Sid.4 バイト初日の女子大生
落ち着ける店がある、と言ってサークル仲間を誘ったそうだ。
他に客の居ない時間帯なら、静かだし落ち着けると言えば言えるのか。単に寂れた店ってだけと言えそうだけどな。
「丁度いいなって思ったんです」
「何が?」
「仲間内で気兼ねなく話ができる感じが」
混雑するカフェは騒々しく、ゆっくり話をするのに適さないとか。人の数が多ければ必然的に声も大きくなる。そうなるとさらに声を張り上げる必要も出る。結果、騒々しい店内となり、会話を楽しむ雰囲気ではなくなるわけで。
意外と大人な思考をするんだな。今どきは映えスイーツとか、なんでもかんでも映えを意識して、そんな店ばかりがクローズアップされるのに。
会話なんて一切無くて、せっせとスマホで写真撮って、ネットにアップして「いいね」の数で一喜一憂。承認欲求の塊ばっかりと思ってたけど。
で、カウンター席に陣取った学生たちの会話が始まった。
オーダーは全員一番安いブレンド一択だったけど。まあ出す方は楽だ。一応本格コーヒーを売りにしてるけどね。自家焙煎と水出しネルドリップで出すコーヒーだから。ホットの場合はそれを加熱して出すし、アイスの場合はそのまま出せる。
サイフォンや通常のドリップより、深みとコクに香り高いコーヒーを出せるんだよ。ちなみに水は格好つけて外国製ミネラルウォーター、なんて使わない。雑味を増やすだけ。水道水を浄水器でろ過した方が、遥かに癖の無い味わいになるからね。
そんな拘りよりもマシン抽出の方が主流になってるけど。あれは雑味が多い。
「百瀬さん。ここでバイトするの?」
「今週の金曜日から」
「タダ働き? 暇そうだし、給料出そうにないよね」
「目的が違うから」
小遣い稼ぎじゃなくて「償い」だからと。サークル仲間にも事故を起こしたことを言ってるようだ。
償いとか要らないんだけどなあ。
「え、じゃあ、まじでタダ働き?」
「違うってば。給料から慰謝料を払うの」
「それって店からしたら、出した分が戻るだけ」
「だから、売り上げが上がるようにね」
こうして仲間を引き連れ、暇な時間帯を中心に客で賑わせようと。その増えた売り上げ分で自分の給料を賄うんだとか。
なんか、ずいぶんと考えてくれたんだね。いい子だなあ。
「だから、みんな今日だけなんて言わないで、毎日来てあげてね」
「毎日は無理だ」
「言葉の綾だってば」
「でも、まあ落ち着けるから、サークルの会合で使えるかも」
サークル仲間以外の友人にも広げて欲しいそうだ。そうやって学生を呼び込めば、店も繁盛するし自分の給料も出るからと。
大学からは少し離れてるけど、同じ大学の学生で騒々しい空間とは異なり、ゆったりした時間を過ごせるんだとか、熱弁してる。
働かなくても、それで充分、償ってくれてると思うけど。店のことまで気遣ってくれてるし。
律儀な性格してるんだな。今どきの子とは思えないほどに、いい子だ。
二時間ほどで会計を済ませ店をあとにする学生たちだ。
帰り際に「これからもっと呼び込みますから」と言ってた。友達、多いんだね。性格の良さとかもあるのか、付き合いの幅が広いのか。気遣いってのも好かれる要素だな。人に好かれる性格してるんだ。
ちょっと、あの大学の学生を見直した。
定休日を挟み金曜日になると、ちょっとだけそわそわする自分が居る。
この店の客層がね、おっさんとサラリーマンばっかりだったし。若い子が来てくれると、それだけで華があるなあとか、そんな自分もおっさん思考。
午後三時になる少し前にドアベルが鳴り、数人程度引き連れて百瀬さんが来た。
「今日からお世話になります。百瀬瑞樹です。よろしくお願いします」
名乗らなくても教えてもらってるし。
その辺も妙に律儀な性格してるんだね。友人であろう人物にはテーブル席を案内してるし。慣れたもんだなあ。バイト経験はあるんだろう。
「じゃあ、契約書」
「はい」
カウンター席に座ってもらい契約書に、必要事項を記入しておいてもらう。
連れてきた友人たちからオーダーを受け、やっぱりブレンドを人数分。
