喫茶店のアラサーマスターをチャリで撥ねた女子大生は同棲生活を望んでる
鎔ゆう
Sid.1 出会いは衝撃とともに
午前八時。
ジリジリと鳴り響く目覚まし時計。耳障りな音が覚醒を促す。微睡の中、手を伸ばしヘッドボードに置かれた、目覚まし時計のアラームを止める。
四年前から住み着いた、単身者向けの四階建てワンルームマンション。三階に位置する居室部分は十畳ほどで、ベッドとリビングテーブルに本棚や、ローボードを置いても余裕がある。そこそこの広さでありながら、鉄道最寄り駅は徒歩十分で各駅停車のみ、ゆえか家賃は安い。急行停車駅は総じて家賃が高いからな。
ベッドから起き上がり、窓際に立ちカーテンを勢い引き開ける。
眩しい、くはないようだ。
日差しが届くようで届かない。どんより垂れ込める曇り空、でもない。薄曇りと言う奴だ。肌寒さも和らぎ春の訪れを感じさせる。
窓を少し開けて外気に触れるが、風はまだ冷たいか。
寝惚け眼のまま洗面所に行き、歯磨きだの顔を洗い身嗜みを整えた。
優雅にブレックファスト、なんてのは引っ越してきた当初だけ。今はと言えば消費期限切れの食パンをトーストし、スプレッドを塗り口に押し込み、それをインスタントコーヒーで流し込む。腰を下ろして食する、なんてのは無いわけで。キッチンで立ち食いスタイルがすっかり定着している。
一応、食パンは消費期限切れ寸前で冷蔵庫にイン。早々腹は下さないし、下したことも無い。
食事が済むと口を濯ぎ、用足しをして着替え家をあとにする。持ち物と言えばスマホに財布と、キーホルダーに下げた複数の鍵だけだ。
ここまでに掛かった時間は四十分。
玄関を出て施錠するが、念のためドアノブを回し、施錠されているか確認も欠かさない。
階段を下りてエントランスホールを抜け、外に出ると駐車場がある。
車での移動はしないから、そのまま歩道に出て仕事場へと向かう。
マンションの隣にある郵便局の角を曲がり、旧東海道藤沢宿に出るのだが。
やたらと強い衝撃を食らった気がする。
視界が流れ空が見えたと思ったら、郵便局の建物が視界を流れ、さらに地面が横に見えているようだ。
何が起こったのか、即座に理解できなかったが、少しして倒れていると認識できた。ついでに足だの腰に強い痛みがある。
視線を動かすと、たぶんチャリだろう、横倒しになっているようだ。
その先に、投げ出されたのか女性が転がっている。
通勤時間帯で人通りは多いが、誰もが急いでいるせいか見て見ぬ振り。しっかり避けて足早に駅に向かう。日本人って薄情なんだよな。我関せずを徹底してるし。
体を起こすと腕も肩も痛いが、倒れている女性に近付き様子を窺うと、どうやら無事なようで怪我も無さそうな。
「大丈夫ですか?」
本来逆だと思うんだがなあ。チャリに撥ねられたのは俺。撥ねたのは女性。気遣って声を掛けるのはチャリ側のはず。
まあ、そうは言ってもお互い倒れたわけで。
「もしもーし」
頭を上げ勢い体を起こす女性が居る。視線がこっちを向いて、やっと事態を飲み込めたようだ。
「あ、あの」
「怪我はありませんか?」
「えっと」
気が動転してるのか? 視点が定まらず目が泳いでいるような。
だが次の瞬間、地面に頭を擦り付ける女性が居た。何してんだ?
「ごごご、ごめんなさい!」
謝罪、ね。
「あの、怪我」
痛いんだよね、腕とか足。そう言えば頭も少し痛いかも。なんか濡れた感もあるし。
俺を見て「あああ、あの、お、お医者さんに」とか言ってる。
医者なんてこの時間にやってない。救急病院以外はね。
今気付いたけど若い子だな。大学生かな。近くに大学あるし。鞄からハンカチを取り出して、だから何してんの?
