんだし。軽い怪我程度で済んだが、もしかしたら重傷ってのもあっただろうし。そんな加減ができるはずもない。
「ってことです」
「はあ、夢が無いなあ」
「でもよお、報酬無しでもいい、なんて言ってんだろ」
「慰謝料代わりだそうですよ」
普通なら親にでも泣きついて、慰謝料支払うもんじゃないのか、と。
店が見違えるほどに掃除されて、そんなに尽くすのなら、間違いなく惚れてるとか言ってるよ。
無いって言うか、そんな希望を持つことは無い。加害者と被害者であって、今は雇用者と被雇用者の関係でしかないし。
暇を持て余すおっさんにとって、ただの面白ネタでしか無いな。
「いつ来てるんだ?」
「火金が午後三時から、日曜日は朝からだそうで」
「じゃあ、明日になれば拝めるってわけか」
「マスターの彼女候補だな」
無いってのに。しかも日曜日にも来る気かよ。相当暇なんだな。たまには奥さんとか家族サービスでもすればいいのに。俺を弄って時間潰すより有意義だと思う。
でもあれか、すでに相手にされないとか。長年連れ添うと鬱陶しい存在になるんだろう。そうなると、結婚ってのも考えものだな。いずれ邪魔者扱いされて、家に居場所が無くなるわけか。独身の方が気楽かもな。
常連のふたりだが、明日を楽しみにしてるぞ、とか言って昼前に店をあとにした。せめて食事してくれればなあ。時々、気が向いた時しか飯食わんし。
腹減ると他所の店に行ってるんだろうなあ。もう少し食事メニューを考えた方がいいか。
ランチタイムになると、ランチだけ常連客や、一見客が来店して少しだけ賑わいを見せる。稼ぎは大したこと無い。利益が低いからな。
それでも多少は数字に結び付くから、安価で利益率が低くても、続けざるを得ない。
午後三時前には暇になり、午後五時になると百瀬さんが来たようだ。
仕事じゃないのに来るんだよ。
「マスター。おはようございます」
ドアベルがカランカランと鳴って、笑顔で入店してくる。
店内を見まわして「相変わらずお客さん、居ないんですね」と。後方には学友なのか、サークル仲間なのか知らぬ顔が複数。
「新しい常連客候補です」
店のため、ってのは分かるが、次々よく連れて来られるなあ。顔の広さは尋常じゃないのかもしれん。
知人であろう存在にはテーブル席に座ってもらい、カウンターに入り込んできて。
いやいや、今日は仕事じゃないでしょ。
「あのさ」
「なんですか?」
俺を見ながらエプロン装備してるし。すっかり仕事する気満々じゃん。
「今日、シフトじゃないよね」
「運ぶのくらいやりますよ」
「じゃなくて」
「自発的にやるだけです。問題無いはずです」
これ、あとで時給に加算しておくしかないか。言っても無駄そうだし。
連れて来るのはいいけど、その度に働かれるとね、利益がごっそり減るの。自分の給料分の客をって思ってるんだろうけどさ。でも四人がコーヒー一杯なら足りない。
もう少ししたら赤字決定かも。
店、あとひと月すら持たないかもしれん。
「先輩。マスターに怪我負わせたんですよね」
「そう。だからね、こうやってお手伝い」
「好きなんすか? マスターのこと」
「え? べ、別に、そう言うわけじゃないから」
にこにこしながら、キッチンに入ってエプロンして、しかも仕事日じゃないとなれば、勘繰られるのも当然だろうに。
で、今回は後輩なんだ。サークルってわけでも無さそうだ。
ゼミの仲間とかか?
「何仲間?」
「ゼミです」
まあそうだと思った。
しっかり接客してるし。他にも客が来たら、しっかり相手してるし。仕事してるじゃん。ただ働きってわけに行かないよなあ。持ち出し増える一方だ。
この日も結局、ラストまで居残って片付けしてるよ。
途中でゼミの連中は帰ったけどさ。口々に「恋する乙女っすね」とか「恋路の邪魔はしません」とか「良い一夜を」とかな。良い一夜ってなんだよ。大人のあれか?
