Sid.3 無賃労働は禁止だけど

 慰謝料の支払いが困難だから、代わりにタダ働きをすると言ってるけど、そもそも慰謝料なんて要らないと言ってるのだが。無理に払わせる気も無いし、反省して見せたのだから、それで充分なんだけど。

 反省の意思が窺えないとか、すでに一定程度の収入を得ている、であれば請求するに吝かではないが。

 無賃でもいい、なんて律儀だとは思うけどね。


 まあ、方法が無いわけでも無いか。


「店の売り上げに結び付かない行動なら」

「どんなことですか?」

「うーん……指示してやらせるとアウトだから」


 無いな。俺の部屋の掃除とか、俺の飯を作るとか、家のことなら問題無いんだろう。店のトイレ掃除だって客のため、って名目があるし。清潔な厨房も同じく。店の外を掃除するのだって、客を気持ちよく迎えるため。

 カウンター席に座ってるだけなら、なんら問題無いけど。


「暇な時にカウンター席に座ってるだけで」

「それだと何もしていませんよ」

「でも、暇な時の話し相手にはなるでしょ」


 誰のため、なのかと言えば、俺のための行動だから。それなら問題は無い。

 まあ、俺が気分よく仕事できる点で、結果売り上げ増に繋がるなんてのも無いし。客の居ない時間帯に話し相手になってもらうだけ。売り上げ云々関係ないわけで。


「だから違法性は無し」


 不服そうな表情してるし納得してない感じだな。

 でもね、無賃労働はアウトだから。


「怪我してます」

「すぐ治るよ」

「治るまでお手伝い」


 譲らんなあ。これで骨折でもして業務に支障があれば、また条件が異なるけど、それでも無賃労働は無いな。払うものは払わざるを得ない。そこから慰謝料を徴収するって形になる。

 暇だからなあ、持ち出す額の方が結局多くなるんだよ。速攻赤字に転落するな。


「ってことで、対価の支払いが発生しない範囲で」

「面倒臭いんですね」

「そう。社会は面倒臭くできてる」


 これも労働者の権利を守るため、だからね。そう言った法律が無いと、雇用する側の横暴が幾らでも罷り通る。ブラック企業なんてのは、法律があっても守る気無いけど。

 俺も悪徳経営者だったら、これ幸いとばかりに働かせたんだろう。

 なんか、半端に善人体質なのか、できないんだよねえ。


 店の外で話をしてても仕方ない。


「まだ話ある? あるなら中で」


 看板を持って店内に入ろうとしたら「それ持ちます」とか言ってるし。まあその程度ならいいけどさ。

 看板を持って店内に入る百瀬さん。俺が先に入ってカウンター席に座って、と促し座ってもらう。


「なんか飲む?」

「お金払います」

「要らないって」

「あたし、何もしてません」


 怪我させて何ら償えてないと言ってる。

 怪我の手当てしてくれたじゃん。それで充分だと言っても納得しないし。


「じゃあ、余ってて廃棄予定の牛乳と傷んだバナナあるから」


 バナナシェイク作ってあげる、と言うと「お金払います」とか言うし。梃子でも譲らんな。

 仕方ない。


「十円でいいよ」

「それだと元が取れないですよね」

「いいんだよ。廃棄するより僅かでもお金になる」


 納得はしてないようだけど、作って出すと財布を取り出し、百円硬貨をカウンターに置いてる。


「十円」

「無いのでこれで」

「おつり」

「要らないです」


 頑固だ。


「じゃあ、おかわり自由だから」

「そんなに飲めません」


 やれやれ。どうしたものか。


「あの」

「何?」

「店に来て座ってても勝手にやったら、問題無いんですよね?」


 つまり言われずとも勝手に給仕するとか、そう言うこと?

