Sid.5 妙に慣れてる女子大生

 閉店時間になり百瀬さんが、外の看板を仕舞い込み、テーブル席の拭き取りや卓上調味料の補充をしてる。「塩胡椒のストックはどこですか」と聞いてきて、率先してやってるからね。慣れてんなあ。

 俺はと言えばレジ締めの最中で、もうお任せ状態だけど。

 横目で見てると、椅子やテーブルの向きも直してるし。かなり神経質なのか几帳面なのか。床の掃除にしても念入りだ。綺麗好きってのもあるのか。


 金勘定を済ませて思う。いつもより売り上げあるなあと。この調子で客が増えれば、百瀬さんに給料払えそうだ。

 指示するまでも無く、手が空くとキッチンに入ってきて「シンクとか調理台の掃除しますね」だってさ。コンロ周りは俺がやってるから、それ以外をやってくれてる。


「キッチンの床が油で滑りやすいです」

「まあ、油はねあるし」

「掃除しておきますね」


 洗剤はどこに、と聞かれてカウンターの下に、と答えておく。


「あと、素手で洗剤に絶対触らないようにね」

「荒れるからですか?」

「ぼろぼろになるよ。保護メガネも一緒に置いてあるから、それも使って」


 業務用の強力な洗剤だからね、家庭用と違って皮膚の脂分なんて根こそぎ奪う。

 目に入ろうものなら痛いなんてもんじゃないし。

 洗剤のパッケージをよく読んでるようだ。俺のように何も考えず、いきなりぶちまけて失敗したのとは違うな。

 床の目立つごみを取って、水で希釈した洗剤を撒いて、デッキブラシでごしごし。洗い流すとモップで拭き取ってる。


「それ、毎日やるの?」

「二日か三日に一回はやった方が、あとが楽ですよ」

「まあ、そうなんだろうけど」

「ギトギトでした」


 暇を持て余してたのに、ひと月くらいは放置してたし。


「ところで、靴はいいの?」

「仕事用の靴です」

「え、そうなんだ。用意いいね」

「仕事ですよ。普通だと思います」


 何も言う必要が無い。慣れてる程度の話じゃないな。


「実家、飲食店でもやってた?」

「やってないですね。高校の頃からバイトしてました」


 これまでに個人店やチェーン店含め、八店舗くらいの経験があるらしい。完全マニュアル化されたチェーン店は、マニュアル通りの作業しかしない。個人店は店によって手順が違ったり、すべきことや、手を出さなくていい部分があり、考えながらの仕事が多かったとか。

 チェーン店では勉強にならず、個人店で身に着けたスキルだそうだ。


「学びが多いのは個人店ですね」

「まあ、そうだろうね。大手のチェーン店は役割分担が明確だし」


 一から十まで熟す必要があるのが個人店。誰かの指示を待ってたら商売にならん。

 売り上げにしても自力で考える必要がある。金出してコンサルに依頼なんて手段も、無いわけじゃないが、必ず儲かるなんて保障も無い。

 結局は自分で考えて行動するしか無いからな。


 カウンター周りも、丹念に掃除してくれたお陰で、見違えるほど綺麗になったなあ。


「お疲れさん。食事はどうする?」

「家で食べます」

「軽いもので良ければ作るけど」

「お金払います」


 要らないと言っても、償いにならないって、そこだけは頑なに譲らん。

 頑固だ。

 信金に行き当座預金口座に入金を済ませ、家に帰ることに。


「日曜日は朝から入れます」

「実労八時間以内でね」

「一週間の総労働時間数で見たら、十時間でも問題無いです」


 十時間分の給料ってさ一万超えるんだけど。今の売り上げベースじゃ払えないって。神奈川の最賃、千七十一円なんだからさあ。


「ってことだから」

「無くても構いません。償うために働いてるんです」

「対価は何であれ払う必要あるんだけど」


 マンションの前で別れるが、見上げつつ少し顔を近づけてきて「日曜日は閉店まで働きますからね」だそうだ。まつ毛長いし二重瞼がはっきりしてて、涙袋が少し目立って愛らしい。垂れ気味の目尻と反対に眉毛は意志が強そうな。

 じゃなくてだな、学業に支障出ても困るんだけど、と言っても聞き入れなかった。すでに単位のほとんどは取得していて、春からは四年生になる。多くの学生が就職活動に入るだけで、まともに学校に通う人なんて居ないとか言ってたな。