真面目な表情で書かれた契約書を差し出してきて「これでいいですか」と。
さっと目を通して問題無しとして、働いてもらうんだけど、今のところやることは無い。
「店の外を掃除しておきますね」
「あ、ああ頼むね」
箒と塵取りを渡すとご機嫌な状態で、ドアを開け店の外で掃き掃除してるし。
テーブル席の友人たちは、そんな百瀬さんを見て。
「瑞樹、張り切ってる」
「楽しそうだよね」
「バイトで喜んでるし」
これはあれだ、とかこそこそ。
含みのある言い方で、こっちを見てにやにや、外に居る百瀬さんを見てにやにや。
戻ってくると「ご苦労さん」と声を掛けると、友人たちも「瑞樹、償いだけじゃないよね」とか言ってるし。
そうなると「そんなことない」とか言って否定してる。
「楽しそうじゃん」
「だよねえ」
「そうかそうか。瑞樹の趣味なんだ」
「違うから。償いなんだから」
否定すればするほど面白がられるんだよ。そこは適当に「はい、そうですよ」とでも言えば、逆に白けて大人しくなるものだ。
まあ若いからな。
百瀬さんがこっちを見て「マスター。トイレとかキッチンも掃除しますよ」とか言ってる。
「キッチンは閉店後に。トイレはまあ、清潔なのはいいことだし」
「じゃあトイレ掃除してきます。道具は?」
「トイレに棚があって、中に入ってるから」
嬉々としてトイレ掃除に向かう百瀬さんが居て、にやにや、いやらしい笑みを浮かべる友人連中だ。
トイレ掃除の間、友人連中からこっちにお鉢が回ってきた。
「マスターって、歳幾つなんですか?」
不躾な質問だなあ。
「三十二ですよ」
「このお店っていつからやってるんです?」
「三年前からですね」
「瑞樹って可愛いと思います?」
いきなり本題か。
「まあ、若いから愛らしく見えますよ」
「惚れたりしないんですか?」
「そういうことは考え無いことにしています」
「えーでもー、様子見てれば分かりますよね」
考えたら駄目。昨日まではお客さん。今日からは従業員として見るもの。愛だの恋だの思わない方がいい。三十過ぎのおっさん相手に本気になるわけ無いってね。
つい調子に乗って惚れられてる、なんて期待するとあとで落ち込む。
あくまで償いとして働きに来てる、ってのを信じた方が精神的に気楽だからね。
「告白されたら受けます?」
「あり得ません」
「ありそうだけどなあ」
「恋する乙女になってるよねえ」
トイレ掃除から戻ってくる百瀬さんが居て、友人達の冷やかしが始まってるし。
「みずきぃ。マスター信じてないって」
「何を?」
「瑞樹が恋する乙女になってること」
「な、なってないから」
顔赤いぞ、とか照れ隠ししてもバレバレとか、いろいろ言われてんなあ。ああ、青春だ。
事故の償いをしに来てるのであって、下心は無いとか言ってる。
「下心しかないじゃん」
「違うってば」
「でも、応援してるからさ。時々ここに来て後押ししてあげる」
「だからあ、そんなんじゃないのに」
そこで俺を見て頬を赤らめて俯くとね、さらに勘繰られるんだよ。平常心を持てと言っても若いから無理か。今どきの大学生にしては純情だね。
もっと爛れてるかと思ったけど、たぶん人によって違いがすごく大きいんだろう。
「ま、マスター。他にやることないですか?」
「今は、無いかなあ。友達と話してていいよ」
「マスター。あたしたちじゃなくて、マスターと話ししたいと思いますよ」
「仕事中ですので」
仕事中って言うほどに客居ないって確かにそうだけど、そこはね、従業員と話をするのは無し。お客さんとのコミュニケーションは、あっていいものだけど。
今までの午後三時から五時の間は、暇を持て余し眠気に抗っていた。でも今は少しだけ賑わいも出てきた。
切っ掛けは事故だけど、なんか、こういう時間ってのは楽しいものだ。
百瀬さんが友人に食事もして行け、とか言ってるし。
「恋する瑞樹の奢り?」
「それ違うし。ちゃんと貢献して」
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