勘違いも甚だしい。けど、そう見えちゃうのも仕方ないか。俺も勘違いしそうになるし。
「明日も来るんだよね」
「はい。しっかり償います」
償いになってない。こっちが干上がるだけで。
言っても聞かないしなあ。給料から慰謝料支払います、とか、何の冗談だっての。
笑顔で店内の掃除してるし、挙句、鼻歌まで歌ってるし上機嫌だな。
作業の手を止めて「店の写真とかメニューの写真、撮っていいですか?」って、なんで?
珍しいものも無いし、至って普通って言うか、目に留まるようなものも無い。平凡すぎて面白味も無いでしょ。
「撮っても、いいね、なんて付かないよ」
「目的が違いますから」
「じゃあ何?」
「いずれ話します。撮っていいですか?」
目的がはっきりしないけど、店内撮っても意味ないと思うけどねえ。
まあ撮りたいってんなら。口コミサイトで宣伝する気? 無駄だと思うけどね。うちの店、口コミゼロだから。
ひとつ、ふたつ入ってもねえ。評価が星五つです、なんて眉唾ものでしょ。
「いいけど」
「じゃあ」
スマホを取り出しせっせと撮影してるし。
「明日、コーヒーとか料理も」
「お客さん用は駄目だよ」
「あたしが注文します」
なんだかなあ。
店を閉めて信金に入金して、並んで帰るけど、先に帰るって選択肢は無いんだね。
「いつもこんな時間で大丈夫なの?」
「ひとり暮らしですよ」
「だから逆に心配になるんだけど」
「あ、嬉しいです。心配してくれるんですね」
そりゃねえ。多少治安がいいとは言っても、夜中に女性のひとり歩きなんて、鴨葱でしょ。頭のおかしい奴には事欠かないし。変質者も多いし。
被害を被ってからじゃ遅いからねえ。問答無用で暴力に訴える奴も居るんだから。
マンションの前まで来ると「結婚しないんですか」と聞かれた。
「相手居ないから」
「居てもおかしくない感じです」
「稼ぎ無いのに、誰が結婚するのさ」
それもそうですね、じゃないって。今のは抉られた。
やっぱり世の中の女性にとって、男性の稼ぎは重要だよなあ。稼げない男に魅力なんて皆無だろうから。なんだかんだ言っても、女性もまた自立しきれてない。あくまで男性の稼ぎを当てにしてるんだから。
本気で自立すれば男女格差も無くせると思うけどね。
「でも、そんなの気にしない人も居ると思います」
「そうだね。すでに年収数千万とかの女性ならね」
「そんな人じゃなくても」
「婚活中の女性が求める年収、四百万から六百万だって」
昔に比べたら現実を見てるとは思う。三高なんてのも無くなったし。それでも若い世代の年収のボリュームゾーンは、四百万以下。貧しい国だよなあ。
俺なんかもっと低いぞ。ぎりぎりで生活してるし。
とても結婚なんて考えられる状態じゃない。ひとり分でさえ四苦八苦だ。
「妥協に妥協を重ねて、互いに支え合えないなら、結婚なんて無理」
ちょっと残念そうな表情してるけど、現実は厳しいのよ。
ましてや自営業者なんて、一番忌避される業種でしょ。安定感ゼロだし。公務員の方が人気あるでしょ、今どきは。その公務員も非正規雇用が増えてる始末だし。
世知辛いなあ。
話が済んだのか「あの、お疲れさまでした」と言って、帰宅したようだ。
毎回、この場で話をして時間がね。三十分は話し込むし。
次も話し込むなら、家に上げた方がいいのか?
いや、でも、襲う気かとか言われそうだし。無しだな。
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