 その辺は俺も変わらなかったけど。実質三年で単位の多くを取得し、四年の夏までに内定貰うことに必死になる。バカな慣習をいつまでも続けてるな。企業のトップがバカ過ぎて柔軟性が無いからだな。

 まあ、そんな日本の企業に嫌気差して、脱サラで店始めたのもあるし。

 大手に就職しても所詮は歯車でしか無い。


 家に帰ると帳簿を付けておく。

 店でやればいいのだが、光熱費を考えると自宅でやった方がいい。自宅なら照明ひとつで充分明るいし。店じゃ一個だけ点灯ってのも無理。スイッチひとつで複数の照明が灯るからね。

 紙の帳簿じゃなく電子帳簿になり、パソコンでの入力が主。嵩張らなくていいのと、手書きと違って計算しやすく全体を把握しやすい。

 ただ、導入コストがな。負担ばっかり増えてる。


 翌日、いつも通りに家を出ると、路上で遭遇した。


「おはようございます」

「あれ? チャリは?」

「怖いのでやめました」


 チャリの使用はやめて、徒歩で駅と自宅を往復してるそうだ。事故って本気で懲りたんだな。注意して乗れば済む話なんだが。

 少しの間、並んで歩くが余所見、って言うかこっち見てにこにこ。俺が学生だったら気があるな、とか思っただろう。あいにく、三十を超えるとな、そんな願望や妄想を抱くことも無い。


「学校、今の時間からで大丈夫なの?」

「今日は二限目からです」


 ああ、そうだった。大学だもんな。

 見た目がな、少し幼く見えるせいだ。服装はそれなりなんだが童顔。背も高くは無いし顔小さいよなあ。つやつやの髪はセミロングで、内巻きストレート。ダークブラウンの髪色は落ち着いて見えるんだけどね。


「出身ってどこ?」

「山形です」

「へえ。なんで東京じゃなくて神奈川?」


 こっち見てる。じっと見つめてきてる。何?

 前見て歩かないと躓くよ。


「食品関連で働こうと思ってたんです」


 ああ、だからあの大学。バイト先が全て飲食店だったのも、実地で学ぼうと思ったからだそうだ。

 単に誰でもできる仕事先、として選んだわけじゃ無いとかで。

 また見つめてきてるし。何? 俺の顔に何か付いてる?


「就職先、決まりそうです」

「そうなんだ。どこ?」

「身近な場所に良さそうな感じの」

「で。どこ?」


 まだ教えません、だそうだ。

 信金の前まで来ると、お辞儀して駅に向かったようだ。

 こっちは今日の分の釣銭を用意しておくわけで。


 釣銭の用意をして開店準備を済ませるが、行き届いた掃除のお陰で楽だ。

 軽くテーブルだのカウンターにダスター掛け。床は綺麗にしてくれてるし、トイレも磨いてあるし。俺のやることが一気に減ったなあ。

 仕込み、と言っても、せいぜいホワイトソースだの、米を炊くだのパスタを事前に、軽く茹でて一人前ごとに分けておくだけ。あとは水出しドリップ。これに一番時間が掛かる。

 ネルをセットし焙煎済みの豆を挽き、ゆっくり水を注ぎ足しながら、染み出てくるのを待つだけ。

 少し時間ができるとコーヒー豆の焙煎もしておく。

 ロースターで、これまたじっくりロースト。コーヒーの香りが店内に広がる。


 開店すると少しして常連客二名ご来店。

 毎日暇持て余してんなあ。


「いらっしゃいませ」

「いつもの奴、ふたつ」


 カウンター席に腰掛けると、早々に俺を見て「機嫌良さそうだな」とか言ってるし。いつもと一緒だと思うんだがな。


「なんかあったか?」

「いえ」

「店、やけに綺麗じゃないか」

「まあ」


 誰か雇ったか、とか聞かれた。


「バイトをひとり」

「これか?」


 これ、とか言って小指立てるなっての。品が無いなあ。まあ俺以上におっさんだし、その辺は仕方ないのかもしれんが。


「違いますよ」

「売り上げ無いのによく雇えたな」

「事情がありまして」

「怪我と関係するのか?」


 隠しても仕方ないから、事故の当事者が償いと称して、バイトしに来たと言っておいた。


「律儀だねえ」

「ただで働かせないってのもな」


 俺かよ。

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