 指示したり命令したりしなければ、自発的行動だから問題無いって解釈か。グレーかもしれないしアウトかもしれないし。

 まあ、話し相手として来てくれれば、それで充分だけど。勝手に行動するのまで止められない、って屁理屈は押し通せるか。

 じゃないな。

 これも仕方ない。持ち出しの方が多くなるけど。


「じゃあ給料は払うから、そこから払える分だけ慰謝料ってことで」


 表情が明るくなったな。

 なんか押し切られた感じだ。


「火曜日と金曜日、それと日曜日に来ます」


 時間は火曜と金曜は午後三時から、日曜は朝から入れるとか言ってるし。

 勝手にシフト希望出してるよ。

 明日から節約生活するしかない。何の因果でこうなったんだか。


 一応、雇用契約書の類は作っておく。

 そんな用紙は店には無いから、次に来る時までに用意しておくってことで。住所氏名緊急連絡先等々記載してね、と。


「履歴書とか必要ですか?」

「要らないよ」

「そうなんですか」


 話がまとまり帰ることに。


「家、近いんだっけ?」

「はい」

「ひとり暮らし?」

「そうです」


 そうか。これ、俺が悪党だったらって、考えないのかな。無防備と言うか世間知らずって言うか。

 レジに金を残すと強盗が侵入して、ただでさえ少ない売り上げが激減する。だからATMに入金するため、すぐ傍の信金に行くと言うと付いてくる。

 今日は余計な話をしていたせいで、ぎりぎりの時間になったな。

 信金のATMに僅かばかりの売り上げを入金し、自宅へと帰るが隣を歩く百瀬さんは楽しそうだ。


 旧東海道を駅とは反対方向へ進み、自宅マンションが見えてくるが、百瀬さんはまだ先のようで横道に入ると少し寂しそうな。

 呼び止める感じで尋ねてくるし。


「あの、住んでるところって」

「そこに見えてるよ」


 俺の視線の先を見て「近いんですね」とか言って、またこっち見て、何か期待する雰囲気を見て取れる。気のせいかもしれないけど。


「百瀬さんはもっと先だっけ」

「ここからだと歩いて十分くらいです」


 駅まで徒歩十七、八分くらいだから、雨天以外はチャリで向かうそうだ。


「でも、今日事故を起こして、怖くなりました」


 人を巻き込むことの恐怖を実感したらしい。もし死んでしまったりしたら取り返しが付かない。今まで意識することも無かったが、当事者になって理解できたとも。

 まあ、みんなその辺は一緒だと思う。事故を起こして初めて事の重大性を理解するんだよ。重大性を理解しない奴も一定数居るけどね。責任転嫁する奴とか。

 ただ、そう思えたってことは結果良かったわけで。今後は無謀な運転はしなくなるだろうから。


 金曜日から働きに来る、ってことでマンションの前で別れた。

 人件費は頭が痛い問題だな。どうやって捻り出すかと言えば、節約するしかないわけで。

 慰謝料として給与から徴収なんて、できるわけ無いし。

 ああ、実に頭が痛い。


 翌日、普段通りに店を開け午前中は常連客の相手。


「いつも暇そうだなあ」

「いいんですよ」

「俺らの憩いの場だから潰れないでくれよ」

「潰す気は無いです」


 おっさんふたりの常連。十時からのモーニング、五百円で昼まで粘る。

 十時に店を開けても、来店客はせいぜい五人くらいで、うちふたりが常連ってすでに終わってる。それでも常連客は時々食事もしてくれるけどね。

 ランチで辛うじて売り上げが立つが、店が狭くて三十人弱程度の客が来て終わり。ランチはお得感を出すために、原価率が高いから利益は少ない。

 三時過ぎると暇な時間帯に突入し、午後五時以降に少しだけ。

 喫茶店なのに三時以降の客足が無いって、致命的だよなあ。どうせなら大学の傍に出店すれば良かった。


 暇な時間帯にドアベルが鳴る。


「いらっしゃ……仕事は金曜日じゃ?」


 百瀬さんだ。今日じゃないよな。


「友達連れてきました」

「え、また?」


 ちょっとむくれ気味に「また、じゃないです」と。店内に入ってくると、後ろから五人ほどの学生らしき存在。

 男子学生三人と女子学生ふたり、合計六人。

 まさか奢りとかじゃないよな。


「奢り?」

「違います」


 全員が揃ってカウンター席に腰掛けるし。口々に「こんな店あったんだ」とか言ってる。この近隣に住んでなきゃ知らないよな。

 テーブル席使えばいいのに。とは言え四人とふたりになるから、横一直線のカウンターがいいのか。喫茶店のテーブル席って、そもそも狭いし。


「友達って多いんだね」

「サークル仲間です」

「ああ、サークル」

「今後、知人をたくさん連れてきます」


 そりゃ助かるけど顔広いんだ。

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