「血が」
「え?」
「頭」
頭のどこかを倒れた際に打って、怪我をしたようだな。ハンカチで拭おうとした部分に手を当てると、ぬるっとした感触があり、指先を見ると赤く染まってる。
あとで医者行くか。だがその前に、さっさと行かないと店が開かない。
「そっちは怪我してない?」
「あ、あたしは、大丈夫です」
「じゃあ、俺は急ぐから」
「そ、そうじゃなくて、あの」
引き留めてくるけど、店は十時開店でそれまでに仕込みとかね、やることがたくさんあるし。
ああ、そうだ。
「人の多い歩道では徐行運転すること。いいね?」
猛スピードで突っ込んでくるチャリが多すぎる。だから出会い頭の事故が多発するんだよ。
注意だけして立ち去ろうとしたら「怪我、してます」とか言ってるし。分かってるけど、軽傷なら放っておいても、そのうち治るでしょ。それとも治療費を負担してくるの?
「治療費?」
「病院に」
「開いてないよ」
まあ、事故の際には救護義務があるからねえ。放棄して逃げれば、チャリでも轢き逃げが成立するし。法定刑はそれなりに重い。
「その前に、交番に行って報告した方がいい」
警官が居れば、の話だけど、いつ見ても居ないんだよなあ。まあ、百十番すればいいだけの話だけど。
「えっと」
「大丈夫。怪我は大したことないし、示談で済ませるから」
「でも、血が」
「大丈夫だってば。もう止まってるでしょ」
とりあえず店のすぐ傍に交番があるから、店に行くついでに寄って行くことに。
チャリを起こして手で押す女性だ。これで尚も乗って移動するようなら、常識を疑うところだったけど。さすがに非常識な存在じゃないようだ。
まあ、救護しようとしたわけだし、充分、情状酌量の余地はある。
旧東海道を鉄道駅方面に向かい、七分ほどで店に着き前で待ってて、と言ってシャッターを開け中へ。
店内でコピー用紙を探し、マジックで「お客様各位、開店時間変更のお知らせ」として十二時からと記載し、ドアに貼っておく。
待っていた女性が「喫茶店のオーナーさん?」とか言ってる。そうだけど、と返答しておく。まあ、この店、開けたところで客なんて、あんまり入らないからねえ。
「あの、お店」
「いいよ。どうせ客来ないし」
済まなさそうだけど、来ないのは事実だし。一時間二時間遅くなっても影響はない。そもそもモーニングの客なんて、一部常連客が昼まで粘る程度だし。コーヒー一杯分の値段だから利益なんて、ほとんど無い。
張り紙をしてドアを施錠してから、すぐ傍にある交番に行くけど、やっぱり居ないし。使えないよなあ。何のためにあるのかって話だ。
待っていても仕方ないから、百十番で事故です、交番の前に居ますと伝えておく。
十五分ほどでパトカーが来た。遅い。事件が発生しても犯人、余裕で逃亡できるよなあ。
交番内で事故報告書や調書を取られる女性。俺からも事情聴取。さらには事故現場へ行き「なんで交番に来ちゃったの?」と言われつつ、現場検証。解放されたのは一時間半後。
互いの連絡先の交換も済んだ。後遺症が出た際に連絡できるようにと。
何とか十二時の開店には間に合いそうだ。
加害者とは示談が成立しているってことで、その場で釈放。それでもしっかり説教食らってたな。
解放されて店に行こうとしたら「お医者さんに」とか言ってるし。
「別にいいよ」
「駄目です。ちゃんと治療した方がいいです」
時間的には診療所は開いてる。でも待ち時間まで考えると無駄。
「いいよ。待ち時間、尋常じゃないでしょ。店開けられなくなるから」
ひとりでやってるからね。俺が居ないと店開かない。人なんて雇う余裕すら無いし。今どき、飲食店なんて割に合わない。やるだけ損するんだけど、なんかやりたかったし。
それでも収支トントンで辛うじて維持できてる。
何かあったら、連絡するからと言って店の前で別れる。
別れ際。
「あの、何時まで営業してるんですか?」
「二十一時まで」
「定休日とかありますか?」
「木曜日」
改めて謝罪に訪れるそうだ。
そこまでしなくていいんだけどね。救護する意思をきちんと見せた、それと警察にもきちんと届け出た。罪を償う意思を見せたんだから、あんまり追及するもんじゃない。次から気を付けてくれればいいわけで。
あの子、女子大生だったか。
名前も知れて連絡先も。本来なら接点なんて持てないんだけど、その点で少しだけラッキーとか思ったりして。
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